第51話 牙を剥く

 セルリアンの残骸の撤去作業が続く、雨上がりの午後。


 うねるように枝葉を伸ばし、ロッジへの通路を覆う巨木たちの中に、鋭く光る目が六つ。

 太く頑丈な枝の上で、下方に広がる木々へ目と耳を向けているのは、二羽のフクロウと一匹のオオカミであった。


 六つの瞳に映るのは、青々と生い茂る木の葉のみ。だというのに、とある一点を注視する彼女らは、息をひそめてこそこそ、こそと言葉を交わす。


「……これのどこが面白いというのですか。空気が悪いったらありゃしないのです」


 はぁ…とため息をついて愚痴をこぼしたのは白いフクロウ、博士ことアフリカオオコノハズク。


「興味深いものが見れるかも、と言っただけだよ、私は」


 非難のこもった視線を向けられても、怯むことなくさらりと受け流したのはタイリクオオカミである。ピンとけもの耳を立てる彼女は、眼下の緑葉の向こう側へと意識を集中させていた。


「……はたして、聴いてていいのでしょうか、これは」


 もう一羽の茶色いフクロウ、助手のワシミミズクは、相変わらず表情を動かすことなく、しかし気まずい様子の声色でそう言った。




 三人が聞き耳を立てているのは、もちろんヒグマと孝太の会話である。


 いかにも大事な話がありそうな雰囲気を漂わせ、人目を避けて行った男女。

 知識欲の権化たるフクロウたちとオオカミが、そんな面白そう─────否、興味深い対象をみすみす逃すわけもなく。

 ヒグマに勘づかれることの無いよう、しっかり距離をはかって、彼女らは密かに二人の話を盗み聞きしていたのだった。




「─────あぁ、彼女はやはり……今もニホンオオカミのことを」


 話し声が途切れ、緑の壁の向こうが静かになったのと同時に、タイリクオオカミの口から独り言がこぼれ落ちた。それを聞き、博士はスッと平時の無表情に戻る。


「……あれがハンターになるきっかけです。忘れようにも忘れられないでしょう」


 下方の木々から視線を外し、博士はロッジの方へと身体を向けた。

 これ以上は聴かずともよいだろう。彼女の小さな背はそう言っていた。


「戻りましょうか、助手。あの様子では、少し間を開けなければ諸々聞き出せそうもありません」


「……ですね。とりあえず、視察とでも称して暇を潰すのが良さそうです」


 フクロウたちは片付けをサボる術について意見を交わし合いつつ、音もなく滑空していく。

 徐々に遠くなる二人の背を一瞥し、タイリクオオカミはふふっ、と微笑んだ。


 ほぼ同時に、ぴくりとけもの耳が反応する。向こうでヒグマが喋り出したのだ。

 一言一句聞き逃すまいと、タイリクオオカミは再び集中する。


 そうして数十秒の後、彼女は息を吐いて、また独り言をこぼした。


「…………ふぅむ。雨降って地固まる、ってところか」


 木々の向こうのやり取りは、どうにか一段落ついたようだった。

 ヒグマの満足げな「…よし」という言葉を耳にして、タイリクオオカミもすっくと立ち上がり、すばやく跳躍する。

 さっさと戻って、素知らぬ顔で彼らを迎えなければならないのだから。


「ふふ……わざわざ間を開ける必要もなさそうだよ、博士」


 枝から枝へ、紺色の影が舞う。

 愉しげな呟きと風を切る音だけを残し、木々には再び静寂が戻ったのだった。






「あっ! 噂をすれば、ですね~! 戻ってきましたよ~」


 巨木が取り囲む空中廊下を抜けると、なにやら吊り橋の向こうから元気な声が聞こえてきた。


「ん……お待ちかねみたいだな」


 橋の手前で歩みを止めて、ヒグマがこちらを横目で見る。先の声はアリツカゲラのようだが、見ると彼女の隣には見慣れないフレンズが二人いた。

 どちらも女学生のような服装だが、片やカーディガンに黒スカート、片や半袖シャツに赤チェックのスカートと、見事に正反対である。


「あの、あちらの二人は……?」


「黒いのがヘラジカで、赤白のがライオン。二人とも最前線で戦ってくれた強いフレンズだ」


 ヒグマの簡潔な紹介を受け、孝太はなるほどと納得した。

 カーディガンの女性の頭からはヘラ状に広がった一対の角が伸びていたし、夏服女子高生の金髪はタテガミかと見まがうほどの毛量である。

 言われてみれば、これほどわかりやすいシンボル───ヘラジカについては名前しか知らないが───もそうそうないだろう。


「……すごい振ってますね、手」


 存在感のある彼女らの後ろで、アリツカゲラが一生懸命背伸びして、こちらへぶんぶんと手を振っているのが見える。


「客自慢か何かわからんが、誇らしいのかもしれんな」


 ふっ、と口の端に笑みを浮かべると、ヒグマは腕を組んで吊り橋を支える杭へと寄りかかった。


「行ってやれ。ヘラジカも会いたがってたしな」


「はぁ」


 道を譲られ、孝太は少し戸惑いながらも歩き出す。胸の内にちょっぴり嫌な予感も抱えて。


 橋の先で振り返って、ぱぁっと顔を輝かせるヘラジカを見て、孝太は雪山でのカムチャマ─────カムチャッカオオヒグマとの出会いを思い出していた。

 ああいった、超がつくほどに明るく元気なフレンズの再来であったらどうしたものか。

 それもこちらに会いたいとくれば、面倒事の匂いしかしない。困った……。



 そんな重い足取りが、吊り橋の中間に差し掛かった時。


 孝太の予感はまたしても的中したのだった。



「やあやあ、コータとやら! さっそく手合わせ願おうか!!」


 馬鹿でかい大声でもってヘラジカはそう宣言すると、いきなりまっすぐ突っ込んできた。


「…えっ!?」


「ちょ、ヘラジカさん!?」


 孝太とアリツカゲラが同時に驚く。その一瞬の間にもヘラジカは前へ前へと突き進む。


「セルリアンを単身討伐したその腕前、私にも見せてくれ!」


 ドスドスドスと迫る巨体───実際、孝太以上の高身長である───は、さながら重戦車の如く。

 刹那、ヘラジカの右手に七色の光が収束。その輝きは両刃のナギナタめいたものを瞬時に形作る。

 得物を携え、不敵に笑う彼女はあっという間に距離をつめ───────


「うわっ!」


 己を守るための両手が反射的に前へ出て、孝太は一歩後ずさる。



 ぶ……ぶつかる!



 おいっ!と叫んでライオンが駆け出す姿も見えたが、もはや間に合う距離ではなく。



「でやあああぁぁぁーーっ!!」



 雄叫びと共に、ヘラジカの強靭な体当たりが炸裂した。

 

「ああっ…!」


 思わず口に手を当てて、アリツカゲラは悲痛な面持ちを浮かべる。当然それは、哀れなヒトの身を案じてのことだった。


 しかしその表情はすぐに驚きへと変わる。


「むう…っ!」


 ヘラジカの体当たりは当たった。

 それは確かだったのだが、クリーンヒットとは言い難かった。

 真正面からの突撃は、当たると同時に後方へ倒れ込んだ対象のせいで、両者橋になだれ込む格好となっていた。

 一見すると、孝太が体当たりの勢いに負けて倒れただけのように映る。が、それを見たライオンは、トットッ、トッ…と走りを弱めながら呟く。


「勢いを殺したのか~…………けど」


 彼女はスッ、と真剣な眼差しに変わると、続く言葉をヘラジカにまかせた。


「笑止! 上を取られては終わりだぞッ!」


 ドカッ、と板に背を打った孝太に馬乗りとなって、ヘラジカは己が角を模した得物をヒトへ突き付ける。


「……………………」


 下敷きとなった孝太は一言も発さない。



 ─────だが。



 ギラギラと輝く金の瞳は、自分を組み伏すヘラジカを強くにらみつけていて、


「ぬう!?」


 不意に飛び出した左手が、ナギナタの角の部分をがしりと力強く掴んだ。


「…………ッ!!」


 血管の浮き出た左手は、ぶるぶると震えながらも徐々に徐々に持ち上がっていく。得物をゆっくりと押し返す、その万力のような腕力にヘラジカは舌を巻いた。


「おお、さすが! やるではない…………か…?」 


 しかし、言葉の途中で彼女は気付く。



 得物の角を掴むその手に、赤い液体がにじんでいることに。



「おい、やりすぎだ! 二人とも離れろ!」


 倒れ込む二人へ声がかかる。

 声の主は、異常を察知して駆け付けたヒグマだった。


「は、離れたいのは……やまやまだがッ!」


 組み伏す姿勢のまま、ヘラジカが額に汗を浮かべる。今や彼女は得物を突き付けるのではなく、逆に持ち上げようとしていた。

 だが、異様な力のこもった左手がそれを許さない。


「聞こえてるだろッ! 手を離せ!」


 ヒグマの呼びかけが聞こえていないのか、孝太は彼女のことを一瞥すらせず、ひたすら目の前の『敵』を見据えていた。

 爛々と輝く瞳には、よく見知った七色の光が宿っていて──────


「…………角が……!」


 ヘラジカが目を見張る。

 ナギナタの角が、孝太の左手が掴むヘラ状の刃が、ピキピキと音を立ててひび割れていく。

 溢れ出した血液は左手首を濡らし、けものたちの嗅覚がそのにおいを捉えると、場の空気が一変した。


「ば、馬鹿野郎っ!! お前……らしくないぞ!?」


 あわてて膝をついて、ヒグマは孝太を覗き込む。

 やはり反応のない孝太に対して、ヒグマは両手でその頬を掴むと、無理やり自分の方へ顔を向けさせた。


「なんで──────……!?」


 瞬間、ヒグマは彼の目に『敵意』を見た。



 なぜ? どうしてここまで過剰に、剥き出しにする?


 さっきまでそんな素振りはどこにもなかったってのに、今のこの目はなんだ……!?

 


 そして、初めてまじまじと覗き込むことで、ヒグマは気付いたことがあった。




 こいつ……こんな目だったか……?




「ヘラジカ! 武器をしまいな! 消しちまえばいい!」


 ヘラジカの背後から、鶴の一声ならぬ獅子の一声がかかった。いつの間にかライオンとアリツカゲラがやって来ていたのだ。


「そうか! その手があったな!」


 ハッとして、ヘラジカはすぐさま手元に集中する。彼女の念が伝わり、崩壊寸前だった角ごとナギナタは霧散した。

 と同時に、角を掴んでいた孝太の手も空を握る。


「ふぅ……なんとか大事には至らなかった……だろうか」


 裾で冷や汗を拭って、ヘラジカは恐る恐る立ち上がった。

 敵意の対象が消え、離れたからか、倒れたままの孝太もパタリと腕を下ろす。


「まったく……これに懲りたら誰彼かまわず『手合わせしろー!』ってするの、やめた方がいいよ~?」


 今回はちょいと特殊だったけどさ、と付け加え、ライオンは深々とため息をついた。


「おい……コータ! 私が見えるか…!?」


 強張っていた身体から、力が抜け出ていく。間近で触れていたヒグマにはそれがよくわかった。

 故にもしかしたらと考えて、彼女は何度も呼びかける。それが伝わったのか、孝太の目がにわかに動き始めた。


 気付けば、あの一点をにらみつけ、敵意を剥き出しにしていた瞳は消え失せていた。


「…………ヒグマ…さん?」


 孝太の口から、ついに言葉が発せられた。


「……!! やっと……気付いたか」


 ふぅ…と長い息を吐き、ヒグマはがくりとうなだれながらも安堵する。


「……え、な、どうしたん…ですか……? あれ……!?」


 我にかえって、すぐに孝太の目が泳ぎ出した。それを見てヒグマは、ああ昨日今日のあのコータだ、と再認識する。

 顔を覗き込む格好のままで、互いの距離が近すぎるが故に孝太はあわてているのだが、今のヒグマはそこまで気が回らなかった。



 目は覚めたようだが、こいつ……自覚していないのか……?



 と、博士と助手が大慌てで飛んできた。島の長としてトラブルに向き合うことの多い二人だけに、騒動の気配には人一倍敏感である。


「なんですかなんですか、これは何の騒ぎです?」


 加えて、ロッジの中から「おやおやおやおや、痴情のもつれかい?」とタイリクオオカミも出て来た。

 更に更に、屋根上からはキンシコウとハシビロコウもひょっこり顔を出す。


 何も知らない野次馬が急増し、かつそれらの目線が一身に注がれることで、ようやくヒグマは孝太の目が泳いだ真意を理解した。


「いや!! 違う!! や、それよりこいつが怪我をしちまって──────」


 ヒグマは猛烈な勢いで距離をとって、それどころではないのだ、と強く主張する。

 もちろん野次馬たちには逆効果に映ったのだが、孝太が血を流していることがわかると、そういった下世話な(?)感情は皆どこかへすっ飛んでいってしまったのだった。







 ─────時を同じくして。


 島の中央にそびえる火山の奥底にて、巨大な何かが蠢いていた。


 裂け目からのぞいた溶岩が照らす、広大な大空洞の中。

 不気味に蠢くそれは、樹木か柱か、大きな鍾乳石か。いずれにせよ、動くこと自体が不釣り合いな形状をしていた。



『そろそろ……か───────……』



 もぞもぞ、ぐにゅぐにゅ。

 そんな音さえ聞こえてきそうな蠢きを経て、大きなそれからぬるりと、全く異なる形の何かが産まれ落ちた。

 べちゃりと地に落ちたものは、徐々に、ゆっくりと、自らの足で体を支えるべく起き上がる。

 ドス……ドス……と重い足音を立てて、新たなる生命は早くも歩き出した。


 長く鋭い尻尾を己の意思で動かし、ぴっちり閉じていた翼膜をバサリと広げ。


 甲高く、だがいまだ弱々しい鳴き声を空洞内に響かせると、その細長い頭に張り付いたひとつ目がパチリと開いた。

 溶岩に照らされたその姿は、翼竜と称しても差し支えのないフォルムをしていた。



『力を──────……』



 大空洞に、翼竜のものとは異なる重低音が響く。

 すると、上を見上げた翼竜のもとへ、天井から一筋のきらめく雫がしたたり落ちた。

 雫は真下にある細長い頭部へと吸い込まれ──────




 ほの暗い地の底で、大気をつんざく咆哮がこだました。


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