第23話 謀られる


「慣れんなぁ……」


 脱衣所の洗面台にて、鏡と向き合うジャージ姿の男がぼやいた。

 独り言の主は、T字のカミソリを片手に己の顔面と格闘する孝太だった。


 先日、男湯側の脱衣所にあった戸棚から、いくつかのカミソリと替え刃の入った箱を発見した。

 従業員用の備品であろうそのカミソリは、見るからに安価な量産品といった感じの作りで、青と黒のフレーム上部に替え刃式の刃が取り付けられていた。

 安全剃刀であるだけマシ……なのだろうか。もっとも、本当の安物は使い捨てタイプなので、最低限のラインには達しているのかもしれない。

 とはいえ、孝太は電動シェーバーしか使ったことがなかったため、替え刃も使い捨ても彼からすれば同じ安物のくくりでしかなかった。



 ───剃り残しが、多い。



 顎を触って、孝太はため息をついた。

 慣れない手動のカミソリは扱いが難しい。その上、髭剃り用の洗顔料もないため余計に難易度が上がっていた。行き来が面倒だが、次からは洗い場のボディソープで代用してみるのもアリかもしれない。

 顎の手触りに不満は残るが、とりあえずの及第点ということにして、孝太は脱衣所を後にした。今日はボスに洗濯を頼む日だった。




「……あ。おはよう、コータ…」


 部屋へと戻る途中の廊下で、眠そうな顔のギンギツネと出会った。珍しく寝癖なんかこしらえた彼女は、人目も気にせず大きなあくびをする。


「おはようございます。なんだか……ずいぶん眠そうですね」


「あぁ……昨夜はカムチャマとカピバラが妙に元気でね。色んな話に付き合わされたのよ……」


 ギンギツネ曰く、何がきっかけなのか、昨日仲良くのぼせた二人はずいぶんと意気投合したらしい。

 意外だな、と孝太は思った。

 おっとりとしたカピバラと、元気ハツラツなカムチャマの組み合わせはイマイチ想像ができないのだが────


「あっ! コータくーん! おっはよー♪」


 噂をすれば、なんとやら。

 廊下の先からカムチャマが、大声と共にやってきた。話の通りにカピバラも一緒だ。


「お…おはよう、ございます」


 昨日と同じく朝っぱらからフルスロットルなカムチャマに、思わず孝太は一歩引いてしまった。

 どれほど滞在していくのか知らないが、早々に彼女との付き合い方を会得しないと大変そうだ。


「カムチャマ…! 早くもチャンス到来だねねね…!」


 声をひそめたカピバラが、隣のカムチャマの腕をつつく。


「いいねいいね…! じゃあ早速……♡」


 彼女はカピバラにウィンクを返すと、にやついた顔で孝太の方へ向き直った。

 二人の怪しげなやり取りを耳にして、ギンギツネが気だるげに振り返る。


「……? 何のはな────」


「ああっ! いっけな~い! ボクりん寝不足で疲れちゃったぁ~☆」


 急にカムチャマが大袈裟にふらついたかと思うと、前にいた孝太の胸へと飛び込んだ。


「ぅえ!?」


 突然のことに孝太はひどく動揺し、おかしな声を上げた。先日のギンギツネ以上の急接近に、思わず目が泳ぐ。不自然極まりない前フリへのツッコミは、彼の頭から一瞬にして消し飛んでしまった。

 また、全力で体重をかけてくる彼女を支えるため、孝太も全力で踏ん張る必要があった。正直なところ、長くは持ちそうにない。


「ごめ~ん♡ これ、結構重くってぇ……ちょっと持っててくれる?」


 潤んだ両目で以て、上目遣いでこちらを見上げてくるカムチャマは、おずおずと熊手を差し出す。

 色々といっぱいいっぱいな孝太は、無言で頷き───それが精一杯だった───熊手に手を伸ばした。



 は、始まったのだねねね……

 『オスの強さ☆見極め作戦』が!


 ……ギンギツネも見ているのは計算外だけども!


 グッと拳を握ったカピバラは、抱き合う形の二人の後ろでハラハラして────しかし楽しんで見てもいた。

 彼女の脳裏に、昨日の作戦会議がよぎる。





「二人がイイ感じ♡になるためには、何はともあれコータくんの『チカラ』が重要だよねー!」


 湯船で四肢を伸ばしきっているカムチャマが、作戦会議の第一声をあげた。それを聞き、隣のカピバラは怪訝そうな顔をした。


「チカラ……かねねね?」


「だってそうでしょ? 力が強いオスは、縄張りもご飯もメスも、ぜ~んぶ手にすることができるんだよ?」


 それは動物の頃の話では…?

 思わずそんなツッコミが出かかったが、カピバラは咄嗟に呑み込んだ。まずは言い出しっぺの提案の全貌を聞いてみよう。

 ……本音を言うと、面白おかしい展開が見れそうなので、不粋な指摘をする気もなかった。


「だからまずは、コータくんの力がどんなもんか試してみようと思うの♪ とりあえず、これを振り回せれば良い感じかな!」


 楽しげな様子のカムチャマは、喋りつつも立ち上がり、スッと左手を突き出した。

 すると、彼女の手の平から虹色の粒子が溢れ出た。光の粒はみるみる輝きを増していき、流水の如く棒状の得物を形作っていく。突き出してからわずか三秒ほどで、カムチャマの右手には大きな『熊手』が構築されていた。


 動物の時に特徴的な角や牙、爪などを持っていたフレンズは、己のサンドスターで以てそれらを模した武器を作り出せる。

 それは出来る出来ないに関わらずフレンズにとって常識であり、当然カピバラも知っていたのだが、実際に目の前で作り出される様を見たのは初めてだった。

 カムチャマが「ん」と得物を差し出していたので、感心していたカピバラは、立ち上がって熊手を持ってみた。



  ───ゴッ



 熊手の下部が湯の底の石畳を打ち、くぐもった鈍い音がお湯越しに伝わった。


「むむっ…! 思ったより……重い…ねねね」


 軽い気持ちで握ったそれは、想像以上に重たかった。あわてて両手を駆使するも間に合わず、よろめいたカピバラは熊手を床に打ち付けてしまったのだった。


「あらら、油断してた~? でもでも、ちゃんと持てば大丈夫でしょ?」


 熊手を軸に体勢を戻したカピバラは、カムチャマが示す『棒の真ん中より結構上辺り』を握ってみる。

 改めて熊手の保持に挑戦すると、今度は安定して持ち上げることができた。先ほどは持つ箇所が下過ぎたのだろう。


「一応、なんとかなるねねね」


 熊手は確かに重量があったが、彼女の言う通りに持てば、少し振り回すくらいは出来そうな感じがした。


「うんうん♪ コータくんはオスだし、たぶんイケるよね。なんなら、ワイルドにセルリアンもやっつけちゃうかも! それだったらむしろ私が貰いたくなっちゃうなー♡」


 ワイルドっちゃあワイルドな倒し方はもうやってるなぁ……と、カピバラは十日ほど前のことを思い返してひとり苦笑した。





 場面は戻って、宿の廊下では今まさに、孝太が熊手を掴もうとしていた。

 ギンギツネとカピバラが見守る中、ついに彼の右手に熊手が手渡され─────



  ──ガッ!


  …ドタッ



「──っ!? お、重……」


 熊手は、呆気なく廊下の床へと倒れ込んだ。

 倒すまいと全力で支えた孝太だったが、その努力は『むやみに床を傷付けずに済ます』程度の功績しか生まなかった。


「…んん?」


 想定外の結果に、カムチャマが首を傾げた。なにやってんだろ……という呆れ顔のギンギツネが二人に近寄る。


「……大丈夫?」


 熊手に引っ張られて半ば転びかけていた孝太を、ギンギツネが屈んで覗き込んだ。

 ハッとした孝太は、しどろもどろになりながらも再び熊手を掴む。


「あっ、いや、その……。これ、とんでもなく…お、重い……ですね」


 二度目の奮闘むなしく、熊手は床から10cmほどの高さにしか浮かび上がらなかった。孝太は己の非力さを情けなく思い、いっそ内なる力を使おうかと気合いを入れた。

 しかし、


「へぇ、これってそんな重いも……あれ?」


 重いと聞いて、ギンギツネが興味本位で熊手を掴んでみたところ、なんと熊手はあっさりと持ち上がってしまった。

 そのままトッ!と床に熊手を立てたギンギツネは、おもむろに得物を振るってみる。


「うん。まあまあ重い、わね。……ん?」


 気が付くと、孝太が沈み込んでいた。

 彼は虚空に向かって渇いた笑いを発している───そんな風に見えた。


「ど…どうかしたの? ねぇ?」


「いえ…。なんでも、ないですよ……ハハハ……」


 目が笑っていない。


 そんな彼の肩に、ポンと手が置かれる。

 孝太が振り返ると、そこにはカムチャマがいた。


「まあまあ、元気出してこ? 強さって、きっと力が全てじゃないから☆」


 憐れむような笑顔でウィンクされて、孝太は殊更に落ち込んだのだった。


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