18

今年初めて降ったあの日の雪は、あれから2日間も降り続いた。


そして。


時間だけが、淡々と何事もなく過ぎていき。


今日もまた、いつものようにあたし達は鉄平のいる病院に向かっていた。



鉄平のベッドの下にあるサッカーボールも、まだ保留のままだった。


あたしの気持ちも落ち着いたし、今日こそボールとユニフォームを鉄平に見せて触ってもらおうって、3人で話してたんだ。


あたしが鉄平の前で泣いてしまったあのあと、鉄平ってばガラにもなくあたしのことすごく心配してくれて。


嬉しいような切ないような、ちょっと複雑な気分だったけど……もう大丈夫。


もう、みんなに心配かけたりしない。


あたしは元気よく病院に向かって歩いていった。



だけど。


これから行くその病院で、ちょっとした事件があたし達を待ち受けていようとは。


あたしは夢にも思わなかったんだ。





「これを実際に見て触って……。鉄平、どんな反応するかなぁ」


鉄平の病室の前で、てつやがユニフォームの入った部活のバッグを静かに見た。


「……あんまり期待し過ぎないで、ゆっくりいこうよ」


ちとせがてつやの肩をポンと叩いた。


「まぁな……。焦ってもしゃーねーしな」


「うん」


鉄平の記憶がいつ戻るのかっていうのは、誰にもわかんないんだし。


病院の先生にも長期戦になるかもしれないって言われたし。


知っているのは、神様だけなのかもしれない。




コンコン。


「鉄平ーーーっ。元気ー?」


あたしは勢いよくドアを開けた。


「おーっす。鉄ーーーーー……」


しーーーん。


空っぽの病室。


「あれ。いねーじゃんか」


いつもベッドの上に座っているハズの鉄平の姿がどこにもない。


……鉄平?


「どこ行ったんだろ」


「トイレにでも行ったんじゃねーの?」


車イスはあるけど、ベッド脇の松葉杖がない。


「トイレ……かな」


だったらいいんだけど。


と、突然。


バンッ。


ドアが勢いよく開いて、看護師さんが駆け込んできたんだ。


「あっ。あなた達っ」


ただならぬ気配にあたし達は顔を合わせた。


「……どうしたんですか?」


「いなくなっちゃったのよ、鉄平くんが!」


「えっ?」


あまりの突然の出来事に、あたしは耳を疑った。



鉄平が、いなくなったーーーーーーー?






「佐河っ。見つかったか⁉︎」


奥の曲がり角からてつやが走ってきた。


あたしは、息を切らしたまま首を横に振った。


「そっか……」


鉄平……ーーーーーー。


どうしちゃったのよ。


どこにいるのよ。


みんなで手分けして捜してるのに、鉄平がどこにもいない。



どうしてーーーーーー?


鉄平、今どこーーーーーー?



焦りと不安ばかりが募っていく。


「オレ、もう1回あっちの方と違う階段にも行ってみるから。佐河、こっちの方頼む」


「うん」


あたしはてつやと分かれて走り出した。


左側にずっと続く大きな窓から、白い雪がちらちらと降っているのが視界に入る。


また降り出したんだ。


寒そう……。



まさか、あんな寒い思いしてないよね、鉄平。


ふと見上げた屋上。


その時ーーーーーー。


あたしは、確かにハッキリと見たんだ。


屋上の片隅で、手すりにつかまって黙って遠くを見ている人影を。


え……?


静かに窓に歩み寄る。


グレーのスウェットを着た、男の人ーーー。



「ーーーーーーー!!」



鉄平っ⁉︎


それは、紛れもなく鉄平の後ろ姿だった。


雪の中。


小さく背中を丸め、ただ黙って遠くを見ている。


鉄平だったーーーーーーーー。





バンッ。


重い扉を開けて、あたしは屋上に駆け込んだ。


一瞬にして冷たい空気に体が包まれる。


息を切らすあたしのずっと奥には、鉄平の後ろ姿があった。


鉄平……。


あたしに気がついた鉄平が静かに振り向いて。


「奈々ーーー」


小さくつぶやいて、また前に向き直った。



「鉄平っ!」


あたしは、半ば怒ったように鉄平に呼びかけた。


どうして黙ってこんなところに来たの?


急にいなくなったらビックリするじゃん。


バカ!


そう思いながらもあたしは内心ホッとしていた。


よかった、見つかってーーーーーーー。


あたしは気を取り直して、静かに鉄平のそばに歩み寄った。


「鉄平。みんな心配して捜してたんだよ……。どうしたのよ、ひとりで黙ってこんなところに来て………」


「ーーーーーーーー」


なにも言わずに黙っている鉄平。


頭にも肩にも薄っすら雪が積もっている。


「あーあ。雪だらけじゃん。風邪ひいちゃうよ」


鉄平の肩の雪をはらおうと、そっと手をかけたら。


「触るな!」


すぐにかけた右手を振りほどかれたんだ。


………え?


「ーーーーーー……鉄平?」


予期せぬ鉄平の対応にあたしは驚いた。


そして。


鉄平はあたしの方を向き、泣きそうな……それでも怒ったように叫んだの。



「オレはーーーーーー誰なんだっ?」



……って。



鉄平ーーーーーー……。



あたしはなにも言えなかった。


なにを言っても、きっと今の鉄平にはただの気休めにしか聞こえない。


怯えている……。


鉄平の肩が震えている。


「オレは、誰なんだよっ……」


鉄平の目から涙がこぼれた。



泣かないでーーーーーーー。



お願い、泣かないで。


そう思った瞬間。


あたしは鉄平を抱きしめていた。


大きいんだけれど小さく感じる、冷たくなった鉄平の体をーーーー。


「奈々……?」


初めてだね。


16年間もずっと一緒にいたのに、こうして抱きしめ合ったのって……。


っていうか、あたしが一方的に抱きついただけなんだけど。


鉄平の心臓の音が、あたしの耳に聞こえてくる。


時の流れのように、止まることなく静かに響いている。


トクン、トクン、トクンーーーーーー。


寒さのせいなのか、それとも失った記憶に置いてかれた切なさのせいなのか。


鉄平は震えていた。


そんな鉄平にあたしは言ったんだ。



「ーーーーー鉄平は鉄平だよ」



「え……?」


「大丈夫。鉄平は、ひとりじゃないから」


そう、鉄平はひとりじゃないから。


みんながいるから……。


あたしの目からも涙がこぼれていた。


涙が熱い。


「あたしが、ずっとそばにいるから………」


だって、たったひとりの幼なじみだもん。


大切な鉄平だもん。


抜け出したいんだよね。


病院からも、記憶のない自分からもーーー。


ホントはすごく……。



『うるっせんだよ、ブスッ」



ふ……。


鉄平の声が胸に蘇ってくる。


悪ガキで、元気で、目立って。


いつもそんな調子で、ケンカばっかりしてはすぐに仲直りしてふざけ合って騒いで。


いつもその繰り返し。


鉄平の泣いたとこなんて、今まで一度も見たことがなかった。


一度も………。


その鉄平が、今日あたしの前で泣いた。


人の記憶や想い出って、それほど大切なものなんだ。


なににも代えられない。



あたしは、鉄平をぎゅっと強く抱きしめた。





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