ガーデン・オブ・ドラゴン 《青年と呪われた刀》

ぱんのみみ

第一章 その剣、抜くべからず

第1話 白国村の青年は

 それは、焼けつくような憎悪だった。

 腹から伸びる間にはべっとりと血がついている。何より、自分の指先がゆっくりと砂に変わり始めていた。

「……どうしてだ。どうして、こんな時に」

「すまない……本当に、すまない……お前を、裏切ることになって……」

「だからなんで、こんな時にッ……」

 息がだんだん早くなる。共にここまで歩いてきて、そしてその最後の最後。今ここで。勇者は、刺されていた。裏切られていた。口からごぽりと熱い塊がこぼれ落ちた。それは血だ。血の塊だ。

「…………憎むぞ」

「ああ」

「俺は、お前を憎むぞ。いや、お前達を憎むぞ! 俺にこんなことをしたお前達を! 俺は――憎むぞ!!」

 焼け付くような黒い炎が胸の内を焦がした。憎い、憎い、憎い憎い憎い。男はそう叫ぶ。人が憎い。世界が憎い。

 なんで自分は存在してるのか、もう分からない。

 憎い。

 憎い。憎い。憎い。


 この体を焼き尽くす、その憎悪こそが。

「憎むぞ!! テコロ! オレは! 貴様を――!!!」

 こんな時に、剣をもう振れない自分も。

 届かない剣先も。

 自分を裏切った人類も。


 ……あまねく全てが。


 ニクイ。


***


 その村――白国村は山の奥深くにあった。

 村人たちは細々と農業や狩りを営みながらその生活を維持している。

 かくいう透弥とうやも、農業に日々の時間を費やしていた。


 村人たちはみな、安定と静寂を好む。

 そのなかで、祭りや些細な変化を好む透弥は少し、変わっていたのかもしれない。

「透弥ー、おるー?」

小夜さよ。どうしたんだ?」

 玄関の方から愛らしい声が響く。

 畑いじりで汚れた手をエプロンで拭いながら、ひょいと顔を出した。

 外はポツンポツンと橙の灯りが灯っていて、どことなく騒がしく人々が話している。玄関に立っているのは黒髪ショートカットの少女、小夜だ。

 幼馴染みの小夜はキョロキョロする自分に頬を膨らませた。

「忘れちゃったの? 今日は真神様をお奉りする感謝祭だよ。一緒に行こうって言ったじゃない」

「もうそんな日か……悪い、すぐに支度してくる」

 小夜に断りを入れて、透弥は手を洗いに家のなかに入った。


 今日は夏至だ。

 夏至になると白国村は毎年、常磐の森の守り神である慈雨様を奉るお祭りがある。

 今年も健やかに過ごせるように。

 去年も穏やかに過ごせました。

 そんな報告を行うための、ささやかな祭りだ。

 だけど、透弥の目当ては屋台の食べ物だ。あれは特別な味がする。


「お待たせ、小夜」

「ううん、大丈夫よ。それより、透弥のお家から広場にいくには坂を下るでしょ? 怖いから、手を繋いでてほしいな」

 出された手をどうにか繋いだ。赤く染まった顔を見ているとなんだか意識をしてしまう。

 小夜と透弥は村で唯一の同い年だ。

 健全な男の子な訳で、気にするなって方が無理な相談だ。

「行くか」

「……うん」


 木の根が支える獣道を、二人下りていく。小夜の足取りに合わせながら、透弥はゆっくり歩いていた。

「イチヤは?」

「広場。透弥のこと、待てないって怒ってたよ?」

「……悪い」

 小夜は緩やかに首を振るう。

「大丈夫だよ。透弥は両親が亡くなってから……一人で生計立てるの、大変じゃない? じっちゃんもばっちゃんも透弥なら」

「気にすんな。俺は大丈夫だから」

「…………透弥」

 小夜の細い指が不安そうに透弥の手を繋いだ。透弥はうつむく。まるで夕陽のように赤くなった小夜は心配そうな表情を浮かべていた。


 つい、その顔に甘えて本音が口から滑った。

「……そもそも、親父もお袋も身勝手なんだ」

「…………透弥」

「村の外には出ちゃダメだって、あんなにじっちゃんや長が言ったのに、全然聞きもしないで! 『帰ってくるよ』? 十年経っても帰って来やしないじゃないか!!」

 案じるように見上げる視線に、罰が悪くなってそっぽを向く。


 広場には剣が刺さっている。その剣が邪剣で、村一体に外にいる〝ケモノ〟が近付いてこないように守護している。白国村で有名なものと言ったら、その邪剣だ。

 だから、その効力が失われる村の外では沢山のケモノが出る。ケモノがなんなのか、透弥は知らないけど。

「……出なければ良かったんだ」

「そうだけど……だけど、だからって透弥がなんであんな村の外れに住まないと行けないの?」

 透弥はなにも答えなかった。

 それは、密かに願ってるからだ。両親が透弥の元に、何て無い顔をして帰ってくることを――そんなのはあり得ないのに。


 枝と枝が擦れ合う。葉と葉が擦れ合う。ざわざわとざわめき、話し合うように音が響く。初夏の青い風が二人の首筋を吹き抜けた。

「…………透弥は、どこにもいかないよね」

「当たり前だろ」

 山を下りて、村の中を歩いていく。提灯が風にゆらゆらと揺れた。透弥の黒髪がサラサラと靡く。

「今日は風が強いなぁ……」

「そうだね」


 慈雨様は、狼と雨と豊穣の神。

 それを奉る儀式があるから、あちこちから美味しそうな匂いが漂っている。屋台が出ているのだろう。

「……ねえ、透弥」

「ん?」

 小夜は烏の羽のような黒い髪と、濡れた瞳を僅かに細めた。簡素な服がはためく。

「あのね、私」

「きゃああああああ!!」

 小夜の言葉を遮るように響いたのは絹を裂くような悲鳴だった。透弥は振り返る。青白い顔をした女性が、後ろに下がろうと足をじたばたさせていた。

「あ、ああ……で、出た……」

「どうしたんだ?」

「あ、う……透弥くん、にげ……」

 女性が震える指先で示したものを見て、透弥は目を見開いた。


 青いギョロリと飛び出た巨大な目が蠢く。白色の滑らかな牙は大樹より太い、と思っていた。銀色の剛毛は松の葉のように。

「………………猪、じゃないよな」

 猪のようにも見えるがそれは、下半身を覆う鱗を見てそうではないことが理解できた。透弥は女性を担ぎ上げると走り出した。

「小夜ッ! 逃げろ!!」

「っ! わかった!」

 雄叫び。

 雄叫びが響く。

 小夜と透弥と女性は、林の中に滑り込んだ。その巨大なけだものは林に滑り込むと同時に困ったように狼狽える。

「……林の中には入れないのか?」

「そうなの?」

 小夜の困惑した声に覚悟を決める。

 恐らく、広場の中は混乱してるはずだ。そこには逃げられてない人――そしてなにより、小夜の弟であるイチヤがいるはずだ。

「……小夜。お前はここにいろ」

「………………え?」

「俺は、広場の中でイチヤを探してくる」


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