第28話 芸能界

 家の近所の道をゆっくりと歩いていく。だいぶと具合が良くなったようでほとんど痛みは感じなくなった。それでも、長い距離を歩くと少し疲れたので目の前の公園で少し休む事にする。まだまた、八月の下旬で日差しがきつい目の前にある自動販売機で500ミリのコーラを買ってから木の影で比較的日差しの弱い場所を陣取って座る。この暑さでは公園で遊ぶ子供も少ないようで閑散としている。


「おにいたん!」聞きなれた子供の声がする。コーラの缶を口にしたまま声の主に視線を移す。そこには日射病よけの帽子を被ったひなの姿があった。


「あっ、ひなちゃん!」ということは……。ひとつ向こうのベンチに穂乃花ほのかが座っている。彼女は俺に気づいていたようである。


「よう……」ひなの頭を軽く撫でながら挨拶をする。


「どうも……」なんだか気まずい雰囲気であった。俺は彼女の隣に腰を下ろす。

 少し距離を開けるように彼女は横に移動する。


「この前は御免な、俺が変な勘違いしていたせいで……」友伽里ゆかりに人妻と言われて酷く傷ついたのだろうと思った。


「ぷっ、ふふふふ」急に穂乃花ほのかが笑いだした。


「な、なんだよ。人が素直に謝っているのに」笑われた事に少し憤慨する。


「ご免なさい。そんな事で怒ってないわよ。なんだかねぇ……、でも途中で帰ってしまって私の方こそ申し訳なかったわ……」穂乃花ほのかは少し申し訳ない表情を見せた。「足の状態はいいの?」俺の足元を見て心配そうにしてくれている。


「もう大丈夫、それ!」俺は穂乃花ほのか達の目の前でバク宙を披露する。


「凄い!あなた運動神経いいのね!」「おにいたん、しゅごい!」二人に喜んで頂けたようであった。


「お陰さまで、この通り!いてててて!」おどけるように見せたが、若干の痛みがする。


「もう、調子に乗るからよ」「ちょうちにのりゅからよ」ひなが穂乃花ほのかの口真似をする。なんだか微笑ましい感じがした。


「あれからさ、友伽里ゆかりも反省して悪いことをしたと言ってたよ。あのビンタには俺もビックリしたけどさ」あの時、俺が殴られると思ったのに殴られたのは穂乃花ほのかであった。きっと頼りない俺を彼女が誘導出来なかった事に腹をたてたのであろう。俺をいつまでも子供扱いするのが友伽里ゆかりの鼻に付かないところだ。


「そうなんだ、友伽里ゆかりさんにとって、あなたは大切な人なのね……」穂乃花ほのかの言葉の意味は読み取れなかった。


「ちょっといいですか?」突然、中年位の男性に声をかけられる。その瞬間、穂乃花ほのかは深いため息をついた。


「また、貴方ですか?あのお話なら前にもお断りしたはずです」彼女は毅然きぜんとした態度で対応している。俺には何の話をしているのか皆目見当が付かない。ひなが怖がって彼女にしがみつく、その頭を落ち着かせるように穂乃花ほのかは優しく撫でる。


「お父さんは、お嬢さんの気持ち次第だって仰ってるんです。ですから……」男は詰め寄るように言い寄る。

「ですから、私は何度も嫌だと言っているではないですか」穂乃花ほのかは凛々しい顔で言い返す綺麗な横顔だ。なんだ求婚か何かなのかと俺は動転する。


「あなた、なんなんですか?ほ、穂乃花ほのかさんが嫌がってるじゃないですか!」俺は堪らず会話に参加する。突然の、参入者が気にくわないのか、男は俺の顔を睨み付けた。

「君は何者だ。まさか穂乃花ほのかさんの恋人か!?」男は亀のように顔を前に突き出した。


「こ、恋人!?まさか、友達ですよ!ただの友達!」俺は激しく弁解する。

「そうか、そうあって欲しいものだね。デビュー前にそんな虫が付いては困るからね」汚い物でも見るように男は俺の顔を一瞥いちべつする。


「解りませんよ。これから恋人になるかも知れませんよ……。彼と……」穂乃花ほのかはポツリと呟いた。その言葉を聞いて俺は目が点になる。


「またまたまた~!今日はお邪魔みたいだから、また来ますよ。真剣に考えてくださいね」男はもう一度俺の顔を少し睨み付けてから姿を消した。


「なんなんだよ。あのオッサン」俺は去っていく男の背中を睨み付けながら聞いた。


「あれは、芸能プロの人……、私こう見えて昔は子役タレントやってたんだ。でも、つかれちゃって、中学校入学と同時に引退したのだけれど……、またやらないかっていうお誘いなのよ」彼女はウンザリしたような顔をした。


「げ、芸能人……、あっそうか、お父さんも俳優さんだもんな。俺達よりそういう世界が近いんだな」言いながら彼女なら人気が出るのではないかと、色々想像してしまった。


「お父さんは、お前の好きにやれば良いって言うけれど、私はやっぱり普通の生活がいいのよ。ああいう世界はどうにも性に合わなくって……」芸能界に憧れてもデビュー出来ない奴もいれば、デビューできるチャンスがあるのにそれに乗らない奴もいるのだなと思った。


 なんとなく、彼女が芸能界に行ってしまったらこんなに気軽に話が出来なくなるのかなと考えて寂しい気持ちになったが、この感情の原因が一体なんなのかは、俺はこの時はよく解らなかった。


「ところで、俺と恋人になるかもって……」先ほどの彼女の言葉が甦ってきた。


「あっ、あれは……、あの人を諦めさせる方便の一つよ!そんな事ある訳ないでしょう!!」激しく動揺するように彼女の顔が真っ赤になった。




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