第3話 探し歩く


「へぇ……ヒト、しかもオスだなんて初めて見たわ」


 ダウンコートを脱いで───ついでに靴も脱いだが、履きっぱなしだったのには大層焦った───無地の長袖Tシャツ姿になった孝太を、ギンギツネがじっくり観察しながら言った。自分はヒトだと答えたことで、一気に興味を持たれてしまった。

 他人に至近距離でまじまじと見られるのは辛いものがある。自分は身なりにはさっぱり気を使っていないからだ。


「あの……そんなに見ないでもらえると助かります」


「あっ、ごめんなさい。珍しくてつい、ね」


 ありがたいことにギンギツネはパッと離れてくれた。

 もう少しおしゃれに注力すべきなのはわかっているのだが、自身の怠慢と諦めの心が改善を先伸ばしにし続けていた。今や変えようにも変える術がないので、怠けたツケはしばらくまとわりつくことになりそうだ。

 ヒゲは剃ってあるが、明日以降はどうしたものか……と自身の姿を省みて、孝太はようやく気付いたことがあった。



 眼鏡をかけていない。



「あれ? そういえば、眼鏡がない……」


 そう言いながら、眼鏡と言っても伝わらないだろうし何と説明したものか……と考えていたのだが、ギンギツネの返答は意外なものだった。


「メガネ、かけてたの? 見てないけれど……もしかしたら雪の中に埋もれてるかもしれないわね」


 孝太は驚いた。

 眼鏡のような道具はそれこそ伝わりにくいと思っていたが、ギンギツネ曰く、メガネをかけているフレンズがいるから知っていたそうだ。たしかに、メガネザルのフレンズなんかがいたなら文字通り眼鏡をかけていそうではある。

 それはさておき、自分は裸眼の状態では1メートルの距離でもぼやけて見えるはずなのだが、どうしたことだろうか。

 今の視界は至って鮮明であった。感動すら覚えるほどに。

 目覚めたら視力が回復しているなんて、自分はピーター・パーカーにでもなったのだろうか? 蜘蛛に咬まれるような環境ではなさそうだが……。


「無いと困るんじゃない? 探してくるわ」


 ギンギツネがスッと立ち上がる。

 彼女とはまだ一時間程度の付き合いだが、かなり優しく面倒見が良さそうな……そういった印象を受ける。

 しかし世話になりっぱなしなのは苦手だ。


「いえ、それくらいは自分で探します。えぇと、僕はどの辺に落ちたんですかね?」


 眼鏡が無くても見えているので探す必要はないのだが、それでも無くしっぱなしはあまり気持ちの良いものではない。

 気持ちの問題という理由もあって、彼女に頼らず自力で探そうと思っていたのだが、


「宿を出て右に進んでいくんだけど……う~ん、説明しにくいからやっぱり着いてきてちょうだい」


 結局、二人で探すことになった。見知らぬ土地だから案内が必要なのは当然なのだが、孝太は少し心苦しかった。




 脱いだコートを着直して、孝太は玄関を出た。宿周りの囲いから外に踏み出すと、辺りは一面の銀世界であった。

 しかし感動を覚えるより先に、想像以上の寒さに身体が震え上がった。

 とはいえリュックサックからは耳当てを、コートのポケットから手袋を、それぞれ取り出し装備しているのでまだマシではある。

 彼は冷え性であるため、冬場は人一倍荷物が増えるのだ。夏に落ちてこなくて本当に良かった……と孝太は痛感した。


「こっちよ。それにしても、ヒトはよく道具を使うっていうのは本当なのね」


 孝太の防寒装備を珍しがりながら、ギンギツネが方向を示す。彼女はというと、部屋に居たときと同じ格好だ。


 先ほど服の概念を説明した時、フレンズの彼女らは服のことを毛皮と考えていたことがわかった。であれば、ここでは着替えるという行為はまず起こり得ないのであろう。

 いや、夏毛や冬毛という言葉がある以上、動物も毛が生え変わることはあるはずだ。フレンズの服ではどうなるのだろうか……。

 そんなどうでもよさそうなことをフワフワ考えていたら、すぐに落下現場にたどり着いていた。


「そうそう、ここの穴よ。まだ大して時間が経ってないから、落ちているならすぐ見つかるんじゃないかしら」


 雪が比較的少ないけもの道の脇、腰ほどの高さまで積もる雪の中に、ぽっかり穴が開いていた。

 ふと孝太は空を仰ぎ見たが、そこには曇り空が広がっているだけだった。自分はいったい、どこから落ちたのだろう……。

 落とし物を探し始めるにあたって、うっかり眼鏡を踏んでは壊してしまうので、二人であまり動かず手探りで雪をかき分けることにした。

 しかし男の自分が丈夫な手袋をして雪に触れているのに、隣の女性は見るからに薄い手袋というこの構図は何かよろしくない気がする。

 なので、こちらの手袋使いますか?と聞いてみたのだが「慣れているから平気よ」とすっぱり返されてしまった。

 雪山の民はたくましい。


 そうしてザクザクと雪を除け続け、三分もかからない内に眼鏡のフレームが一部、その姿を見せた。

 雪に落ちる前に顔から外れたのか、穴の中ではなく、すぐ横に埋もれていた。


「───あっ! 見つかりました!」


「よかった。あなた、すっごい寒そうだし戻りましょうか」


 事実、探し始めてほんの数分だというのに寒くて寒くて手足が震えていた。防寒装備をしているとはいえ、これらは雪山用の道具ではないのだ。

 孝太は丁度飛び出ている眼鏡の耳かけの部分を持って、慎重に取り出そうとした。

 が、何かに引っ掛かっているのだろうか、引き抜く感触が重い。


 仕方がない。


 積もった雪を払いのけるため、孝太は雪に手を突っ込んだ。

 すると、何かぶにっとしたものに指が触れたのを手袋越しに感じた。


「ぅおっ!?」


 咄嗟に手を引き抜く。

 その手を追うように、ズボッと紫の何かが飛び出てきた。


 それはドーム状のグミのような形をしていた。さながらグレープグミ……しかし大きさはお菓子のそれではない。

 幅が30cm近くあり、グミと違って表面が今もざわざわ波打っている。極めつけに、体の中央に黒い瞳の一つ目が張り付いていた。


「なん……だ?」


 急な出会いに孝太は飛び上がるほど驚き、穴から二、三歩後ずさった。距離をとってよく見ると、そのスライムのような体に眼鏡が半分ほど飲み込まれていた。

 まさか、眼鏡を取り込もうとしているのか?


「それはセルリアンよ! 危ないから下がって!」


 突然、ギンギツネが叫んだ。

 えっ?と声の方向に顔を向けるも、彼女は既にけもの道にいなかった。

 声の主を探して辺りを見回す一瞬の間に、パキィンと氷を割るような音が聴こえた。


 音は謎の紫スライムの方からだ。


 そちらに向き直った瞬間、スライムの体は派手にボシュッ!と弾け飛んだ。

 きらめきを纏う虹色の小さなキューブが、呆然とする孝太のコートにぺしぺしとぶつかり、大気に溶けるように消えていく。

 スライムの爆心地には、いつの間にかギンギツネがいた。


「…えぇ!?」


 一拍遅れて、すっとんきょうな声が出た。何が起きたのか理解が追い付かない。

 目を白黒させてあたふたしている孝太を見て、真面目な顔をしていたギンギツネも思わず吹き出した。


「ふふっ、ごめんなさいね。言うのを後回しにしてたことがあったわ。今のはセルリアンっていうの。フレンズを襲う、とっても危ないやつらよ」


 ザクザクと雪をかき分け、ギンギツネはけもの道に戻ってきた。

 他に雪を通った跡がないことから、彼女はセルリアンまで大きくジャンプして倒したようだ。フレンズの身体能力はヒトを遥かに凌駕している、ということがよくわかった。

 寒さも忘れて立ち尽くす孝太に、ギンギツネはハイこれ、と眼鏡を手渡す。


「…あっ! ありがとうございます!」


 ゲル状、というほどの流体でもなかったが、あれの中に半分浸かっていたこの眼鏡、果たして大丈夫なのだろうか。

 しかしベタつきが残っているわけでも壊れているわけでもなさそうなので、孝太は耳当てをずらして眼鏡をかけた。


「セルリアンについては、宿に戻ってから話しましょう。そのあとは……温泉に入った方が良さそうね」


 セルリアンの出現でどこかに吹っ飛んでいた寒気が、再び戻ってきていた。

 既に身体の震えが止まらない。


 そういえば、視力が回復した後に眼鏡をかけても度が合わずに使えないものだと思っていたのだが、眼鏡ごしの雪景色はくっきりと見えている。

 孝太は不思議に思って、一旦眼鏡を外してみた。


「……んん?」


 世界が、ぼやけて見える。視力が回復したはずではなかったのか?

 今の今まで裸眼で見えていた光景は、いつの間にやら眼鏡越しの存在へと戻ってしまっていた。気のせいで起こる事には思えないのだが、それらしい理由など見当もつかない。

 今はわからないことを考えていても寒さが増すだけなので、孝太は歩きに注力することにした。


 やはり自分はスパイダーマンにはなれないな、などと自嘲しながら、孝太はギンギツネと共に温泉宿へと戻っていった。


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