32話 鏡也がカガミとバレた後

 カガミの正体は囚人(鏡也)だった。


 今、最も熱いミュージシャンであるカガミが同じ教室にいる。

 それはスゴいことで、素晴らしいことで、凄まじいことだ。


 一枚数千円から数万円するチケットを購入しわざわざライブに行こうと思うほどヘビーな層は殆どいなくとも、身近にいるなら是非話してみたいことがある。やってほしいことがある。やってみたいことがある。


「ねえ、本当にカガミくんなの? カガミくんだったら『避雷針』歌ってみてよ!」

「いや、俺は『NO ALONE』聞きたい!!」


「ねえ、放課後皆でカラオケ行かない? 私、カガミくんの生歌聞きたい!!」

「それ良いね! ねえ、この前のミュージックビデオで上着身体に巻き付けたのどういう意図があるの?」

「いつもどうやって曲作ってるの?」


「俺さぁ、音楽ちょっと解るんだけど『避雷針』のサビ後のコードはもうちょっとシックな感じにした方が酔えたんじゃない?」

「俺もミュージシャンになりたくて、プロデューサーに紹介してくれない?」


「ちょっと、私が話してたのよ! 皆よってたかって!!」


 クラスメートのほぼ全員が鏡也の席を取り囲み、歌ってだのあの曲はどうだっただの裏事情がどうだの放課後がどうだのと聞いてくる。

 街中で仕事の衣装そのままで帰っても話しかけてきた人はせいぜい二三人。


 ……それもすごく丁寧な口調で握手とサインを求められただけ。そんな経験しかない。少なくとも、鏡也をカガミと解るや否やこんなによってたかって質問攻めをする人なんて今までいなかったし。

 歌って、なんてもっての外。


 音楽のプロに、別に今まで仲良かったわけでもないやつがノーギャラで歌って、だなんて無礼が過ぎている。

 そんなに仲良くないパン屋さんに今度無料でパン食べさせて、と言うだろうか?


 そう言うことである。


 別に鏡也は、彼らに対して無礼とか失礼とかは思ってはいないものの


「(こんなになるとは思ってなかった)」


 鏡也は今まで幸か不幸かネット以外であってきたファンはモラルのある人ばかりだった。それは握手会などの交流会を開かず、普段地味な格好をしていて歩いているときに話しかけられると言うことも少ないからではあるが。


 鏡也はせいぜい自分がカガミだとバレても


「マジで、うっそだー。みえなーい笑」


「でしょ? 意外でしょー」


 完


 みたいな流れで、こんなにも話しかけてこられるとは思ってなかった。

 しかも、無返答を続けて突っ伏すと「ノリ悪い」だの「囚人のくせになに無視決め込んでんだよ」と非難され、軽くいすを蹴られたりし始める。


 高校生にもなって、人の私服を囚人服みたいだと嗤い人を囚人と呼んで喜んでいるやつらなのだ。モラルを求める方が間違っている。


 しかし。しかしだ。

 流石に、自分と同い年で同じ高校に通い同じ教室にいる人間がこんなだとは流石に思わないだろう。

 少なくとも鏡也は思わなかった。


 認識が甘く、想像力が欠如していたのかもしれない。


 鏡也はおもむろに席を立ち、人混みをかき分けていく。


「(早退しよ……)」


 まぁ、今日はいきなり明かされて皆びっくりしているだけだろう。


 ……暫く放っておけば、収まる。どうせ鏡也のことなんだ。一晩寝て起きれば、すっかり興味も失せているだろう。


 鏡也はあくまで楽観的だった。



                    ◇



 今日も雨。……特に学校に行きたくないなぁと思っている。そんなときに限って撮影は悪天候によって中止される。

 今年の梅雨は乾いていたし、そのツケが今来ているようだった。


「あ、カガミくん。おはよう!」


 朝、登校しているとギャルっぽい女の子が胸を押しつけるように腕に抱きついてくる。強烈な香水の香りと派手なメイク。

 その容姿は整っているわけではないが、一般的に見れば可愛いと言えるのかもしれない。


「あ、うん。おはよう……」


 良いながら絡まれた腕を引き抜こうとして、引き抜けない。


 女の子の胸を押しつけられるように腕に抱きつかれて――そんな展開、鏡也も妄想したことがないと言えば嘘になるが。

 実際されてみると馴れ馴れしい。鬱陶しいとしか思わない。


 冷静に考えずとも、鏡也はこの女生徒の名字すらも知らなかった。


「おはよー。鏡也くん。今日こそ放課後遊びに行く?」

「カラオケとか?」

「それも良いけど、ホテルとかどぉ?」

「美保直球過ぎ! やらしー」

「やらしくていいもーん。鏡也くん、ヤりたいよね」


 歩けば歩くほど女の子に取り囲まれていく。


 ある女生徒がブラウスのボタンをはだけさせ、ブラをチラ見せして誘惑してくるけど、鏡也はうれしさよりもうんざりの方が大きかった。


「(殆ど話したこともないのに誘惑してくるとかヤバいな。……昨日まで囚人って言われてたやつとヤッて嬉しいのかな?)」


 鏡也自身、お年頃だしやりたいなぁって願望がないわけではない。

 でも、この人たちとはちっともしたいとは思えなかった。


 それは鏡也の知り合いが日本有数のきれいどころばかりであるってのもあるけど。それ以上に、こんな浅い関係の人と肉体関係を持ちたいとも思えない。


 女の子が誘えば、男は誰だってやりたくなるわけでもないのだ。

 少なくとも鏡也は、よく知りもしない人の前で裸になったり、キスをしたり、それ以上のことをしたり。そういうのは普通に嫌だった。


 と言うか、そんなに仲良くない人たちからべたべたされるのが嫌だった。


 鬱陶しい。馴れ馴れしい。気持ち悪い。

 一人の冴えない男が女の子に囲まれているからわかりづらいかもしれないが、性別を逆にすれば解りやすいか。


 突如クラスの女の子がアイドルだと発覚して、男子たちがこぞってべたべた触りながらベットのお誘いをする。

 本質的に今、鏡也が遭っているのはそう言う状況なのである。


 しかし、層は思わない人がいる。


 鏡也の通う学校でもカガミは大流行しているが、全員が全員カガミのことが好きというわけではない。


 普通に好きじゃないって人もいるし、流行してるから逆張り的に嫌いと言っている人もいる。鏡也がカガミだと知ってお話ししたいって人がいる反面、囚人のくせにいきなりちやほやされて面白くないと思う人がいる。


 そして鏡也を取り囲み、誘惑している女子のことをずっと好きだった男子もいる。


 カガミと仲良くなりたい者。カガミのことが気にくわない者。


 鏡也は元々スクールカーストの弱者で最下層にいた。ずっと見下されるべき場所に居続けていた。

 それなのに、うっかり自分がカガミであると漏らしたが故に今までの均衡がくずれ鏡也は瞬く間にカーストの最上位に上り詰めてしまった。


 鏡也は教室内カーストに対する理解が浅い。いや興味がないと言っても良い。


 同じ教室で学ぶ学生同士なのに上下関係があることをくだらないと思っていたし、容姿とか服装とか言葉のなまりとかそんなしょうもないことでマウントをとることも何でなのか未だに解らない。


 でも、これだけは言える。


「おい、囚人。一気にちやほやされてスター気取りか?」

「あんまり調子に乗ってると潰すぞ」


「……別に望んだわけじゃない。気に入らないなら、彼女たちに直接言ってくれると助かるなー、なんて」


 正直迷惑だし。この不良みたいな見た目の人たちが納めてくれるなら、願ってもない話だ。

 しかし、不良は所詮不良。


 漫画のように社会への反感をそのまま社会にぶつけたり、曲がったことが大嫌いとかそう言うことはない。

 そもそも真面目に頑張れない人間が自分より強い人間に立ち向う度胸があるはずもなく。暴力に逃げるような人間が曲がったことを許せないなんてことがあるはずもなく。


 彼らはあの女子たちに何かをもの申す度胸はない。


 あるのは、今まで囚人と見下していた肉付きの悪い男を思いっきり殴りつけるただの暴力的な衝動だけ。


「舐めてんじゃねえよ!!」


 鏡也は頬を殴られる。


「ちょ、か、顔はやめて!」


「あ? またスター気取りか?」


 鏡也は思っていた。

 顔を殴られて、メイクでも誤魔化しきれないような怪我でもしたら色んな人に迷惑が掛かる。


 テレビでも顔に殴られた後があれば雰囲気が悪くなっちゃうし、霹靂の蒼だってキョウの顔が怪我しているシーンなんて一ミリも存在していない。

 もし、怪我のせいで撮影に支障を来すことにでもなれば……。


 桃に、柳に、撫子に、竜司に、あやめに、黒部に、監督に、脚本家に……迷惑がかかってしまう。


「顔は、顔だけは……」


 泣きながら両手で顔を守る鏡也を満足するまで、不良たちは殴った。腹を手足を、顔を。


 鏡也は思わなかったのだ。


 自分がカガミだって知られて、こんなになるとは。全くもって予想していなかった。

 だって鏡也は、今まで関わってきた人間にこんな酷い人間はいなかったのだから。

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