第11話 津の国
透弥が津の国に流れ着いてから一週間が経とうとしていた。
「……あり得ない」
次の目的地である竜神の里、その場所を誰に聞いても分からないのだ。
《まあ、そのなんだ……不運だな、相棒》
黙れ、と心のなかで念じておく。
「困りましたな。ワタクシも行き方しか分からず……面目ない」
「いや、いいよ。ハゲ丸」
「国の名前さえ分かれば役に立てるのですが……」
ハゲ丸はそれでもずいぶんと頑張ってくれている。津の国の言葉を透弥に教え込んだのはハゲ丸だ。彼がいなければ今頃路頭で迷っていただろう。
そう思っていた時だった。
目の前の席に座ったのは美しい女性だった。
亜麻色の髪を後ろで一つに結わえ、この国伝統のピッチリとしたドレスを身に付けている。
「こんばんは」
その桜色の瞳が柔らかく細められた。
「……こんばんは」
「毎日通ってるな」
その言葉に透弥は驚く。
「見てたのか」
「いつも隣に座るからな」
緊張してきて、果実水で口内を濡らした。彼女のような美人は見たこと無いし、話したことも、勿論無い。
「邪魔をしていたか?」
「いいや。そんなことはない。むしろ最近では、お前を探しているくらいだ」
その言葉に安心した。
この酒場は雰囲気が良い。相手の寛ぎの時間を奪っていたとなったら申し訳ないと思った。
「私は莉花。お前の名前は?」
「…………透弥」
「トウヤ……東の島国の方の出か?」
「ああ」
透弥はぶっきらぼうに莉花にそう返した。どうでも良かったという訳ではなく、ただあまり詮索されたくないと思っていた。
《この国に来たばっかりの頃はひどい目にあったもんなぁ》
だから、黙っておけ。
「……言葉、流暢だな」
「宿屋の婆が教えてくれるんだよ」
鷹が話すと言っても伝わるとは思えず、誤魔化して説明する。
「中々難しいけど……様になってるか?」
「とても美しい発音だ」
褒められてなんだか照れ臭くなった。鬼レッスンのかいがあるというもの。
「なんで、この国に?」
「……龍を探してる」
莉花は驚いた様子だった。
この国では竜は神聖な生き物なのだ。だから、探してるというと訝しい目で見られる。だが、そう説明する以上に良い言葉を、持っていなかった。
「この国にはいないぞ。西の方にある『ル・シュア』に行かねば逢えん」
「! そこに行けば逢えるのか!?」
「あ、ああ……」
親切にも莉花が教えてくれたことに感激した。
《つーことは、ル・シュアっつー国を目指して進めば良いのか。で、その前の行き方はハゲ丸が知ってるんだな》
本当に、良かった。
それさえ分かればなんとか旅程を立てられる。
それから二、三、下らないことを話した。素顔を見せても良いと思ったのはとても気紛れで、彼女は本当に心の底から、綺麗だと言ってくれたのが分かった。
「……綺麗」
息と解け合ったようなその言葉は、透弥の心を暖かくした。それが嬉しくて鱗を渡した。ごく、気紛れだった。
だからとても驚いた。
平民の娘だと思っていた莉花が、まさか皇女だったなんて。
いつも通り果実水で喉を潤す。
なんとなく、今日来てくれる気がすると思えば案の定、莉花は酒場に駆け込んできた。今日は髪を三つ編みに結わえている。
「……透弥。私」
莉花の身体が緊張した。そのままの雰囲気を保ちつつ、コップをカウンターに置く。そして、膝を衝いてみせた。
「皇女様。先日の無礼をお許しください」
「ッ……と、うや、私は」
「って」
莉花の言葉を遮った。それからおどけて笑ってみせる。
「やらなきゃダメか?」
それはほんの少し、打算にまみれていた。この関係を崩したくないと、感じたから。だから、おどけたのだ。
莉花はしばらく呆然としていたが、やがて安心したように笑った。
「いや、お前は客人だ。私の民じゃないから、楽にしてくれ」
「助かる。堅苦しいのは苦手なんだ」
立ち上がって埃を叩くと二人は示しを合わせた訳でもなく、ごく自然と酒場を後にしていた。この町は夜も活気に溢れている。
「皇女様もこう言うところ来るんだな」
「はは……私が、この国を変えねばならんからな」
莉花の肩には透弥とは比べ物にならない程の責任が乗っているのが分かった。この国に政治的問題があるのは、聞き込みでも分かっていた。
だが、改めて当事者がこんなにも辛そうだと。
《同情か? 透弥》
違う。ただ――。
透弥の答えに黒炎丸が何か言いかけた時だった。莉花の目が大きく見開かれる。
「……なんだ? あれは……」
「っ……!?」
そこにいたのは、一匹の竜だった。竜を見たことの無い透弥にそうだと認識させる程に大きな身体と赤く燃え盛るような鱗。
「……火竜、なのか?」
その声に答えるように大きな声で竜は叫んだ。その直後、本当の厄災が現れる。
それは巨大な猿のように思えた。その身体の下半分が木と同化している。だが一目見た瞬間に理解した。あれは――あれは。
「ケモノだッ!!」
黒炎丸を引き抜くと透弥は路地を走り出した。猿型のケモノはそばにあった家を引き抜くと大きく振り上げる。
「っ……逃げろ!!」
迸った黒い炎が屋奥を焼き払う。その瓦礫すらも燃やせたのは幸運だった。透弥の声に従い町民達が一斉に走り出す。
「透弥!」
「莉花っ! 皆を誘導しろ! お前は、皇女だろ!!」
その言葉に莉花は頷くと走り出した。透弥は剣を握って走っていく。だが猿のケモノの方が遥かに素早い。
「くそっ、猪のケモノより機動力がありやがる!」
屋根に登り走っていく透弥でも追い付けない。図体がでかいくせに、すばしっこく小賢しいのだ。実にやる気の無くなる相手である。
透弥は勢いよく跳躍した。
「これで、しまいだ!!」
「キィ……」
剣を握ったところまでは良かった。透弥の身体を猿の手が握る。口から血が吐き出された。内蔵が押し潰されているような感覚。救いがあるとすれば、竜の鱗は固すぎて砕けないと言うことだろうか。
「透弥っ!」
何故か莉花の声がする。だけどどうしてか目の前はどこまでも暗かった。指先一つ動かない。体が、凍り付いている。
――ごめん。
と、謝りたかった。
謝れなかった。
だって喉が凍り付いてしまっていたから。
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