第36話 ノヴァ
勇者ロベルトを背中から刺し貫いているのは恐らく彼の仲間だ。血が大地に落ちる。
「……恨むぞ、お前たちを……」
彼はいつも通りそう告げた。
その遺体は地面に捨てられた。人間は魔王に降伏し、その偉大な力で守ってもらうと契約を交わした。人がそうして裏切っている間にロベルトの傍らに一人の男が立っていた。
龍の、王だ。
「……可哀想に」
「いいえ、人とはいずれ死ぬものです。龍の王たる貴方が同情する必要はないのです」
「本当にそうだろうか」
傍らに控える少女は答えなかった。
龍の王は慈しむようにその額を撫でる。勇者ロベルトの頬を涙が伝う。それは無念の涙だった。龍の王は彼を抱き上げると傍らに投げ捨てられていた剣を拾い上げた。
黒炎丸――フレアだ。
「……人を救おうとして裏切られたものよ。私の愛する唯一の人間よ。信じたものに裏切られ、お前が世界を憎むのなら……」
ああ、そうか。
「私も、世界を憎もう」
伸ばした手に勇者ロベルトは肩を震わせた。でももう責めたりしない。ようやく分かった。
ずっと、そこにいたんだな。
透弥は堕ちた新星の光を優しく抱いた。
目を覚ます。憎悪は無かった。切り裂かれた傷口が痛いが、そう深くはなかったらしい。それよりも、目に入ったのは。
「……」
木漏れ日からの光が一点に集中している。
石の台座に突き刺さり、忘れられた剣。勇者ロベルトにとっての希望。透弥は這って、その剣に手をかけた。
「……起きろ。神々より賜りし聖剣よ。汝が銘を我は呼ぶ……偽りの勇者である俺に、力を貸してくれ」
記憶を覗く度に分かることが増えていく。
彼は決して人を憎んでいなかった。彼が憎悪し続けているのは――否。しきれずにいれるのは、己の愚かさだ。
そして、あの結末だ。
結末を起こした引き金を、彼は憎んでなどいなかった。
「……
星の輝きが満ちていく。
ロベルトが殺されて以来失われた新星の灯火が地上を照らしていく。もし彼がそれを憎まずにいられず、そして憎むことができないのならば。
――自分は、それを打ち払えるだろうか。
輝く星の光がありとあらゆる悪を飲み込んでいく。
「あ……あ、あ」
広嗣は光の中に手を伸ばした。誰かが、彼を抱く。穏やかな表情の父がこちらを向いたのが見えた。
「……透弥」
「親父」
透弥はそれからあっけらかんと笑った。
「大丈夫だ。もうなにも怖くない。俺は一人で歩いていけるよ」
「……透弥。可愛い息子よ。どうか――最期まで」
その体が崩れ落ちるまで見送っていた。黒髪が風にはためく。右手に握り締めている剣は冷たく、そして熱かった。
《……トーヤ、お前》
「平気だ。さっさと莉花に加勢しにいこう」
勇者の剣を二本、腰に携えて透弥は来た道を戻ろうとして、倒れた。体が燃えるように熱く、視界がぶれていく。目の前に砂嵐のようなものが走った。
「――…………よし、これで見えているはずだ」
砂嵐が開けて、一人の男が現れた。いや、一人の男ではない。数人の人影が立っていた。その中の一人の男が口を開く。
「なあ、本当に見えてるのか?」
「間違いはない。この魔法は絶対だ。彼は今、この椅子に座っている」
「でも双方の意思疏通はできないんだろ? それに意味があるのか?」
「ある、なしの話をしたいのか? もししたいのならば表にでよ。我らはもう既に意味など失って久しい」
男の言葉に人々は口をつぐんだ。
分からないけれど、透弥は呼ばれたのだ。この地に。この場に。それも何かの用があって。
「まあでは始めるとしよう。まずは謝罪から。君には辛く思い責を追わせることになった」
「……それは」
「もしかしたらその事を憎んでいるかもしれない。或いはそれを忘れているかもしれない。どちらにせよ君は希望の土地に辿り着いたわけだが」
「だからあーしらはあんたにこの幼稚で稚拙なメッセージを遺す」
「願わくばこれを受けとるのが勇者を継ぐものであることを。このメッセージはたった一度しか発動しない」
「ヒトの善性に応じて起動するとはいえ、それが万全とは限らないから」
彼らは口々にそれを伝えた。その場から透弥は動くことができずに凝視し続ける。
「私の名はテコロ。勇者を討った張本人だ。私から説明を。フレアの持つ過去を視る力に触れたときにノヴァの魔力が動くように魔法を、構築した。もしかしたら激しい苦痛を感じたかもしれない。それに関しては謝罪を」
「それから……我々の話をしようか」
「我々は勇者を裏切った。理由は色々あるし説明したところで理解できないだろう。ただひとつ言えることは当時の我々は魔王が人類の益となると信じて疑わなかった」
「ああそうさ、疑わなかったんだ。勇者を討てば我らはより幸福になると信じてた。勿論、そんなのは嘘だった」
彼らは口々に裏切りについて口にする。幸福になる方法についての討論。瘴気とは魔力でありそれは植物を活性化される。魔王とも話し合い共存の道を求めた。それで全てがうまくいくはずだった。
すぐに失敗だと気がついた。
でももう遅かった。勇者はどこにもいない。残ったのは灰だけ。
「……むしがいい話だと理解している。だが、それでも我々は残りあるその可能性に託さずにはいられない。どうか名も無き勇者を継ぐ者よ。ロベルトが我らを憎んでおらず、まだ勇者であるのならば」
彼らのリーダー的存在のテコロは口を開いた。そして理解した。警告だ。そして、やはり彼は裏切ってなお、勇者の仲間だったのだ。
「どうかこの星を救ってほしい。これは我々の総意である。繰り返す、最早再度の過ちは認めない。これは我々の総意である。彼がこの星を呪っていないのならば、どうか救ってくれ」
それは二百年前から送られてきた、名前のなく届くことも放棄された、ただ伝えるためだけのSOSだった。
「……あんたらのことを、アイツは憎んでなかった」
「では、最後に。貴方に我らの技術の全てを譲渡する。ゼロ、それで構わんな」
「ああ。と言うか、それができる最後の助力だ……頼んだよ、ユキ」
「ええ、分かってます。頼まれた以上は断りませんよ」
どうやら視界に入らない場所に誰かがいるらしい。二人の人物は後ろでなにかを話していた。
「これで少しは未来も良くなるか?」
「いえ、未来は変わりません。我々の時間旅行に意味はなく、ただ絶望を掬うだけの作業です。ですが、それにもなにかはあるでしょう……例えば、意味はなくとも、意義が」
次の瞬間、無数の知識を叩き付けられた。
「ッ……!」
「さらば、名も無き英雄。貴方の未来に祝福と称賛を」
そう言って悲しそうにテコロは笑った。
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