第21話 トウヤ
静かすぎて、まるで鏡に向けて話しているようだった。チーチの身体が震え出す。
「……はは……」
「………」
笑った。勇者が笑った。
「その命を弄んだくせに、なに言ってるんだ、お前」
「あ…………」
あ、あ、あ、あ……。
チーチは理解した。自分は今、失敗したのだ。トートのくちばしが折られる。多分、首ごと折られている。そして理解する。次は自分だ。
コイツは、自分を殺す。
「なんで、なんでだよぉおおお!! 謝ったじゃねぇか! 謝ったよなぁ!」
「勘違いすんなよ」
謝ったとか謝るとかもうそう言う話じゃないんだ、と言った。冷たく、興味無さそうに笑う透弥に言葉がでなかった。
「俺、お前を殺すって決めたから」
剣がゆらりと振るわれた。まるで陽炎のようだった。チーチの首が滑り落ちる。龍の角が消えて、息を吐いた。
「透弥!」
駆け寄ってきた莉花の声を聞き届けることもかなわず、膝から崩れ落ちたのだった。
***
アマル=ダガンの国民から、感謝された。
莉花はその事が嬉しかった。彼のことが評価されるのだから、嬉しくないはずがない。それなのに何故か心の片隅にはしこりが残っていた。
それは恐らく、今も部屋で養生中の透弥のことだろう。
ここに戻ってきてからの彼は完全に塞ぎ込んでいる。それは津の国で初めて出会ったときと同じだった。他者を拒絶し続けているような。そんな雰囲気。
彼は強いから、と思う。
だから誰かが傍にいないとダメなんだ。優しくできてしまうくらい、強いから。我慢できて、一人でも生きていけるくらい強いから。だから、優しくして、弱くても良いって言ってあげないと。
「……じゃないと、あのままじゃ壊れちゃうだろ」
「そうですね。ワタクシもそう思います」
肩に乗ったハゲ丸はそう返事をした。
誰かが傷付かないように。
誰もが傷付かないように。
自分は平気だから。
「……平気なはずなんて、無いのにな」
「リファ姫様!」
「アーノルド?」
廊下の向こうから駆けてきたのはアーノルドだ。なにやら尋常でないほどに慌てている。
「た、たぴ。たぴぴぴぴ」
「落ち着け。ゆっくり話してくれ」
粘液が廊下にぽたぽたと滴る。何度か息を整えつつアーノルドは口を開いた。
「た、いへんです! 透弥様が!」
莉花はお粥をアーノルドに押し付けた。全力疾走で廊下の突き当たりの部屋の扉を押し開いた。
白いカーテンが窓から入ってくる風にヒラヒラと揺れる。荒らされた部屋と脱け殻のベッド。誘拐されたのかと見えるが、その反面、黒炎丸がいない。
「…………」
彼が抜け出したのだと莉花は理解した。
座り込む。
この温もりの無い部屋に、さっきまで彼がいたのだ。自分の旅だから巻き込むまいと一度自分を拒絶した透弥。彼が全てを捨てた。
「…………行かねば」
彼を一人行かせるつもりはない。
その傍には必ず、自分がいなければ。
「アーノルド」
「ワタシも行きます、リファ姫様。どうか、同伴の許しを」
二人はその日、荷をまとめた。アマル=ダガンの入り口にいたのは、行に莉花達を送ってくれた商人だった。
「嬢ちゃん! あのあんちゃんからこんな紙をもらって急いで駆けつけたんだ!」
「見せてくれ!」
それは透弥の直筆だった。まだ辿々しい文字で書かれていたのは莉花を津の国まで送ってくれと言う言葉だった。
『莉花。巻き込んで悪かった。どうか、お元気で』
「……」
巻き込んで悪かった?
そう思うのなら、なんで自分を連れていってくれないのだろうか。
「アーノルド。行こう。龍神の里だ。透弥は必ずそこに行く」
「はい」
「待つのじゃ、アーノルド」
現れたのは今まで沈黙を守っていた魚人の王だった。アーノルドは慌てて頭を下げる。
「陛下。申し訳ございません。でも、ワタシは」
「ああ、良い。楽にせえ。別に余はアーノルドを引き留めに来たわけじゃない。むしろ。これをやろう」
アーノルドは恐る恐る手を差し出した。王は氷の欠片をアーノルドの手の上に乗せた。アーノルドは首をかしげる。
「これは三日月湖に残っていた氷だ」
「それは」
三日月湖は魔力の溶けてできた湖だ。その氷ならばアーティファクトだ。
「その氷だけが溶けなくてな。ふと気になって拾ってみれば、なんと身体の表面が潤う訳だ。しかも永久に溶けない」
「……王よ」
「このアーティファクトを特別にアーノルドに貸し与えてやろう。必ず返しに来なさい」
アーノルドは苦しそうに顔を歪めた。それは決して苦しいからではない。胸が暖かくなったからだ。王は目を細めた。
「いつでも帰ってらっしゃい。私たちはこの国でお前を待っているから」
「……はい」
アーノルドの肩を莉花が叩いた。優しいその表情に暖かな気持ちになる。これからやってくる旅への期待と不安に胸が高鳴った。
次の行き先は、龍神の里へ――。
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