第53話 信号機

 ひかりはのんびりと歩きながら思いを巡らせていた。


 穂乃花ほのかと自分が兄妹だと渡辺直人に教えられてから一年近くの月日が流れたが今も彼にとって彼女はいとおしい存在のままであった。もちろん肉親としてではなく、一人の女性として彼女の事を想い続けている。そんなに簡単に気持ちを打ち消せるほど彼は器用な人間では無かった。


 自分がこんなに苦しんでいるのに、自分だけ記憶を無くしたという穂乃花ほのかの事を少しうらめしく思ったりもした。

 しかも、彼女は別の高校へ転校をして女優として生きていくという。嫌でも、テレビや街角で彼女を見てしまう。ひかりはどうすれば彼女の事を諦められるのかと考えていた。いっそのこと自分も階段から飛び降りてやろうかとも考えたが、あまりにも胆略的なのでそれは止めた。


「はあぁ……」ひかりは交差点で足を止めて大きなため息をついた。ため息をつくと不幸になるとよく聞くがそんな事知ったことではないと彼は思った。

 ひかりは自分の進む方向の赤信号が青色に変わった事を確認してから横断歩道を一歩踏み出した。


 キキキキキッ!!


 激しいブレーキ音が響き渡った。彼の目の前に信号無視をした自動車が飛び込んできた。

 ひかりの体が宙に舞う。彼の体は数メートル飛ばされたかと思うと道路の上を横転していった。


「キャー!!」その一部始終を見ていた女性が大きな悲鳴を上げる。

 ひかりを跳ねた自動車は電柱に激突してとまったようであった。


「大丈夫か!!」人が集まってくる。


「救急車だ!それと、警察も!」誰かが叫んでいる。


 ひかりの体は傷だらけになっていた。皆が呼び掛けるが反応は一切無かった。


 しばらくすると激しいサイレンを鳴らしながら救急車とパトカーが現場に駆けつける。


 救急隊員達がひかりの安否を確認するがやはり彼からの応答は無い。


 彼らは手際よくひかりの体をストレッチャーに乗せると来た時と同じようにサイレンを鳴らして走り去って行った。


 

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