第13話 食べる

 パチリと、目が開いた。


 まだどことなく疲労感が残っていた。夢の中で一度起きた割には、いまいち寝覚めが良くない。

 夢の世界では何の問題もなかったので忘れていたが、孝太はまたしても眼鏡をかけておらず、彼の視界はいつも通りにぼやけていた。首を左右に動かすと、枕の右側に自分の眼鏡が置かれているのを見つけた。

 孝太はごく自然に右手で取ろうと肘を曲げたが、腕に走る痛みに顔をしかめて苦悶した。

 そうだった……右腕にはいまだ穴が開いたままなのだ。どれだけ寝ていたのか分からないが、そう易々と治る怪我ではない。

 孝太はなるべく身体を動かさずに、伸ばした左手でもって眼鏡をかけた。


 上半身を起こして辺りを見ると、部屋は真っ暗で夜か早朝かも分からない。

 そういえば、今回は枕と掛け布団が完備されていた。おそらくキタキツネたちが運んでくれたのだろうが、彼女らに枕と掛け布の概念はなかったので、ラッキービーストが進言してくれたのだろうか。


「起キタみたいダネ、コータ」


 突然、布団の右隣にあるリュックから声がした。この機械音声は彼───とりあえずはオス、もしくは無性別として扱うことにした───のものだ。

 ピョコピョコピョコというファンシーな足音と共に、リュックの影から紫のラッキービーストが歩み出た。彼はカゴのようなものを頭に乗せていて、そのつぶらな機械の瞳はぼんやりと光っている。


「……今、何時か分かります?」


「現在ノ時刻は2時43分ダヨ。……アッ、今44分にナッタネ」


 深夜の3時前。たとえ雪山でなかろうと暗い時間帯だ。

 キツネの二人やカピバラはとっくに寝ていそう───いや、フレンズの元動物が夜行性だった場合はむしろ起きているのだろうか。しかし自分はキツネやカピバラの生態なんてほとんど知らなかった。何となく、キツネは夜行性っぽい印象はあるが。


「コータ、キミはしばらく何モ食べてイナイようダネ。今のキミは、カロリーも栄養も明らかに足りていないヨ」


 ラッキービーストがこちらの身体を見透かしたかのような指摘をする。このロボットには健康診断のような機能まであるのだろうか?

 彼の言う通り、たしかに自分はここに落ちてから……どころか、落ちる前も朝に食べたきり水分しか摂っていない。


「起き抜けデ悪いんだケド、これヲ食べて薬を飲もうネ。ソノ状態では治るモノも治らないヨ」


 そう言って彼は大きな両耳を動かすと、頭のカゴを床に置いた。彼の耳……のような部位は柔らかい素材で出来ていて、簡易的な手の役割として自由に動かせるようだった。

 孝太はその器用さに驚きつつ、言われた通りカゴの上の楕円形の何かを手に取った。


 触った感触はふにふにとして柔らかく、ほんのり香ばしい匂いがした。

 どうやら食べ物のようだが、パンのような、饅頭のような……はたまた肉まんや餡まんめいた生地をしている。しかし暗さのせいではっきりと何なのかが分からない。

 孝太は部屋の照明を点けるべく起き上がろうとした。が、立ち上がるより早くパチリという音がして、部屋は瞬時に明るさに包まれた。


「起きたのね。身体はもう大丈夫なの?」


 いつの間にか、部屋の入り口にギンギツネが立っていた。

 眩しさに目を細めた彼女は、電気のスイッチから指を離して布団の横までやってきた。同じく照明に面食らった孝太は、謎の食べ物を持った左手で光を遮りつつ、ギンギツネの姿をサッと観察した。

 彼女の首もとはリボン状のマフラーでほとんど隠れているが、その下の青いブレザーの胸元には鋭い切れ目が出来ていた。そしてその隙間から覗いているのは、あのセルリアンに付けられた切り傷。

 その怪我が、孝太に戦いの記憶を、彼女たちのあの目線を思い出させる。


「あ……えっと、大丈夫……でもないかな」


 咄嗟にギンギツネから目線をそらしてしまった。普通に接していいものか、彼は図りかねていた。

 それはそれとして、起こした身体にはいまだ疲労感が色濃く残っている。動けなくはないが、可能ならば動きたくはない。


「そう、よね。……しっかり食べた方がいいわよ。ジャパリまんを食べれば、大抵何とかなるんだから」


 これがジャパリまんだったのか。

 キタキツネがゲームの代わりにと提示していたので、てっきりおやつ程度の嗜好品だと思っていた。が、現物はなかなかどうしてずっしりとした饅頭だ。

 明るさの下で見ると、コンビニなどの惣菜パンよりも大きい。大食いではない自分からすると、ひとつ食べたら満足できそうな印象を受けた。茶色の饅頭の上部には、『の』にけもの耳が生えたような形の白い生地が貼りついている。

 もしや、『けもの』を表しているのだろうか?


「そうですね。じゃあ……」


 早速かぶりつこうと思ったが、寝起きで口内が乾いていた。

 リュック脇に置かれていたスポーツドリンクを飲んで喉を潤し、孝太はジャパリまんを頬張った。


「──美味しい、ですね…!」


 中には白っぽいこしあんのようなものがぎっしり詰まっている。

 てっきり甘いあんこの饅頭だと思っていたのだが、意外にもあまじょっぱく、いつだったか食べたことのある五平餅の味に似ていた。味噌と醤油と砂糖が合わさったような餡の味と、それを包む厚い生地の素朴さが絶妙に調和し合っている。

 五平餅とは色と味の分担が真逆だが、生地と餡の分量差に合わせた、丁度良い味のバランスがとられていた。その味はまさに孝太の好みとマッチしていた。


「ソレはお土産用トシテ各エリアで人気ヲ博した、『ジャパリまん・味噌ダレ風味』ダヨ」


 なるほど人気が出るわけだ、と孝太は独り舌鼓をうった。

 彼がガツガツとジャパリまんを食べる様を見て、ギンギツネは安堵していた。


 ───よかった。

 出会った時と同じコータだ。


 あの時の恐ろしげな気迫は、今の彼からはこれっぽっちも感じられなかった。

 とはいえ、私はコータのことを何にも知らない。どこかから落ちてきたそうだけど、元いたヒトの世界で彼はどういう存在だったのだろうか。

 普通のヒト? それとも強いヒト?

 ……私にわかるはずもない。


 ギンギツネが考え事をしている間に、孝太はジャパリまんを平らげて、一緒にカゴに置いてあった薬を飲んでいた。


「ポカリもあと半分か……」


 孝太はペットボトルの中を確認して、ぼそっと呟いた。飲み水は問題なくあるようだが、もしかすると味のついた飲料水は貴重品だったかもしれない。

 あまり深く考えずに飲んでいたが勿体なかったかな、と孝太は少し反省した。


「そういえば……起きてたんですね、ギンギツネさん」


 腹が満たされ落ち着いたことで、対応を変えるか否か悩んだことを馬鹿らしく感じた孝太は、他愛のない話へと繋げた。

 ギンギツネは何かを考えていたのか、一拍遅れて「えっ?」とこちらを見た。


「コータが心配で心配で、部屋の近くをずっとうろうろしてたんだよ。ギンギツネは」


 ぬっとふすまから眠たげな顔のキタキツネが現れて、思わぬ事実を告げた。


「えっ…!?」


「い、いや……掃除! 掃除してたのよ!」


 あからさまな取り繕いをするギンギツネの顔が、ほのかに赤く染まる。


「ふ~ん、手ぶらで…? 尻尾でほこりでも払うの? 黒い毛のまんまだけど」


 イタズラが楽しくてしょうがない────そんな笑みが当てた手の隙間から漏れだしながら、キタキツネはギンギツネをからかう。


「っ………!!」


 何も言い返せないのか、ギンギツネは顔を伏せてプルプルと震えている。平時や戦いの場では凛とした雰囲気の彼女だが、こうなるとかわいらしい一人の女性だった。


「……その、ありがとう…ございます」


 孝太も孝太で、その優しさに感謝しつつもどこか気恥ずかしかった。三人と一匹の間に不自然な静寂───ひとりは心底楽しげだったが───が訪れ、その空気に耐えかねて孝太は立ち上がった。


「──ちょっとトイレに行ってきます…!」


「わ、私は掃除も済んだし……そろそろ寝ようかしら!」


 立ち上がる孝太に合わせるかの如く、ギンギツネも素早く腰をあげた。先に部屋から出た彼女はキタキツネをひと睨みし、サッと逆方向の左へと曲がって、闇に消えていった。

 続けて暗闇の廊下にそそくさと出ていった孝太を見て、紫のラッキービーストがピョコピョコピョコと後を追う。あわて気味な孝太とは歩幅が違いすぎて、その差はしばらく縮まりそうにない。


 あっという間にもぬけの殻となった部屋の前で、キタキツネは頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。


「といれ……?」


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