19
この〝鉄平行方不明事件〟のあと、あたしと鉄平は見事に風邪をひいてしまった。
「ぶはっくしょんっ」
「鼻水止まんない……」
2人揃ってくしゃみと鼻水。
「ちょっとぉ。大丈夫ー?」
ちとせが箱ティッシュを差し出してくれた。
「あ、サンキュー……」
ずずず……。
はぁ、完璧にやられてしまった……。
しかも、しつこい風邪でなかなか治らなくて。
でもね、あの事件以来、鉄平は前より少し元気になったんだよ。
精神的な面で。
体の方はバッチリ風邪ひいちゃったけど(笑)
あの日。
雪が降り続ける空の下、あたし達はあのまましばらく屋上にいたの。
2人ともなにも言わず、ただ黙って遠くを見つめたまま。
鉄平がくしゃみをしたのをきかっけに、『戻ろうか』って歩き出したんだ。
その時ね、鉄平が小さく言ったの。
『オレは、オレだよな』って。
だから、あたしは力いっぱい『うん』ってうなずいたんだ。
そしたら、鉄平がかすかにほほ笑んで。
『ありがとう』って………。
あの日、あたしと鉄平は確かになにかを感じたハズ。
うまく言えないんだけど、鉄平は少しだけ強くなったような気がする。
ううん、鉄平だけじゃない。
あたしも、そんな鉄平にまた少し勇気をもらった気がする。
今の鉄平は、暗闇の中でしっかり目を開いて前を見ている。
見ようとしている。
あの時から、あたしの目にはそんな風な鉄平の姿が見えるような気がするんだ。
少しずつーーーーーね。
「じゃあ、あたしこれから店の手伝いあるから帰るね」
ちとせがすっと立ち上がった。
「うん。あ、てつやは?今日は来ないのかな」
「ああ、なんか部活の方が大変みたい。コーチの知り合いの偉い人だかなんだかが来るみたいで、しばらくこっちには来れないかもって」
コートを着ながらちとせが言う。
「そっかぁ」
あたしとちとせの会話に、なんとなく寂しそうな鉄平。
「てつや、鉄平が元気になってまた一緒にサッカーやるの、すごい楽しみにしてるよ」
ちとせの何の気なしにしゃべった言葉に、鉄平が微妙な表情を見せた。
「あ、ごめん……。あたしつい……。ほら、あの……」
ちとせが言葉を選びながら鉄平に返答しようとしながら、ふと腕時計を見て。
「わっ。もう17時半⁉︎ごめんっ、あたし行くね!奈々、あと頼むねっ」
ちとせが慌てて飛び出して行くと、病室の中が急にしんとなった。
「サッカー……」
不思議そうな顔でポツリと鉄平がつぶやく。
やっぱり覚えてない……か。
あたしは、この前持ってきてそのまま棚に飾ってある写真を手に取った。
「これ。この走ったり転んだりしてる写真。これが前にも言ったサッカーしてる鉄平だよ」
鉄平がマジマジとその写真を見つめている。
「それと……。これーーーーーー」
あたしは、てつやがベッドの下に置いていってくれたサッカーボールを取り出した。
鉄平の行方不明事件があってから、鉄平を追い込まないようにゆっくり接していこうってことで、このボールも『タイミングのいい時にそのうちに佐河が見せてやってくれ』って。
あたしは、サッカーボールを鉄平の手にそっと持たせた。
キレイに洗って白くなってるけど、どことなく土の匂いがする。
「これ……ボール……」
「そうだよ。ボール。サッカーボール」
ポン。
なにかを必死で思い出そうとしているように、鉄平は何度もボールを上に投げる。
何度も、何度も。
「あっ」
窓側のベッド脇の下にボールが落ちてしまった。
「あちゃ。奈々取って」
しまったって顔して、やんちゃ坊主みたいに笑う鉄平。
そんな笑顔に、あたしはホッとする。
それでいいよ。
無理に思い出そうとしなくていいよ。
ゆっくりいこうね。
きっと、いつか全部思い出せる日がくるよ。
あたしがボールを拾って鉄平に渡そうとしたその時だった。
鉄平が、ボールではなくあたしの腕をぎゅっとつかんだんだ。
ドキッ。
「な、なに?」
すると。
「奈々。オレ、奈々のこと好きだよ」
鉄平が小さな声でそう言ったんだ。
え……?
い、今なんて……?
ドキン、ドキン、ドキンーーーーーー。
ものすごい速さで、あたしの心臓が大きく鳴り出した。
「鉄……」
「なーんちゃって」
へ⁉︎
おちゃらけた嬉しそうなイントネーション。
「驚いた?」
ペロンと舌を出して、思いっ切り悪ガキの笑顔。
「なっ………!」
かあぁぁ。
一気にほっぺたが熱くなる。
やだ、一瞬本気かと思っちゃったじゃんかっ。
「バカ鉄平っ」
もぉ、信じらんないっ。
こういうとこだけはしっかり変わってないんだから。
「はいっ。ボール!」
ずんっ。
鉄平にボールを突き出すと、あたしはぷいっと背を向けてイスに座った。
まったく、こういう騙しやる?
これでもね、あたしだって一応は乙女なんだから。
自慢じゃないけど、まだ誰にも『好き』とか言われたことないんだから。
それなのに鉄平ときたら、おもしろがってえへらえへらと笑ってさ!
「あれ?奈々怒ってんの?」
「別にっ」
あーあ、ビックリしてくしゃみも鼻水も止まっちゃったよ。
と、思ったら。
むずむず……。
「へっくしょんっ」
「ぶはっくしょんっ」
2人同時にくしゃみ。
思わず、2人で顔を見合わせて笑っちゃった。
「奈々、ロビーに行こう」
「ロビー?」
「でっかい窓から外が見たい」
鉄平が窓の外を見た。
「わかった。じゃあ、完全防備でね」
「だな。あと、箱ティッシュも持って」
笑い合うあたし達。
そして、車イスに乗った鉄平の膝に薄手の毛布をかけて病室を出た。
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