第42話 常春の庭にて、喝采の別れを

「余所見か! ロベルト!」

 名を呼ばれて光景が切り替わる。フレアの力だ。この剣は触れたものの過去を見ることに特化しているのだ。咄嗟にフレアで受け止める。

 共鳴するような金属の音に視界がまた移り変わった。


「特に貴方は人とは違うもの。これから一生、害されて生きていくのよ」

 女は残忍に宣告した。

 少年は血の気の引いた顔でうつ向く。彼女はそれからたっぷりと優しさを上乗せして笑った。

「だってそうでしょ? 豚も牛も猫も犬も馬も猿も、人と違うから害されてるの。もしも彼らが人によく似ていたら害することなんて無かったでしょうに」

「……僕は、そう言う家畜以下なの?」


 剣戟がまた響いた。手が痺れる。間に挟まる幻覚のせいで戦いに集中することができない。だが見過ごすことなんてできなかった。


「ええそうよ。貴方はそれと同等。或いはそれ以下。だから貶められるの。蔑まれるのよ」

 彼女はそう言って絶望した青年を、蔑んで楽しむように笑った。背筋が逆撫でされたような気持ちになる。

「ふふ、そう、人と違うことはそれだけで『悪』なの。分かるでしょ?」

 ――ああ。この女は、一体なんなんだ。

 そも邪悪すぎる。人では考え付かない言葉だ。それを本人に言うなんて、人間のやることではない。


 少年はだから力を磨いたのだ。力を磨き、やがて彼は人を虐げるものへと変わった。

 五宝を求めていたのには理由があった。それがあれば真の世界が叶うと唆されたから。

 瘴気をばらまいたのには理由があった。それが人を滅すると唆されたから。

 人に裏切れと言ったのには理由があった。人を虐げようと思ったから。


 初めはほんの少し、十分の一でも気持ちを理解してほしいだけだった。だけど何故か人はそれでもやっぱり己を虐げようとしてきた。


 理解できない。

 お互いに和解できるはずなのに、その到達地点をゆうに踏み出して彼等は己を汚してくる。理解できない。理解できない。理解できない。

 お互いに分かり合えるはずなのに、その妥協点を無視して彼等は己を踏みにじろうとしてくる。


 何事にも理由がある。理由がない方が珍しいのだ。魔王ヌマーサは虐げられていた。誰も彼を救わなかった。誰も彼を無視できなかった。

 そして彼は己を愛してくれる人間に出会えなかった。それは確かに不幸だろう。だけど、彼もまた人の妥協点を無視して踏みにじった。


 どちらが悪、どちらが善。

 そんな簡単な話ではないのだ。


 魔王ヌマーサはただ己が虐げられない世界が欲しかっただけだ。

 勇者ロベルトはただ愛した彼女と幸せな日々を送りたかっただけだ。

 透弥はただ家族とあの村で穏やかな日常を過ごしたかっただけだ。

 莉花も、アーノルドも、ブレイブも、セオも……皇女で幼馴染みだったルマも、己を討ったテコロも、龍王も、シルフィーリアすらも。


 究極、ただ穏やかな生を求めていただけなのだ。


 それでもロベルトはヌマーサを討つ。討たなければならない。彼は透弥の両親も、ルマも、沢山の人の命を踏みにじった。だから、殺さなければならない。


「……ヌマーサ。お前は悲しかったんだな」

「なんだ、急に」

「…………いや。お互いに不幸な人生だったってことだよ。もっと違う出会い方をしてれば……救えたのかも知れねえな、なんてな」

 ヌマーサの顔が苦しそうに歪んだ。

「そうだな。そう願った頃もあった。お前のような勇者が救ってくれればと……だが、その刻限はとうに過ぎた時間。後に残るのは禍根だけだ」

 剣を構える。思い出せるのは今際の記憶だ。あの、憎くて恨めしい記憶。


「……どうしてだ。どうして、こんな時に」

「すまない……本当に、すまない……お前を、裏切ることになって……」

「だからって、こんな時にッ……」

 腹部に刺さった剣。異常な痛みと、血を溢しながらロベルトは恨み言を吐いた。テコロはただ淡々とそれを受け止める。

「…………憎むぞ」

「ああ」

「俺は、お前を憎むぞ。いや、お前達を憎むぞ! 俺にこんなことをしたお前達を! 俺は――憎むぞ!!」

 それは宣言だ。

 何があっても憎んでやる。仲間だったお前達を決して許さないと言う思いから来た宣告だった。だけど彼は顔をひとつも変えなかった。

「ああ、どうか憎んでくれロベルト。お前に憎まれることだけが我々にできる償いだ。どうか、自分勝手であった私たちを深くひどく憎んでほしい」

 彼はそう言って、申し訳なさそうに笑った。


 テコロ。

 ああ、我が友テコロよ。

 そんな言葉を求めていた訳ではないのだ。テコロ。自分は、身勝手だから。憎まないでくれと言って欲しかったのだ、多分。

 仲間だろ、と卑怯になって欲しかったのだ。

 もしお前がそうあってくれたら、仲間の頼みだ、仲間のよしみだ……そう思ってきっと何一つ憎まずに逝っただろう。


 激痛が腹部に走る。ロベルトは血を吐いた。

「ロベルトさん!」

 アーノルドの声が聞こえる。フレアはいい剣だが余計なものを見せてくるのが難題だ。ロベルトは地面に崩れた。その時だった。


 視界が変わる。そこは青い花の揺れる不思議な場所だった。蝶がひらひらと羽を動かしている。そしてその奥に――かつての仲間が、テコロが立っていた。

「ロベルト」

「……テコロ。テコロじゃねえか」

 彼は厳しい顔をしていた。相変わらず難しいことを考えているにちがいない。彼はいつだってそうだ。お調子者なところのあるロベルトの補佐をしてくれていて。

「ロベルト。お前、なすべきことがあるだろう。それをなせ」

「…………」

「聞いているか? なすべきことをなせ」

 なすべきことを?

 そして直前までの光景が頭に流れ込んだ。

「……ああ、ごめん、テコロ。一緒には逝けない。ごめんよ、ごめん……オレは、こんなときまでよ」

「いや、ロベルト。お前が謝る必要なぞない。私はただ、一人先に逝くのだ」

 それはどこにだろうか。

 ともすればこの友は地獄を見据えて、そう告げているのかもしれない。


 だとしたら、訊きたいことがあった。

「そんときがきたら、迎えに来てくれるか?」

 テコロは答えない。罰が悪そうな顔をしている彼に告げる。

「オレは、憎んでないぜ、テコロ。だからお前も、もういいんだ。もう、許されていいんだよ、我が友」

 青い花びらが舞う。魂が彷徨い、やがて辿り着くこの追放された土地で彼は許し、そして彼は許された。テコロはそうか、と呟いた。その姿がゆっくりと崩れていく。


 春の日差しが降り注ぐ、常春の庭で彼は緩やかに微笑んだ。

「ああ……ここにいても良かったのか。もうとっくに私は……許されていたのか」

 友は逝った。すぐにそちらに向かうことを約束し、けれども己の一生に見いだされたその意味を為すために一刻も早く戻らなければ。


 そう思ったときだった。

 仲間達が遠くで頭を下げていた。彼らはみな、笑っていた。良かったと、心の底から思いそっと手をふれば。

 ――パキン、と涼やかな音が響いた。


 剣が折れた音で目が覚める。

 ヌマーサは驚いたように剣を見ていた。灰になっているその剣。ああ、ものを灰にするのはアイツの特技だった。

 胸に押し寄せるのは悲しみだ。テコロも、透弥も死んだ。降り積もる悲しみを振り払おうと握るが剣の軸がぶれてしまう。


「……バカ。お前、俺の師匠なんだろ」

 聞こえた声に振り返る。そこにいたのは満身創痍、今にも倒れそうな透弥だった。

「俺の師匠なら、もっとしゃんとしてくれよ」



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