第18話 ロベルト

 黒炎丸は黙った。言葉をはっさない。だが十分に間を開けてから、口を開いた。彼に口はないけど。

《……嬉しいこと、言ってくれるな》

「大したことじゃねーよ。お前があの日、話しかけてくれたから俺はお前を抜いたんだ……感謝してる。生き残れたのは間違いなく、お前のおかげだよ」

《はは……なぁ、トーヤ。オマエはさ、裏切ったりとか、しない?》

「なにを。裏切ったら俺が死ぬし……それにお前は俺の仲間で師匠だろ」

 黒炎丸は嬉しそうに笑った。それは心からの言葉だったし、その絆が確かに黒炎丸に伝わったようの気がした。それがたとえ勘違いでも。


《なら、大事なこと教えないとな。トーヤ》

「大事なこと?」

《おう。勇者ってのは、『誰かに勇者を与える者』のことを言うんだぜ》

 透弥は苦笑した。

 自分はそんな大それた人間ではない。大袈裟だ。何より勇者の器でないことは自分がよく知っている。

《いいや、そんなこと無いぜ》

「その気持ちだけありがたーく受け取っとくぞ」

 ふあ、と声が溢れた。とにかく今は少し眠りたい気持ちだ。だから、眠らせてほしい。その気持ちを汲んだのか黒炎丸は黙った。

 うとうとと船を漕ぐように、透弥はやがて眠りに入った。



「ロベルトは、大きくなったらどんな人間になりたいの?」

 その声に驚いて透弥は振り返る。黒髪の男は椅子の上であぐらを掻きながらおちゃらけた顔で笑った。

「そんなの決まってんだろ。多くの人を助けるような人間になりたいぜ」

「ふふ、ロベルトらしいわね」

 金髪の女性は花のように笑みを浮かべた。ロベルトと呼ばれた男は剣を鞘から抜く。それは、黒炎丸だった。

「この剣は龍神の里から賜ったものだ! 龍神であるクリスタル・ドラゴンの加護がかけられてる。俺はさ、この剣で魔王を倒して平和をもたらすんだ」

 そう明るく笑った。

 羨ましい。彼は確かに勇者だったんだ。勇敢に魔王に立ち向かう――その才のある、人間。だってその勇敢さは、確かに才能なんだ。


 その時だった。英雄ロベルトがこちらを見た。確かにその目が透弥を確かに見つめる。それは、あり得ないことだった。

「それで、お前は――どんな人間になりたいんだ?」

「え?」

 足元が崩落していくように、透弥の身体は後ろへと倒れる。父と母が魚人の里でなにかをしている様子が一瞬だけ見えた。だけど、そんなこと、今はどうでも良かった。

「な、なんで俺が見えてるんだ!? あんたは、なんでッ……」

 分からないことばかりだ。

 父と母の気持ちも。あの英雄のことも。


「勇者様。大丈夫ですか?」

 ひんやりと冷たい手が肩を掴んでいた。

「……あー…………のる、ど」

「はい。ワタシはアーノルドです、ゲコ」

 蛙のような瞳が細められた。汗で濡れた顔を柔らかいタオルで拭ってくれる。それは気遣いだろう。

「リファ姫様との話し合いの結果を報告にきました。姫様は別室で歓迎させていただいておりますゲコ」

「無理して蛙っぽさをださなくていいんだぞ?」

「安心を。これは素です」


 素なのか。本当に素なのか。


 聞きただしたいような気持ちになったが、どうにかそれを堪えた。なんというか、聞いたら戻ってこられないような気がする。

「氷結地獄ですが、ワタシと姫様の意見が一致して百パーセント魔王の手下である四天王の仕業ではないかと見当がつきました」

「いや、早すぎだろ。秒速解析か」

「王都に被害が出てない理由についても見当がつきました」

「有能すぎだろアーノルド!」

「……えへ」

 アーノルドは照れた。誉められて嬉しかったのかもしれない。でも魚人なので表情は変わらない。残念だ。透弥には一ミリもその気持ちが伝わらない。

「で、理由って?」

「実は最近、女子供が行方不明になる事件が多発してまして。それが恐らく生け贄なのではと」

「生け贄…………」

「はい。聞けば何故か氷結地獄に出掛けていく貴族がいることが発覚しました。そちらはワタシの方で探っておきます」

 それに異論はないというかアーノルドがやってくれないと困る。この国の問題はこの国で。魔王絡みに関しては透弥の方がまだ経験があるので透弥がやろう。その覚悟ができている。

「それから氷結地獄を作った犯人ですが」

「そこも『見当がつきました』ってか」

「はい。恐らく四天王の一人『空魔道師』堕鳥チーチかと」

「……チーチ。それはどんな奴なんだ?」

 堕鳥の言葉と空魔道師のフレーズにおおよそのアタリを付けて訊ねる。アーノルドから返ってきたのはおおよそ予想通りの答えだった。

「チーチは鳥の姿をした魔神です。大きさはかなり大きく、魔法使いで氷魔法に長けた男です。伝承ではロベルト様に殺されたのですが……」

「まあ生き返ったんだろうな」

 あり得ないわけではないだろう。勿論、できれば夢絵空事であってほしいが。だがそれも、いるなら認めるしかないわけで。

 堕鳥チーチ。

 これから戦う見たことの無い相手に、透弥は僅かに眉をよせた。


「では、ワタシはこれで……」

「あ、アーノルド。ちょっと頼みがあるんだけど」

 アーノルドは首を傾げた。ちなみに魚人には首はない。寸胴なので、首らしきものはあっても首はない。残念だけど。

「……その、英雄ロベルトに関する本を持ってきてくれないか?」

「畏まりました。他になにかありますカ?」

「いや、他は平気だ」

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