第22話 熊が来た
空に灰色の雲がかかり、辺りが少し吹雪き始めた荒れ模様の朝。
今日も狂いなき腹時計によって、三匹のけものがヒトの部屋へと集まってきた。たとえ天候がどうであろうと、住居に暮らす四人の食事の時間は揺るぎない。
外には風のうねりが起こす吹雪の音色、内には他愛ない会話によるコミュニケーションの音色。
そんな折、『彼女』はやってきた。
ガラッ!!
───ピシャッ!!
「……ん! 誰か……来たみたいね」
「えっ?」
玄関の戸が勢いよく開閉された音を、ギンギツネのけもの耳が捉えた。
その音はキタキツネとカピバラにも聞こえたようだが、ただ一人孝太の耳にだけは届いていなかった。
けものたちの耳は、ズン、ズン、ズンという力強い足音も拾い始めた。
「キタキツネ~っ! ギンギツネ~っ! いる~!?」
廊下を伝って、やたら元気いっぱいな声が聞こえてくる。
ざわつく三人に戸惑っていた孝太も、ようやく状況を理解した。きっと二人の知り合いのフレンズが訪ねてきたのだろう。
「この声……誰だったっけ?」
「んー……カムチャマね。ほら、クマの」
「あぁ…」
二人の口ぶりから察するに、急な来訪者とは久しく会っていないようだ。
それにしても『カムチャマ』とは……?
十中八九あだ名であろうが、そんな変わった名前が付くような熊は知らない。
孝太が頭上にクエスチョンマークを浮かべている間に、ギンギツネはふすまから廊下へ顔を出した。
「こっちー! こっちよー!」
彼女が声を張り上げて返事をすると、すぐにドタドタという足音が近付いてきた。
聞こえ始めは普通の足音のみだったのだが、だんだんと物々しい振動までもが部屋に伝わってきた。異様な迫力に、孝太は失礼と思いつつも相撲取りのような人物像を思い浮かべた。
クマといえば重量級のイメージなので、やはり縦にも横にも大きいのだろうか……?
世界には大小様々な動物がいるのだから、太ったフレンズがいても何もおかしいことはない。
そうやって己に言い聞かせていた孝太だったが、勝手な想像はすぐに取り下げることとなった。
「ひっぐま~ん♪ おっはよ~!!」
甲高い声と共にふすまの向こうから現れたのは、ピンクのリボンと白いフリルに身を包む、かわいさ全開! …という雰囲気の女性だった。
黒と灰色の混ざった、ウェーブがかった長い髪の毛。シンプルなメイド服のような装いは、白とピンクの優しげな色合いをしている。そんな派手目なシルエットとは裏腹に、その瞳はどこか焦点が定まっていないような────そんな、不思議な印象を受けた。
そしてなにより、とても身長が高い。まず間違いなく180cmを越えていて、横に並ぶギンギツネとは頭ひとつ分は違うのではなかろうか。
また、直前のイメージと異なり太ってはおらず───身体の肉付きはよいが───それどころか場の誰よりもスタイルが良さそうに見える。やってきた時の重い圧はなんだったのだろうか?
おまけにアイドルなんかがやりそうな、あざとい決めポーズまでとっている。髪や服に残る雪のカケラも蒸発してしまいそうなほどに、明朗快活なフレンズだ。
「相変わらず元気だね……」
あまりの眩しさに、キタキツネは少々引き気味だ。
「そういうキタキツネも相変わらずテンション低いね~。声は大きく華やかに──って、なにやら知らないフレンズが二人……!?」
彼女は「むむっ!」と口に出しつつ、大きな目を細めて前のめりな姿勢をとった。
何をやるにも大きな一挙手一投足をするのが彼女の癖なのだろうか?
「あぁ……そりゃカムチャマは知らないわよね。こっちはカピバラ、あっちはコータっていうの」
横からギンギツネが説明する。彼女に手で示され、カピバラは「どうもだねねね」と会釈し、孝太は「はじめまして」と無難な挨拶をした。
それを見たカムチャマも、負けじと強烈な自己紹介を返してきた。
「わぁ~! はじめまして! おっきーものは何でもリスペクト♡ カムチャッカオオヒグマだよ~ん♪」
彼女は手に持った熊手───文字通り、人の頭ほどある熊の手が付いた棒───に体重をかけて、第二の決めポーズをビシッ!ときめた。
「リスペクト♡」の部分では手でハートを作り、最後には投げキッスめいたコテコテのアピールまで披露してくれた。
「あっ! ボクりん名前長いからカムチャマって呼んでね♡ よろしく~!」
壇上のアイドルかの如く前で手を振る彼女に、カピバラはパチパチと拍手をし、孝太もすかさず空気を読んで右にならった。
が、明らかに苦手なタイプと思われるカムチャマを前にして、孝太は内心どうしたものかと考えあぐねていた。猪突猛進なタイプと、この手のあざとさ溢れるぶりっ子タイプは、彼が最も苦手とする存在であった。
前者はともかくとして、彼はぶりっ子とは出会った経験がなかったため、接し方がわからなかった。
「それで、どうしたの? こんな吹雪の中」
「吹雪だからこそだよ~! 急に風が強くなるから、あま……雪宿り?に来たの! ボクりん今日は、噂の新生ペパプをリサーチしに行きたかったのに~」
「……ペパプ?」
ポツリと、孝太の口からオウム返しに疑問が漏れ出た。新生やらリサーチやらの単語から推察するに、フレンズが襲名するような何かがあるのだろうか。
そんな小さな独り言を、カムチャマの熊耳は聞き逃さなかった。
「え~っ!? PPP知らないのー!?」
ギンギツネから孝太の方へと、カムチャマの頭が勢いよく方向転換する。その表情には素直な驚きと、獲物を見つけたような喜びとが同居していた。
「あぁ……コータは知らなくて当然だよ。だって、パークじゃないところからやってきた『ヒト』だもん」
キタキツネが、なぜか自慢気に助け舟を出した。……が、その言葉はカムチャマの更なるスイッチを押すこととなった。
「ひ……ヒト~!? ヒトってあのー!?」
「えっ…と、まあ、はい。…ヒトです」
食い付きの二連撃をもらった孝太は、たじたじの体で答えた。
素早く目の前に迫ってきたカムチャマは、高身長も相まって威圧感が凄く、色々とでかい。畳に座る孝太の目線は、否応なしに引き付けられた。
「おやおや、コータくん…。そんなバッチリ目移りしちゃっていいのかねねね~?」
ニヤついた顔のカピバラが、小声で耳打ちしてきた。妙に含みのある言い方に孝太は焦り、視界を覆うものから即座に目を逸らす。
「な、何のことですか…? …いや、目移りっていったい───」
しどろもどろの言葉を並べ始めた瞬間、彼の両肩は力強くガシリと掴まれた。
「ねぇねぇ、ヒトってさ! 色々なんか……こう、あれがアレでスゴいんでしょ~!?」
カムチャマからひどく大雑把な関心を向けられた孝太は、肩ごと全身をガクガクと揺さぶられる。
キタキツネのあの牽引力が可愛らしく思えるほどのパワーを受けて、孝太は朝っぱらからグロッキーになりそうだった。
次々に飛んでくる疑問 質問 尋問と、PPPの解説フルコース。
全てが特大なカムチャッカオオヒグマのワンマンショーは、孝太を観客にお昼頃まで続く羽目になった。
急なお客も加わって、五人がジャパリまん───いつもより二個多く特注された───を食べ終えた昼下がり。
やっとのことで解放された孝太がトイレへと向かい、カピバラはお風呂に入ろうと部屋を出ていった。残されたキツネたちは、携帯ゲームを時間交代制にするか否かの話し合いを始めていた。
先刻からゲーム機に興味を示していたカムチャマは、何かを思い立ったのか、熱く議論するキツネたちを尻目に廊下へと歩み出た。
そして彼女は、追う者の匂いと足音を頼りに、女湯の入り口へと辿り着いた。
「カピバラ~? いる~?」
L字路からひょこっと顔を出したカムチャマは、服を脱ごうとしていたカピバラをすぐに見つけた。
「ん~? カムチャマ、どうかしたのかねねね? あっ、もしかしてお風呂かな?」
既に彼女の接近を足音で察知していたらしく、カピバラは特別驚くこともなく会話を始めた。
「そっかぁ、ここ温泉があるんだっけ。じゃあ、話はお風呂に入りながらにしよー♪」
「そうそう、のんびりゆっくり浸かりながらね~」
お風呂を前にして上機嫌なカピバラは、慣れた手つきでボタンを外していき、服を脱ぎ始めた。その光景を見たカムチャマは、目を丸くして驚く。
「え!? け、毛皮が~っ!?」
「あっ…そ、そうだったよよよ。これは『服』って言ってだねねね……」
それから十分後。
少々吹雪いているのも気に留めず、湯船に浸かってのんびりする肌色のけものが二匹。
カピバラに教わって服の概念を知り、一時毛皮を脱ぎ捨てたカムチャマは、地肌でお湯に浸かる快楽を享受していた。隣ではカピバラも同様にのびている。
「ふぃ~…。───で、話ってなにかな?」
スッと切り出したカピバラは、細目をちょっぴり開いて横を見た。
互いに服を脱いで並ぶと、余計に両者のサイズ差は際立った。身長然り、諸々然り。
「あ…忘れてた~! そう、ボクりんが聴きたいのはコータくんのことなんだけどー」
ザバッと向きを変えて、カムチャマは彼女の目を見つめ返す。
「もしかしてなんだけどさー……コータくんって、好きな子いるんじゃない?」
その言葉を聞いたカピバラは、けもの耳をピンと立てて、瞳を大きく見開いた。
孝太の治癒を目の当たりにした昨日に引き続きの衝撃。だがしかしその指摘は、カピバラにとって更なる驚愕であった。
「カムチャマ……気付くの早いねねね…!」
「いやぁ~、そう思ったのはカピバラのせい……? や、おかげだよ~! ボクりんがコータくんに詰め寄った時、カピバラ言ってたじゃ~ん♪ 目移りしていいのってさ♡」
湯に浮かぶ自身の長い髪をクルクルと指に巻きながら、カムチャマは楽しげに話す。
「最初は気にしてなかったけど、後からコータくんがオス───男、だっけ? そう聞いてから、あれ?って気付いたんだ~!」
カムチャマが察するに至った経緯を聞き、その推理に感心したカピバラはうんうんと頷いていた。
「おぉ~、ちゃんと聞いてたんだねねね。しばらく一緒にいるはずのキタキツネなんて、まるで気付いてないんだよよよ……」
「あ~…まぁ、気が付かなさそうだよね~。すっごい気まぐれだし、キツネなのにネコみたい」
それなりに長い付き合いのカピバラも、その例え方にはいたく共感した。
かつて温暖な地方にいた頃に出会ったネコ科の多くは、自分より遥かに気まぐれな存在だ、という認識をカピバラも持っていた。
「……ね、だからさ。ボクたちでコータくんを後押ししてみない~? 仲を取り持つってヤ・ツ♪ キャーッ♡」
自分で言っておきながら、カムチャマはひとりバシャバシャと水しぶきを上げ、子熊のようにはしゃいでいる。
その提案を聞いて、静かに天を仰いでいるカピバラの態度は冷えきって───いるはずもなく、すぐにサムズアップを返した。
「ふふっ……その話、乗ったよよよ…!」
「いいね~話がわかるね~♪ そうと決まれば作戦かーーーいぎ!! まずは────」
当事者の預かり知らぬところで勝手にヒートアップし始めた、二匹の共謀者たち。
盛り上がりすぎて長々と話し込んだ彼女らは、なかなか戻ってこないのを不思議に思ったギンギツネによって、二人仲良くのぼせた状態で発見されたのだった。
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