第32話 誰かのために
時雨は透弥の前に立ちはだかる。
「では、改めてそなたに問おう。そなたは、透弥、君は――誰だ?」
誰なのか、何者なのか。
そんなものは答えではない。
「……俺は」
誰になりたいのか。どうしたいのか。
決めるのは今だ。
声は震え、脳が揺れて、握り締めた拳が痛い。
「……俺は……俺が勇者だ!」
まっすぐと時雨を見て答えた。
瘴気はヒトも動物も狂わせる。
この世界を終わらせるのにはぴったりだろう。なによりあの男は手心なんて加えないはずだ。
「だから必ず魔王を倒す! 例え、俺が世界にとっての勇者でなくとも!」
痛くて、辛くて、悲しくて、苦しくて。
だけど人間は立ち止まったままではいられない。いつか必ず、歩き出さなければならない日が来る。絶望だけの海に落ちたとしても、一筋の光がそこにあるはずだと信じて。
だから進まなければ。
「……魔王を倒してお前を救ってやる」
時雨は悲しそうに笑う。
「帰ってきてくれるとは約束してくれないんだね」
「ああ。難しいことは約束しない主義なんだ」
「……そっか」
帰らない覚悟も決めていた。
とうに腹は決まっていた。時雨が傷付いたその時から、既に決まっていたのだ。時雨の声でその覚悟を確かめただけだ。
「帰ってこられなくても、俺とお前は友達だ」
「……うん」
傷だらけの手。この手できっと、握り締めていたんだ。時雨は額にその手を押し付ける。
愛しくて、悲しくて、これが別れだと思い知らされる。
「キミの旅路が、祝福で満ち溢れているように……心から祈るよ」
時雨の頬を涙が伝う。溢れ落ちる涙が掌を伝う。
それを止める権利を、透弥は捨てた。
***
常磐の森を歩いていく。あの日出ていく時は希望に満ちていた。でも今は、覚悟が胸を締め付ける。
怖くて逃げた自分を赦してくれるだろうか。
出たところは砂漠の中の町だった。
ジオランと言う街らしい。寂れた立て看板にそう書かれていた。
「? なんでこんなとこに――」
「透弥っ!」
名前を喚ばれて驚き、振り向いた。立っていたのは莉花だった。両目に涙を浮かべて、なにも言わずに透弥を見ている。
彼女の腕から荷物が落ちた。
確かな重みと温もりが透弥の体にのし掛かる。
「…………莉花」
「おかえりっ、おかえりっ、透弥! 私はお前をずっと待っていた!」
「っ……莉花、莉花、莉花ッ!」
確かにここにある。
あの日、失ったと思っていた重みと温もりが、確かにここにある。華奢だけど誰よりも強かな彼女の体を抱き締める。
「信じてた、透弥。お前が必ず戻ってくると、私は信じていたよ」
「……ごめん」
「だからここで待っていたんだ。十年経とうとも構わない。私が死んでも構わないから。どんなに心折れようとも、お前はここに戻ってくると信じてた」
「ごめんっ、莉花、ごめん、ごめんっ……」
背中を優しく擦られる。
勝手に諦めていただけだった。
勝手に絶望しただけだった。
勝手に哀しんでいただけだった。
なにもまだ終わってはいない。終わったような気になっていただけだ。
「主!」
遠くからブレイブの声が聞こえた。
「み、んな」
アーノルドが飛び付いてきた。ベチョベチョになりながらもブレイブが早口でなにかを伝えている。莉花は全員から透弥を遠ざけようとして、逆に独り占めしていた。
その後ろから現れたセオに全員が黙った。
「……透弥。おかえりなさい」
ぎこちなくとも、もう一度始めるつもりで笑う。
「ただいま、じいちゃん」
セオの抱擁を透弥は甘んじて受け入れた。
それから、あの後の事を沢山聞かされた。
一行は満身創痍ながら命辛々に逃げ出したこと。透弥の姿が見えなかったこと、岩肌に血が付いていたことから死んだと思っていたこと。追ってくる魔王を龍王とシルフィーリア、誰かさんの白狼が封じてくれたこと。そして。
「……ハゲ丸が翼を怪我した」
「っ……それは」
「飛べないわけではございません、若様」
包帯で羽根の付け根を巻かれたハゲ丸は朗らかにそう言った。
「ですが、お供することはできません。申し訳なんだ」
「……良いんだ。それよりも俺はお前に元気になってほしい」
「安心してください。この程度なら治りますとも……だから、そのような顔をなされるな」
今、どんな顔をしているのだろうか。
分からない。ただ言葉にならない後悔と不安が胸のうちを締め付ける。
「……ハゲ丸。俺は、勇者になるよ……勇者にするよ」
「はい。若様の決断を信じておりました」
彼は嬉しそうにそう言った。透弥はなにも言わずに笑った。笑うことしか、できなかった。
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