35話 しかるべき訴訟の相談

 あやめとのデート(?)の帰り。


 夕暮れの街並みを歩いて。信号待ちになんとなしにスマホをチェックしてみると、マネージャーから一件のメールが届いていた。

 大事な話があるらしい。『今から会えますか?』と。


 なんのことだろう。


 思い当たる節を探して、楽しさにすっかり忘れていた傷の痛みを思い出した。

「(あぁ、怪我の件。……映画関係だけじゃなくて、色々と迷惑掛けちゃったし。マネージャーめっちゃ走らせちゃったしなぁ)」

 多分これ、こってり絞られるやつだ。


 そう思うと少し憂鬱になる。


 これも鏡也が自分で蒔いた種だ。きちんと話さないとなぁ。

 思いながら鏡也は『もちろんです。○○駅前まで迎えに来てください』と返信を送った。こんな時まで迎えに来させるのは鏡也クオリティーである。



                   ◇



「単刀直入に言いますが……カガミさんを殴った不良グループ、訴えませんか?」


 怒られるかな。嫌み言われるかな。

 そんなことばかり考えて、不安だった鏡也は予想外の方向から振られた話題に、面食らう。


「訴訟って、訴えるってこと? 弁護士雇って?」


「はい。今回の件、そもそもこれだけの怪我を負わせるってだけで十分に悪質と言えますし、それにカガミさんが怪我をしたことで事務所としても小さくない損害を受けています。多方面に迷惑も掛かっていますし」


 霹靂の蒼の関係者は勿論、今週カガミが出演する予定だった収録も全て怪我のためにドタキャンせざるを得なくなってしまった。

 そこで掛かった迷惑分の頭を下げるのは鏡也ではなく、マネージャーや事務所の仕事なのである。


 今回の一件で事務所は多方面に借りを作ってしまったことになる。


「だからですね。正直な話……」


「制裁の一つでも加えなければ、腹の虫が治まらない、と」


「はい」


 なるほどなぁ、と思う。


 はっきり言って、カガミの顔は商品であり商売道具である。

 それは鏡也の、だけではなく事務所やマネージャーやメイクさんや――カガミに関係する人間全ての商売道具なのだ。


 正直、鏡也としては自分から訴訟するだなんて思いつきもしなかったし、高校生がムカつくやつを殴ったりするなんてよくある話だ。

 それだけで訴えるのはやり過ぎのような気がするかと思ったけど、冷静考えて、あんまりしなかった。


 そもそも鏡也が殴られるべき理由なんてなかったし、気に入らないとかムカつくとかその程度の理由で怪我させられれば溜まったもんじゃない。


 別に事務所が訴えたいと言っているなら、どうぞお好きにって気分だった。


「あ、でも……。そのぶっちゃけ、俺はもう、あんまり関わりたくないかなぁって思ってるんだけど」


「そうですね。大丈夫です。こちらとしてもカガミさんの負担は出来るだけ最小限に抑える努力をします。……勿論、診断書を拝借したり、お話しを多少伺うことにはなると思いますが……」


「まぁ、それくらいなら」


 鏡也のために、事務所は……と言うよりマネージャーは奔走してくれたわけだし。それに鏡也のための訴訟でもあるのだ。

 それくらいは協力したいと思った。


「ありがとうございます。あ、この後用事とかありますか?」


「いえ、特にないですけど……。って言うか怒らないんですか?」


「私がカガミさんにってことですか?……なぜ?」


「いや、俺のせいで迷惑掛けちゃったし。走らせちゃったし」


「そんなことで怒ったりしませんよ。そもそも、こう言うときに頑張るのが私の仕事ですから。それにもし、怒るとしたらカガミさんを傷つけたやつらですね」


「そうなの?」


「はい。カガミさんみたいな美男子を傷つけて……本当に、ただじゃ済ましませんよ」


 ……マネージャーは誰よりもカガミが格好良いと信じ、カガミの曲が素晴らしいと思っている。だから、カガミのために人生を捧げ手を尽くしているのだ。

 そして鏡也も、自分のためにこれだけ怒り手を尽くしてくれるマネージャーにはスゴく感謝していた。


「あ、そうだ。さっきこの後用事があるかって聞いてたけど、なにかあるんですか?」


「いえ。偶には夕食ご一緒したいな、と思いまして。カガミさんと一緒なら高いお店に行っても経費で落ちるんですよ」


「そうなの? じゃあ、行こうかな」


 鏡也は母親に『今日はマネージャーとご飯行くから晩ご飯はいらない』とメールで伝えながら考える。

 学校、今後どうしようかな。


 皆にカガミだと知られて、態度を変えられて、不良に殴られて。


 学校の生徒を訴訟したとなれば教師からも良い目で見られなくなるだろうし、そうでなくとももはやあの学校に鏡也の居場所はないのかもしれない。

 あったとしても、好奇の目や嫉妬、鏡也に媚びてくる女子たちに耐えられそうになかった。


 正直鏡也は、学校を辞めるかどうか迷っていた。




                      ◇



 マネージャーとの食事を済ませて、そのまま車で自宅に送られた鏡也は未だに悩んでいた。


 マネージャーは「良いんじゃないですか?」と言っていた。

 そりゃ、マネージャーの立場を考えれば学生という身分をなくせば鏡也は今まで以上に仕事を入れられるようになるし、事務所としては利益もあるだろう。


 それに鏡也はもう、そう簡単には消えないほどに売れている。

 熱狂的なファンもいて、今、この国でカガミを知らない人の方が少ないほどだ。


 それでも鏡也は、人並みに「高校を卒業」し「大学に進学」したいと思っていた。


 学校に明確な目的があって行きたいわけではない。

 もはや、自分がこのまま消えて無職になってしまうのでは? と恐れているわけでもない。

 それでもやはり、学校に行ってないと不安なのだ。


 ちゃんと高校を卒業してないとバカだと思われるかもしれない。

 学生というモラトリアムを失い、親の庇護下から放たれるのが怖いのかもしれない。

 この気持ちをなんと表現すれば良いのかは解らないけど、学校は通うべきものだと幼い頃から植え付けられた常識が鏡也にどうしても辞めたくないと思わせてしまう。


 両親に相談すればきっと鏡也の意見を尊重してくれるだろう。


 でも、肝心の鏡也の意見が固まっていない。


「……明日、柳にでも相談してみるか? 会う予定あるし」


 いや、流石にこの話題は楽しい休日にするには重いか。

 スランプの時にも弱音を吐いて迷惑を掛けたばっかりだし。

 こればっかりは自分で考えなきゃ結論も出ないだろう。


 鏡也は考える。机の上に載せられた数通の手紙を見つめながら。

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