38話 撫子の秘密の場所

 いつもよりも隈が深く。昨日は雨だったくせに、今日は異様にかんかん照りな太陽に鏡也は瞳を灼かれる思いだった。

 ……眠い。昨日悶々として、全然寝られなかったのだ。


 悶々としていた理由は二つある。


 一つは柳の膝枕事件のこと。まぁ、アレは嬉し恥ずかしなんやかんやで、悶々としたけど良い思い出である。

 そしてもう一つの方が更に鏡也を悩ませていた。


 数日前、鏡也は撫子の胸を借りて泣いてしまったのだ。


 撫子はお姉ちゃんだけど、綺麗な女性でもあるのだ。

 年頃の男の子が、そんな撫子の前で弱音を吐いて、泣いてしまった。


 それはもう、なんというか。


 なんて思われたとか、思われないとか。

 泣いちゃうのが格好悪かったというか。


 とどのつまり、恥ずかしくて、撫子にどんな顔して会えば良いのか解らなかったのである。

 その結果、ボロボロの寝不足顔を会わせるというなんとも酷い結果になってしまったが。


「鏡也くんもしかして寝てない?」


「いや、そんなことはないけど……」


 案の定撫子に心配されてしまう。

 心配かけまいと鏡也は嘘をつくが、却って心配になる撫子。


「(きっと、学校のこと。怪我のことでまだ気に病んでるのかも……)」


 そんなことはない。


 むしろ、もっと低俗なことで悶々として寝れていないのだが。

 寝れてない理由は兎も角、鏡也がまだあの一件について整理が付けられていないのは事実だった。


「まぁ、いいや。今日は特別に、私の秘密の場所、紹介してあげる」


「秘密の場所?」




                    ◇




 連れられた場所は日当たりの良い川辺の草原。


 人気はないが、芝は綺麗に整えられていて。照りつける太陽も、水しぶき混じりの涼しい風の前ではぽかぽかとして暖かい。

 なんとも心地の良い場所。


「どう? ここ、私のお昼寝スポット。休みの日とか偶に来て、ここで寝てたりしてるんだよね」


「そうなんだ。ってそれは……」


 大丈夫なの? 危なくない?


 女の人が一人でこんなところで寝てたりしたら誰かに攫われたりしちゃうんじゃ……。いや、撫子は人気女優だし逆に攫われないとかあるのか?

 ちょっとだけ心配になるけど、でも撫子は鏡也の先輩だ。


 人生経験も、芸能人としての活動期間も鏡也より長い。


 きっとその辺のリスクヘッジは鏡也よりもちゃんとしているのだろう。

 ならば、折角秘密の場所を紹介してもらったのにそれを指摘するのは野暮というものだ。


「こうやって転がってさ。気持ち良いよ?」


「こ、こう?」


 撫子が転がり、鏡也もそれに合わせて転がってみる。


 なるほど。草の青々とした匂いと、吹き付ける強めの風がスゴく心地が良い。

 寝不足で寝られていなかった鏡也は、撫子に気を遣われてしまったことを理解しながらそれ以上に睡魔にはこれ以上抗えない。


 風上から香る撫子の匂いが、鏡也を安心させ。そのまま眠りに就いた。




                   ◇



 この河原には、偶に草原に訪れてお昼寝をする撫子が安全に眠れるように見守る老人たちがいた。

 彼らはお茶の間で撫子を応援するファンでありながら、撫子のプライベートを守る騎士ナイトでもある。


 今までなにか問題が起ころうとしたことは一度たりともなかったが、それは彼らの目があるからとかないとか。


 そんなある日、撫子が見知らぬ男を連れてきた。


「誰だ? 彼氏か?」

「撫子ちゃんがついに彼氏を?」

「良かった。撫子ちゃんにも……」


 彼らは老人である。妻もいて、孫もいる。


 そんな年になると、推しに恋人がいても怒らないどころか、むしろいないと心配になるのだ。

 しかし、生半可な男は許せない。


 誰だ。見たところ相手は冴えない男のようだった。


 ボサボサの髪、深い隈、白黒の囚人服。


 撫子が寝ている男の前髪を愛おしげに撫でる。その姿を見て、きっと撫子はその男のことを心の底から愛しているのかも知れないと老人たちは思う。

 しかし相手は誰だ。


 どこか見覚えが。……撫子と仲が良い……


 はっ!


「もしかしてあの子、カガミくんじゃ?」

「あぁ、カガミくん」


 なるほど、言われてみれば面影がある。


 なるほどのぅ。テレビでは弟のようにと言いながら実際は……。

 老人たちは人生経験豊富故に、推してきた女優やアイドルは一人だけではない。


 その中には「弟なんです」とテレビとかで言って、裏では実は恋人でしたーなんて例もいくつかあった。

 なるほど、若いもんは推しに恋人がいると発狂するから……。

 わしらも若い頃はそうじゃったが、芸能人も大変じゃのう。


 老人たちは親目線。いや孫を見るかのような目で、眠っている鏡也とそれを眺め続ける幸せそうな撫子を見守り続けていた。


 おかげで川原は今日も平和である。




                      ◇




 目が醒めると空は既に茜色に染まっていた。


 前髪だけが異様にさらさらになっていて、撫子も鏡也の隣で眠っていた。

 無防備な寝顔。なんとなく鏡也は撫子の頬をつついてみる。ふにふにで柔っこくてすべすべしている。

 スゴく触り心地の良いシルクのような……。


「お姉ちゃん。起きて。夕方だよ」


 少しだけ撫子の寝顔を堪能した後、鏡也は撫子を起こす。


 撫子は女優である。それも今、一番人気で実力派の。


 故に表情に出したり、あからさまに顔を赤くしたりすることはないが、鏡也が撫子の頬をつんつんしたり寝顔を見ている間、撫子はずっと起きていたのである。

 なんなら、鏡也が寝ている間転がったり頭を撫でたり色々していたのだ。


 寝始めたのはついさっき。


 そろそろ鏡也が起きる頃合いかな? と思って、ずっと起きてたわけじゃないアピールのためにちょっとだけ寝たふりをしていただけなのである。


 自分もしてたけど、まさか鏡也もしてくるとは思ってなかった!!


 やる分には良いけど、やられる分には思ったより恥ずかしい。

 いや、一日中ほとんど飽きもせずに鏡也の寝顔を堪能してつついたり撫でたりしてたことを知られるのも恥ずかしいが。

 これはどうせ気付かれないだろう。寝てたし。


「お姉ちゃん、今日はありがとう。お陰で元気出た」


「そ、そう? なら良かった(その前髪、あんま触らないで……。ずっと撫でてたことがバレるかな……)」


 前髪が異様にさらさらなのは川原の風の悪戯か。


 鏡也は今日の撫子の行動を知るよしはない。


 でも、元気出た。

 寝不足も解消されて。それになんか寝ただけじゃ解決できないような、充足感が心の中に幸せいっぱいに満たされていた。


 その原因も知るよしはない。


 なにせそれは、撫子の秘密の場所で行われた秘密の時間の出来事なのだから。

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