第44話 常春の庭にして魂の理想郷

 こうして勇者ロベルトの魔王退治は終わった。

 そして、透弥の旅の話もこれで終わりだ。


 後悔は多い。

 帰ると約束したのに帰れなかったし、莉花を一人置いてきてしまった。これからどうなるのか、できれば最後まで見届けたかった。

 でもあのとき。

 夜明けを向いて剣を掲げたロベルトを見たとき、ようやく終わりを実感できた。

 だからうまくは言えないが、これでよかったのだ。

 後悔はあるけど、悔恨はない。

 憎悪も、哀愁も、ない。


 ただ、そう、これで良かったのだ。

 この結末で良かったのだ。


「ほんと、ですか?」

「え? あ?」

 声をかけられて体を起こす。そこは青い花の咲く、見渡す限りの花畑だった。

「ここ、は?」

「ここは魂が漂流し、最後に流れ着く場所。傷付きボロボロになった魂を修復する場所。最後の楽園であり、追放された法外の土地。人はここを常世と呼んだりもする」

 不思議な雰囲気の少女だ。とらえどころのない少女。白から黒に変わる髪が風に揺れる。


 蝶があちこちひらひらと飛んでいた。

「……貴女は?」

「私は魂を司る者。今より未来に生きて、そして過去の全てを視た者。まあ、難しいことは考えず女神様とでも呼ぶか、まあ、有り体にユキちゃん……んー、いえ、女神様と呼んでいただきますね。だって、本名はあの人にしか呼ばせたくないので」

 女神様はそう言うとお茶目に笑った。


 穏やかな場所だ。風と花と蝶と。

 それ以外にはなにもない。

「とにもかくにも貴方は死にました」

「死んだのか」

「ええ。もうこりゃクリティカル即死って感じです。むしろ貴方が生き延びてる確率を探すのは砂に落ちた刺繍針を探すようなものです。なにせありませんからね! なははははは!」

 何故か女神様は高らかに笑ったのであった。そこがジョークのポイントなのか? 頭がおかしい。まあでもなんだか、彼女が頭がおかしいのは今に始まったことではない気がする。

「ふう、一通り笑いましたね? では本題に入りましょう。人の不幸でたっぷり笑いましたし」

「……」

 この女神、ほんとなんなの?


 少女が指を弾くと現れたのは椅子だった。少女はそれに腰を掛ける。

「まず、貴方は死にました。その魂は魔力による超過圧で蒸発し、その精神は簡単に瓦解しました。肉体もとうに限界を越えた死に体です。しかし、それで尚、貴方は魔王を殺しました」

 彼女はそう言うとまっすぐに見つめてくる。さっきまでのおふざけスタイルはなんだったのか。

「かつてある友が言いました。頑張った人間には褒美が必要だと。例えそれがズルだとしても、必要だと言いました。私は……人に願われた女神として、それを容認します」

「人に願われた?」

「ええ。私は人のために存在する者です。だから、ほんの少し救済を与えましょう」

「でも、オレは死んだんだろ」

「ええ、人としては、ね」

 その言葉に透弥は首を傾げた。人として、死んだならばもう何をどう頑張っても無理に決まってるのに。


「いいえ。ズルだと私は言いました。そして貴方は報われます。なにせ、その生を祝福するのは魂の修復と人を賛美する女神なのですから」

 人を賛美し、その未来を祝す者。

 だとしたら彼女は。

「代わりに、その剣を貸してください」

「……あれ? これ、黒炎丸?」

 腰にいつの間にか携えていた剣を触る。黒いそれはロベルトにあげたもののはずだ。それなのになんで。


「だってそれは貴方の魂の写しそのものですから。そしてだからこそ、貸し与えてほしいのです」

「……んまあ、いくらでも貸すけどさ」

 彼女の手に剣を乗せた。それはしっかりとした重みを持って彼女に譲渡される。彼女は安心したように微笑んだ。

「……ありがとう、透弥。かつて人であった者よ。お陰でまた、前に進める」


 次第に風が激しくなっていく。花びらが空に舞い始める。その隙間に、誰かの姿が見えた。彼は剣を受け取ると軽やかに微笑んだ。

 その瞳が好戦的に黄金に煌めく。

「貴方がロベルトを奮い立たせたから、その後も勇者と呼ぶに相応しい人間が目覚めて生を受けているのです。なにより、貴方が最初のターニングポイントを救ってくれたから」

 花弁は星の残滓だ。この星の残滓。


 いずれ息絶え終わっていく星が、人のためにと遺したもの。

「感謝を……偉大なる、名も無き勇者よ」


 青い空がどこまでも続く広大な大地に透弥は倒れていた。誰かが頭を撫でている。その誰かは少女の声で言った。

「貴方は、もう空を翔ぶすべを知っているはずです」


 顔をあげると目の前にいたのは莉花だった。その手を掴み、透弥は走り出す。転びそうになりながら裸足で地面を走っていく。次第に風が気持ちよくて背筋を伸ばした。

 莉花の体が青い花びらとなって、その手を離されて透弥は走る。ただまっすぐと。


 あれほどまでに重たかった手足は今はとても軽く、身体はまるで雪のようだった。

 誰よりも早く、誰よりも軽やかに駆けていく。


 苦しみが静かに崩れ去った。

 それはこれからの未来にはないものだから。


 焼き付けるような激痛は消え失せる。

 それを感じる体はとうに崩れたから。


 臓腑を捻るような負の感情は置き去りになる。

 それはもう必要の無いものだ。


「……はは、あははは、はははは!!」

 思わず、少年のように笑った。

 今ならどんな不可能も可能になる気がした。


 怖くない。きっと、この体ならばどこまでだって行ける。だって、この空は澄んで、美しい。

 駆ける足は狼のそれよりも早く、けれども確かに疾走する。ボロボロだった体はまるで巨木のように確かに。


 ――嗚呼。今なら空だって飛べそうだ。


 そう感じた透弥は勢いよく、崖から身を投げ出した。風がふわりと彼を持ち上げる。

 空は、どこまでも青かった。



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