第5話 服を脱ぐ

 孝太とキタキツネは、共にギンギツネに連行されてお風呂場の入り口へ来ていた。

 目の前の入り口にかかるのれんには、大きな字で『女』と書かれている。


「温泉はここよ。二人で入ってきなさいな」


「はぁ~い…」


 ギンギツネは事も無げに言い、キタキツネは気だるげに返事をした。


「いや女湯………二人で!?」


 わずかに遅れて、孝太に衝撃走る。

 謎の世界に落ちてまだ半日と経っていない。にもかかわらず既に未知の連続だったのだが、今の言葉はまた違う系統の驚きを与えてきた。


「どうかした? 話も弾んでたみたいだし、別にいいじゃない」


 ギンギツネの言葉には何かトゲがあった。同居人のゲーム好きに拍車がかかりそうな現状は好ましくない、ということだろう。

 しかし重要な点はそこではない。


「あー、えぇっと……男女二人でっていうのは色々と良くない、ですよ。きっと」


 動揺で上手く言葉を紡げない。たしかに、自然に生きる動物たちの目線では何てことのない行為かもしれないが……。

 キツネ達はなんで?という顔をしている。であれば、男湯と女湯について話そう。孝太はのれんに近付いた。


「この文字はおんなと読むんですけど、それはつまり、ここは女性専用のお風呂ということなんです」


 そうだったんだ、と二人が顔を見合わせる。


「そして向こうにある入り口。あちらにはおとこ、と書いてあって、男性専用のお風呂になっているんです」


 孝太はまるでプレゼンテーションをしているかのように力説した。

 そこにキタキツネが質問をする。


「なんで分かれてるの?」


「それは………間違いが起こらないように、かな…」


 答えにくい質問をされ、孝太は子供相手に性教育を教えているような気分になってきた。


「ヒトは文字が読めるんだから、間違えないんじゃない?」


 ギンギツネがズレた指摘をする。自分の言葉が足りず、上手く伝わっていないようだ。

 入り間違えるとか、そういう話ではないのだ。ストレートに言っていいものか───


「うーん困ったねぇ、コータくん……だっけ? ここの温泉はこっちにしかお湯がないんだよよよ」


「はい…?」


 濡れた髪のカピバラが唐突にのれんから顔を出し、退路を塞ぎに来た。

 そういえば、ギンギツネの説明を受けている途中、温泉へ入りに部屋を出ていた。


「そうそう。両方直すのは面倒だし、片方あれば十分だろうって博士達がね」


 孝太は焦った。

 フレンズにはオスがいないらしいので、博士とやらの判断は妥当だ。その合理性が、ヒトのオスにとっての不親切な環境を生み出しているとは、誰も予測していないのだろう。……しかし、逃げ道はまだ残っている。


「だったら……男が入った後の湯ってのもギンギツネさんに悪いので、僕は最後に入りますよ。それまで宿の中でも探検してます」


 温泉施設の湯は常に循環しているので苦しい言い訳だ。

 しかしフレンズはそんなことは知らなさそうなので、これでいけるか…?と孝太は考えたのだが、


「別にみんな気にしないよ……。それより、早く済ませてさっき言ってたゲーム、やろうよ」


 踵を返したところでキタキツネに腕を掴まれ、強制的に脱衣所に連れていかれてしまった。逃げ道など、元よりなかった。


 ああ、無情……。


「コータ、やたらと粘ってたけど……」


「ふふふ……おもしろいところが見れるかもしれないねねね」


「え…?」


 カピバラはにこやかな笑顔のままだが、その表情には何か邪なものが隠れている。

 ギンギツネにはそう見えた。




 キタキツネにひっぱられて入った脱衣所には、独特のモサモサした床───恐らく裸で転んでも大丈夫なようにしてある───が広がっていた。換気扇が生み出す送風音が静かに聞こえてくる。

 入ってすぐに鏡と洗面台があり、どういうわけか新品同然のティッシュペーパーに石鹸、ドライヤーもしっかり置いてあった。鏡の上には時計があり、現在の時刻は16時過ぎのようだ。そろそろ夕方か。


 洗面台から数メートル進んだ辺りからは箱型のロッカーが立ち並び、それぞれの扉に鍵が備え付けられている。

 その鍵が金属製ではなく、ヒモのついたカードキーであることを除けば、よくある造りの脱衣所だ……女湯側は未知の領域ではあるのだが。うっかりケガをしたり折れたりしないようにか、カードキーは少し厚みがあり、柔らかい素材で出来ていた。


 連れを牽引するそのままの状態で風呂場に突入しようとするので、孝太はキタキツネを必死で止めた。ひとまず、ロッカーについて教えよう。


「ここの箱は、脱いだ服や荷物を入れておく所なんだ。入れた後はカードを引き抜けば、他の人には開けられなくなる」


 孝太は説明しながら、空のロッカーで実演してみせる。これってそういうものだったんだね、とキタキツネがガチャガチャ開け閉めしながら呟く。


「でも、わざわざ入れなきゃダメなの? っていうか、お風呂の時って服は脱ぐものなの?」


 キタキツネはめんどくさいな、という顔をしている。言われてみれば、他に全く利用者がいない現状ではロッカーを使う意味はないに等しい。


「まぁその、ロッカー……箱は使わなくてもいいのかな…。でもそっちはともかく、服は脱がないとびしょ濡れになっちゃうよ」


 この話の流れでは、まるで自分が服を脱がせたくて促しているかのようだ。

 あくまでヒトの常識として脱ぐよう勧めているだけだというのに。


「確かにいつも濡れるけど……気にしたことなかったな。あっ……でも、そうだ」


 何か思い付いたのかな、とキタキツネを見ると、彼女は上着を脱ごうとしていた。

 つまんで引っ張ったり、身体を揺すってみたりしているところを見るに、脱ぎ方がわからないようだ。彼女のオレンジ色のブレザーのような上着は、腹部の辺りのボタンでしっかりとめられている。

 これも教えるのか、と思いながらボタンに手を伸ばそうとしたところで、孝太はピタリと固まった。

 これは、なんというか……まずいのではないか? 絵面的に。


 鏡の方を向いてみると、脱衣所にて中学生か高校生くらいの女の子に手を伸ばす、冴えない見てくれの眼鏡男がこちらを見ていた。

 あからさまに事案発生の図、すなわち被害者と犯罪者の構図だ。

 直接触れるのは考え直した様子の眼鏡男は、言葉で脱衣のサポートをし始めた。ヒトの世であれば結局のところ捕まりそうだ。


「その服は、お腹ら辺にある丸くて硬いやつ……そう、それ。そのボタンに引っ掛けてあるところを……」


 孝太はキタキツネに身ぶり手振りでレクチャーしていく。

 一度ボタンの外した方を覚えたキタキツネは、手袋やYシャツ、スカート、マフラー的な役割のリボンなど、他はあっという間に脱ぐことができた。今や白い下着姿だが、自分の手でパズルをサクサク解くことが出来たからか、なにやら誇らしげな表情だ。


「おぉ~…。やっぱり毛皮を脱いだらツルツルになるね。思った通りだ」


 キタキツネは己の身体を見て感心している。さすがにこれ以上見ていると……諸々よろしくないので、孝太はキタキツネに背を向けた。


「この白いのはどうするの?」


 無邪気な質問が、つらい。


「あぁ、えと、背中側に留め具がある…んじゃないかな」


「えぇ~見えないとわかんないよ…。コータが取って」


 キタキツネはトタトタと孝太の前に回り込み、背中を向けてきた。

 突然のことに身体がビクリと跳ねる。先ほどまで寒さに震えていたというのに、恥ずかしさといたたまれなさによって、今や汗まで出てきてしまった。

 実際のところ、キタキツネの長い髪の毛で背中はほとんど見えていないのだが。


 なんなんだこの状況は……誰かドッキリ企画だと言ってくれ、と孝太は天に願った。

 すぐそばでプレートを持ったスタッフが待ち構えているのなら、どれだけ良かったことか。



 赤面して固まる孝太と、どうしたの?と振り替えって覗き込む下着姿のキタキツネ。

 その様子をのれんの先、脱衣所手前のL字路から、二匹のけものが隠れ見ていた。カピバラが小さな声でゆったりと喋り始める。


「おぉ~…キタキツネは大胆だねぇ。私もさっき脱いでみたけど、なんだか落ち着かなかったよよよ」


 二人を凝視していたギンギツネは、少し顔が赤くなっている。


「なんか……身体がむず痒いっていうか、見てると変な感じが……どうしてかしら」


 彼女の鼻息は荒く、ブンブンと尻尾が不規則に動いている。


「おっと……ギンギツネはこういうの、好きだったんだねぇ」


 意外だなぁ、という冷静なカピバラの態度に、ギンギツネは憤慨してつい大きな声が出てしまう。


「なっ! そ、そんなことは───」


「…ん? ギンギツネ?」


 キタキツネが辺りをキョロキョロ見回す。いつもの緩やかさとはうってかわって、カピバラは素早くギンギツネの口を手で塞いだ。「んー!」という声にならない音が漏れる。

 今のはマズイよよよ……と耳打ちしながら、カピバラはギンギツネと共に音を殺して通路を引き返していった。


「今ギンギツネの声がしたけど……廊下でカピバラと話してたのかな…」


 けもの耳をアンテナのように動かしながら、キタキツネが視線を孝太に戻す。

 この状況を彼女らに見られたらいったいどう思われるか……全然わからんな、と孝太は冷や汗をかいた。結果として正面からまともにキタキツネの下着姿を見てしまったが、そのおかげで気付いたことがあった。


「あ……その下着、正面にホック…取っ掛かりが付いてるね」


「ん。これがそうだったんだ」


 孝太は心底ホッとした。と同時にサンドスターの神秘に感謝した。

 脱ぎやすさへの配慮かどうかは定かでないが、フロントホックになっていて助かった。サンドスター様々である。

 これならわざわざ自分が外す必要は───


「…取れた。なんだ、簡単だね」


 留め具が外れ、白いブラジャーが彼女の足元にパサリと落ちた。落ちてしまった。


「あっ」





 サンドスターめ……という理不尽な憤りと劣情と、罪悪感とが孝太の心で吹き荒れた。



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