11
ガラガラガラーーーーーー。
新たな急病人を乗せたストレッチャーが、あたし達の目の前をすごい速さで通り過ぎていった。
医師や看護師の慌ただしい足音が消えると、また元の静けさが戻ってきた。
脱力。
体全部の力が吸い取られたかのように、あたしは黒く冷たいイスから動くことができなかった。
〝記憶喪失〟ーーーーーーーーー。
ねぇ、鉄平。
これはなにかの間違いだよね。
あたし、悪い夢をみてるんだよね。
きっとそうに違いない。
ふと隣を見ると、鉄平のおばさんがうつむいてすすり泣いていた。
その姿を見て、あたしは現実の世界に引き戻された。
これは……夢じゃないんだ。
今、あたし達の目の前で現実に起こっていることなんだ……。
「おばさん……」
あたしは、おばさんの背中をそっとさすった。
あの時、どうしておじさんとおばさんが黙り込んでいたのかがわかったよ。
もう既に、鉄平の様子がおかしいってことに気づいてたんだ。
重い沈黙の中、ちとせが小さく口を開いた。
「……あたしは、一時的なものだと思う……。先生はハッキリしたことは言えないって言ってたけど……」
「オレもそう思う……」
てつやも静かに顔を上げて言った。
あたしだって……そう思いたい、そう信じたい。
だけど。
「……もし、ずっとこのままだったら……」
このまま記憶が戻らなかったら……?
「このまま鉄平……なんにも思い出せないままだったら………」
「奈々っ……」
そんなの、イヤだよっ。
「思い出すよ!そのうちきっと……」
てつやが、半ば怒るようにあたしに言った。
「ーーーーー……ホントにそう思う?そのうち全部思い出すと思う……?」
胸の中の悲しみとショックが、あたし自身の気持ちをコントロールできなくさせていた。
「……なにひとつ覚えてないのよ⁉︎なにもかも忘れちゃったのよっ⁉︎自分の……自分の名前さえもっ……!」
「奈々っ!」
それは言ってはいけないーーーーーそんな風に、ちとせがあたしの腕をつかんだ。
その時。
「……誰か来る」
てつやが、廊下のずっと遠くを見てつぶやいた。
みんな、てつやが見た方向に視線を送る。
細い影が2つ。
こっちに向かってくるのが見えた。
40代後半くらいの女の人と、20代くらいの男の人だ。
親子……?
蒼白の顔をした2人は、おじさんとおばさんの前で立ち止まった。
誰……?
たたずを飲んで見守っていると、突然その女の人が泣き出したんだ。
「息子様の意識が戻られたと、お聞きしました。……この度は、ほ、本当に申し訳ございませんでした……」
一瞬、なんのことかわからなかったけど、その女の人の言葉でわかった。
鉄平をはねた人の、家族ーーーーーー
おじさんが静かに立ち上がった。
「本当に本当に……申し訳ございません……。主人は……運転中に持病の心臓病の発作が出てしまい……息子様、ご家族の方々に大変なご迷惑をおかけしてしまい……本当にお詫びの言葉もございません……。主人はまだ入院中につきまして、本日はわたくしと息子で、息子様のお見舞いに伺わせていただきました……」
涙を拭きながら、何度も頭を下げる女の人に、怒りを抑えるように、おじさんが震える声で静かに言った。
「息子は……。息子は、4日間も意識がなかったんですよ……。命は助かりましたが……ICUに入り、生死をさまよっていたんですよ」
女の人は、泣き崩れてその場にへたり込んだ。
「息子様のためのご支援は……いくらでもお支払いさせていただきますので……」
お金……。
お金があっても、どうにもならないよ。
鉄平の失った記憶は……お金では戻らない。
なににも変えられない大切なものを。
あたし達の想い出を。
あなた達が奪ったのよ。
堪えきれない悲しみと憎しみが込み上げてきて。
気がつくとあたしは立ち上がっていた。
「鉄平は……自分の名前も忘れちゃったのよ」
「え……?」
しゃがみ込んでいた女の人が、そろそろと立ち上がった。
「みんなのことも……毎日学校で大騒ぎしてたことも……。いっつもあたしとケンカばっかりして、でも結局いつの間にか仲直りしてて……。そういうことも、全部忘れちゃったのよっ!」
「奈々ちゃん……もういいから……」
おばさんがあたしを止めようとして立ち上がった。
「忘れちゃったのよ!あんなにずっと。生まれてから今まで、ずっとずっと一緒にいたあたしのことも……鉄平、『誰だっけ?』って言ったのよっ!!」
涙がどっと溢れてきた。
「ーーーー……すみません……」
女の人が悲鳴のような泣き声を上げた。
隣にいた息子も、必死に頭を下げている。
謝ってもらっても……どうしようもない。
わかってる。
今更なにを言ってもしょうがないことも。
その人も心臓病の発作が出てしまってどうにもならなかったことも。
どうしようもなかったことも。
誰もこんなことを望んでいたわけじゃないことも。
わかってる………。
だけど、だけど、だけど……ーーーーー!!
「………返してよ。返してよっ!鉄平の記憶、返してよぉっ!!」
「佐河!もう……いいからっ」
てつやが、あたしを抱え込んでイスに座らせた。
こんなのって……こんなのってないよっ……。
止まらない涙は、冷たい足もとにポタポタと落ちていく。
泣き叫んだあたしの声は、廊下の奥まで響き渡っていた。
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