第六章 汝、勇気を与える者。
第35話 世界樹
その島はさみしい島だった。
草原の真ん中にある一本の木。普通の木なのに不思議な光を放っている。
「……ねぇな」
「ああ、ここにあると思っていたが」
草原だけがただ続いている。どう言うことだろうか。全く理解ができない。ここにないならむしろどこにあるのやら。
「ほっほ、あてがはずれたかのぉ」
「いや、そうとも限りませんよ」
不意に大きな音が響いた。地面が揺れる。そして翳った。透弥は見上げる。その巨大な怪物の体躯を、見上げた。
半透明の猿。
「グギイイイイイイイ!!」
雄叫びが響いた。その声の大きさでまるでほこりのように吹き飛ばされた。透弥は胃液を吐きながら地面を転がる。
「お前ら、俺様の弟を殺したな?」
「……猿鬼?」
その名前を口にすると同時にその猿は咆哮した。
「そうさ! 俺様は猿鬼が弟の猿帝よ! 今ここで貴様ら人類をスプラッタにしてやるわい!」
振り下ろされた手を黒炎丸で受け止める。その瞬間、黒い炎が吹き零れた。猿帝の悲鳴が響く。透弥はそのまま剣を凪いだ。
「熱ぃいぃぃいい!」
絶叫に答えるように剣を振るえば猿帝の腕が吹き飛んだ。だがそんな状況下で、猿帝は笑った。その様子の猿帝に違和感を感じ、即座に振り向いた。
閃く銀色。
それを剣で弾いた。
「……中々やるな。さすが、自分の息子だ」
「…………親父」
肌には黒いヒビが走っている。彼は剣を肩にかけていた。そのまま不適に笑う。
「悪いな、透弥。生前どうだったかは知らねぇけど、今の俺はこうして魔王に与して戦ってる。いっちょ、気軽に殺されてくれや」
瞬間振り下ろされた剣を軽やかに避ける。
その透き通った腕を見て全てを察する。後ろに飛んだ透弥と莉花は背を会わせた。
「……莉花。悪い。頼んでもいいか?」
「うん。分かってる。だからお前は――集中して、親父を殺せ!」
透弥はその言葉に走り出した。甲高い金属音が響く。噛み合った剣と剣。何度も打ち込むが、その太刀筋を読まれているかのように弾かれていく。
「っ、親父、聞きたいことがあるッ」
「んー? なんだぁ?」
白銀の髪を揺らしながら父親はケタケタとせせらわらっている。一度距離をおいて剣を構えた。火花が飛び散る。
「なんで、俺を村に置いていった?」
とても冷静な気持ちだった。
今までは嵐のように怒りを感じていた、その奥底にあったひどく冷たい感情。それは水底のような感覚だった。
父親の広嗣は表情を歪める。その表情はどちらかと言えば不愉快そうな、顔だった。
「それ、言う必要あるか?」
「逆になんで言わなくていいって思ってるんだよ!」
弾き飛ばした透弥は胸に指を突き立てる。
「俺がどんな思いであんたを待ってたと思ってるんだ! ずっと捨てられたと思って……一人で……あの村で、帰りを待っていたのに」
広嗣はその言葉に目をひらいた。
だけどすぐにその表情を変えてしまう。まるでなにかを恐れているかのように。
「……待ってたのはお前の勝手だろ。それを親父のせいだなんて、お門違いも甚だしいんじゃねぇか?」
「っ……黒炎丸っ……!! 俺の、半分をやるからお前の力を寄越せ!」
その言葉に応えるように黒い炎が吹き荒れた。憎悪が胸のうちに満ちていく。水晶の鱗の範囲が広がっていく。その中で自我を手離さないのは難しかった。
透弥は勢いよく跳躍する。
「……《フレア。起きろ》」
透弥の口からそうではない誰かの声が響く。それが誰の声か、気がつくよりも前に顔が笑みを浮かべた。
「《久しぶりに暴れようぜ、フレア。なぁに、ちっとばかし分からず屋の親父殿にお灸を据えるだけさ。だから……目覚めよ》」
深紅の炎が零れる。それは蓮の花のように花開きながら、広がっていく。広嗣はそれにたじろいだ。
「《あのクソヤロウがその死を弄ぶのなら》――その死の尊厳すらあの男が踏みにじるのなら」
熱で皮膚が焼け焦げてるような気がする。
そんなのはどうでもよかった。身体の半分が、文字通り自分の手を離れたような、そんな気がした。
「《オレサマがその魔を断つ》――俺がその未練を浄化する」
剣の中央に宝玉が煌めいている。それは、あの勇者の瞳のような美しい黄金色だった。煌めく炎の中央で、広嗣はただ驚いたようにこちらを見ていた。
「【
紅蓮の炎が焼く。
大地を、空気を、心を、魂を。
「ッ、断て」
その瞬間、炎が打ち消された。代わりに黒い巨大な狼が飛び込んでくる。
「《透弥!》」
わかってる、わかってるけど。
間に合わない。指先から狼が飲み込んでいく。透弥はただそれを見ていた。溢れる血。撒き散らされる赤色。
――なあ、見えるか?
今日はとても鮮明に聞こえた。と言うか、その人が見えた。名剣フレアを握り微笑む人物が。彼は金髪を靡かせながら指を指している。世界樹の木の根元だ。
――見えるだろ。あれが魔王の城だ。
――やつを倒せば、オレの旅も終わる。
見えないよ、ロベルト。
あんたの景色が、見えないんだ。
――っ、なんでだ! 何故、裏切るんだ!
――それが人のためになる? 何を言ってる!
――奴をそのままにしておけば、終わるのはこの世界だ!
暗がりのなかで透弥は微睡んでいた。胸を貫く男と、背中から刺されたロベルト。
ただ夢幻だったはずの景色だけが、鮮明に網膜に焼き付いていた。
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