第四章 或いは旅立ちの産道

第22話 渇く心とスコール

 どこまでも歩く。

 喉が乾ききっていた。

 心も、多分乾いていた。

 一歩歩く後とに体が軋んで悲鳴を上げる。鈍く迸る痛みはどこかに行ってほしかった。

《……トーヤ。お前、良かったのか?》

 良かった?

 良かったことなんて一つもない。

 まるでこの世は地獄だ。

 あの瞬間、我に返って鮮やかにも染め上げられた手をみたときに理解した。

 龍の力は、使いこなせない。

 あの力がある限り、自分はいつか自分を見失った挙げ句に、傷付けたくない誰かを傷付けてしまうことになるだろう。


 そんなのは、嫌だ。

《……なんでだよ》

 大事だからだ。

 誰よりも、なによりも。


 莉花が優しく笑う。気にかけてくれる。声をかけてくれる。心配してくれる。傍にいてくれる。見捨てないでくれる。見ていてくれる。


 ハゲ丸が教えてくれる。優しくしてくれる。世界のいろんなことを見せてくれる。不安をまぎらわせてくれる。怖くなくなっていく。


 アーノルドだって。

 あんな少ししか一緒にいなかったのに。

《……》

 もう、仲間だと思った。思ってしまった。

 だから、離れなければ。遠くに行かなければ。彼らをボロボロに傷付けてしまう前に。大事だと握りしめて、砕いてしまう前に。


 透弥は足を引きずりながら、その街のアーチをくぐった。


 龍の尾シュア・セーダ

 海に面した国であり、特産品は勿論海鮮。

 観光都市でもあり、その目玉は海の中に伸びるエメラルドの道――竜の産道シュア・リ・メアだ。

 一年間に数日の間だけ、特別な潮流れであるシュア・セーダの海は引き潮になる。そしてその時だけシュア・リ・メアを渡ることができるのだ。


「ほっほっ。良いかな、そこのぼうや」

「……」

 話しかけられて透弥は振り向いた。透弥の剣を引っ張っているのはとても小さな老人だ。小人族ホビットなのだが、透弥はそれに気が付く様子はない。

「……なんだ?」

「もし良かったらこのじじいをシュア・リ・メアまで、連れていってくれないかね?」

 のどかな笑みを浮かべる老人に透弥はひきつった笑みを浮かべた。一人で行きたい。できればこのまま、どこか遠くへ。

「悪いけど俺は一人で行くから」

「うーん、そうかのぉ……仕方ないのぉ……わしは一人で行くかのぉ……あ! そこの方々!」

 そう言いながら老人は明らかにヤバそうな人に向かって走っていく。どうせ自分には関係ない話だ。そうだ。だからこのまま放置をして――。


「すみません、俺のおじいちゃんなんです! じいちゃん何考えてんだよ!」

 そんな寸劇を口にしながら慌ててゴロツキ達の前から逃げ去った。

「んー? おー、ありがとうなぁ。よしよし、このじじいがアメをあげような」

 手の中にイチゴアメを捩じ込んで彼はにこにこと笑った。そのある種無邪気な笑みに毒気が抜ける。

(…………村長)

 キツく握り締めた手。旅の間に何度握ったかは分からない。呪いのある身体では帰らないと誓ったから。だから。

 二人は何も話すこと無くシュア・セーダの街を歩いていく。表情はあまりにも暗かった。だからだろうか、老人はにこにこと笑いながらまたアメをくれたのだった。

「じいさん。俺は」

「わしはセオじゃ。よろしくの、若いの」

「…………俺は透弥。ただの透弥だ」

 セオの手を透弥は握った。優しく暖かい手。皺だらけでも透弥を優しく導いてくれる。そう、思えた。


 二人はシュア・セーダの港までやってきて、思わず息を吐いた。海の中、続く翡翠の路の向こうに島が見える。あれが、龍神の里。龍神の頭蓋、ル・シュアへと続く路。

「セオじいさん。道が見えたけど、どうするんだ?」

「うん、わしも透弥と行くぞ?」

「…………それは」

 躊躇われた。

 彼が来ることで捨ててきた物をもう一度拾うような真似になるのでは無いだろうか。

 それに、傷付けてしまうかもしれない。

 だからこの手を離さないといけないのに。


 手が、震えた。


「……手を、離してくれ」

 震える手が老人の手の上に乗っている。セオは困っていた。当たり前だ。セオは少しも力をいれてないのだから。

「困ったのう。ジジイは全然力を入れていないぞ?」

「……お願いだ。俺は、もう……誰も、傷付けたくないんだ」

 声も震える。

 怖い。初めて、怖いと思った。その手を手放せないほどに、力が入らない。涙が地面にシミを作っていく。

「……いなくならないで、ほしかった、だけなんだ」

「…………うん」

「誰にも、死んでほしくなかったんだ……俺、の、両親は、俺を、置いて村を出ていっちゃったから……だから、俺は」

 だから剣を抜いた。

 戦った。

「だけど、村を追い出されて、拒絶されて、どうすればいいか分からなくなって。俺はただ……ただ……誰にも、俺と同じ思いをしてほしくなかったんだ」

 寂しくて悲しくて。


 いつか帰ってくると思いながら両親のことを待ち続けた。誰かが死んでしまうのが怖かった。やがてひとりぼっちになってしまうのが、怖くて。

「……でも、自分をコントロールできないで大事な人を傷付けてしまう方がもっとダメだ。だから、一人になろうって思った……のに」

 嗚咽が響く。

 その背中をセオは優しく撫でた。辛くて、苦しくて。息をするのも苦痛で。

「頑張ったのぅ」

「頑張ったんだ。頑張ってるんだ……だから」

「大丈夫」

 老人の優しい声がそうさせたのか、それとも透弥ももう限界だったのか。どちらかは分からない。ただ、透弥の頭を子供にするのと同じように撫で付けるセオの手は、昔、父と母を無邪気に待っていた頃に優しくしてくれた村長を思わせた。

「わしも、みんなも、守られねばなるぬほど弱いかな?」

「…………俺は、勇者じゃないんだ。だから、守らないと何一つとして救えない」

「分かっておる。分かっておるよ。誰が分からずとも、このセオドラが、分かっておるとも」

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