第21話 自覚する


 眠ってから、どれくらい経っただろうか。


 見慣れた部屋の天井が、孝太の視界に映った。ぼやけた聴覚が少しずつ辺りを探り始めると、ポチポチ、カチカチといったボタンを押す音が聴こえてくる。

 枕元に無造作に転がっていた眼鏡を手に取り、孝太はゆっくりと上体を起こした。横を向くと、体育座りを崩したような格好のギンギツネが、壁に寄りかかりながらゲームをしているのが見えた。

 彼女はイヤホンをヒトと同じ耳へと付け、熱心に3DSへと向き合っていた。が、すぐに大きなけもの耳がピクリと反応し、ギンギツネはこちらの起床に感づいた。


「──起きた? お昼のジャパリまん、そこにあるから」


 彼女はチラリと横目で孝太を見ると、部屋の真ん中辺りに置かれたカゴを指差した。

 ラッキービーストが置いていったであろうそのカゴには、茶色のジャパリまんが二つ残っている。


「…あぁ、もうそんな時間だったんですね」


 孝太はあくびをしつつ起き上がった。

 まずは口をすすいだり、顔を洗ったりしないと、起き抜けでは食べる気にはなれない。脱衣所の洗面台まで行こう、そう考えてゆっくりと歩き出した孝太は、ふと気付いた。

 ラッキービーストがいない。

 彼はジャパリまんを持ってくる時以外は、大抵この部屋で置物と化しているものだが。別に自分が常駐を命じたわけではないが、宿に他の客がいない今、彼は接客および給仕の仕事を忠実にこなしているだけなのだろう。

 今は彼がいなくても、正確な時刻がすぐにわからない、という程度でしか困る(?)ことがないのだ。

 ただ生きるだけの自分と違って、彼は他にもやることが多々あるだろうし、特に詮索することもなかろう。


 部屋を出た孝太は、日中だというのに相も変わらず冷たく寒い廊下を進む。

 雪山の宿だから当たり前で仕方のないことなのだが、常にダウンコートが手放せないのはここの厄介なところだ。

 のそのそ歩き続ける孝太は、分岐路にさしかかった際、進行方向に奇妙なものを見た。


「………なんだ、あれ」


 数メートル先から板状の何かが、床と平行な状態でこちらへ向かってくる。

 一定のリズムで小刻みに揺れるそれは、よく見ると脱衣所と浴場を隔てるあの引き戸だった。一週間前にセルリアンが壊した箇所の破損具合から、一目瞭然だ。更に引き戸が近付いてくるにつれて、孝太はその下で頑張る小さなけもの達の存在にも気付いた。

 戸を運搬しているのは、見知らぬラッキービースト達だ。

 いつも見ている紫チックな彼とは違って、目の前の彼らは白とオレンジのカラーリングをしている。そのボディには、いかにも開閉しそうな四角の溝や、細かな汚れとキズが数多く見えた。

 それらから推察するに、彼らは修理や工事専用のラッキービーストなのかもしれない。

 ザッ、ザッ、ザッ、と統率のとれた軍隊のように進む彼らは、壁際に避けた孝太を一瞥することもなく通り過ぎていく。……実際には聞き慣れたピョコピョコ音がするだけで、微笑ましい光景でしかないのだが。


「……取り替えてくれたのかな」


 寡黙な仕事人たちを見送って、孝太は男湯の脱衣所へ入っていった。

 洗面台を使うだけならば、事故の起きない男湯側を利用するのが彼の日常であった。





「ねぇ……この子って、どうやって捕まえるの?」


 ジャパリまん・味噌ダレ風味を食べ終えた孝太の横に、ススッとギンギツネが寄ってきた。ポケモンをプレイしている時の彼女は、いつもこうして何かしらを尋ねてくる。

 こちらに向けられた3DSの画面には、ポケモン図鑑が映っていた。


「あっ、そいつは……通信進化でないと手に入らないんですよ」


「つーしん進化? ってどうやるのかしら」


 困った。

 通信進化は、ゲーム機一台では行えないのだ。これがあるため、一人プレイでは涙を呑んで諦めざるをえないポケモンがそこそこ存在する。今彼女が遊んでいる『Y』では、かなりの数のポケモンが登場するため、そういった事態に直面するのはよくあることだ。

 何も知らずに連れていた子───なのだろうか?───が実は永久に進化できないと知らされたら、彼女は悲しむだろうか…?

 とはいえ、隠したり誤魔化したりしてもこの先 解決のしようがないので、孝太は腹を括った。


「その…ゲーム機ひとつでは、通信はできないんです。だから、残念ですけどフレフワンは手に入らないんです…」


「えっ……そんなこともあるのね」


 恐る恐る事実を伝えた孝太は、そっとギンギツネの様子を窺った。パッと見たところ、確かに彼女は残念そうではあったが、そこまで大きなショックは受けていないようだ。

 画面に映ったギンギツネの手持ちポケモンを見ると、フレフワンの進化前であるシュシュプはいなかった。彼女がかつての自分と同じ道を辿らずに済んだことに、孝太はホッと胸を撫で下ろした。


 そして同時に、孝太は今更ながら、ギンギツネとの距離が物理的にとても近いことに気がついた。今にも肩が触れ合いそうな距離感に、孝太の全身に遅れて緊張が走る。

 己の嗅覚が、彼女から無自覚なまま発せられる女性特有の匂いまでも検知し始めた。


「────あの…」


「そうだ。もしかして、この子も……?」


 何を言おうとしたのか自分自身よくわからなかったが、出かかった言葉は新たな質問によってすぐに遮られてしまった。

 その上、二人の距離は更に近付き、彼女の肩が孝太の右腕へと軽く触れた。彼の身体がビクッと小さく跳ねる。


「あ、え、えーと……。コジョフーは、進化するのがかなり遅いだけで……まだ、もう少しかかるけど、大丈夫ですよ」


「そうなの? よかった~。かわいいから連れてるんだけど、一向に進化しないからどうしたのかと思ったわ」


 朗らかな笑みを浮かべた彼女は、「じゃあこれは?」と、次々に手持ちのメンバーや預けてあるポケモンについて尋ねてくる。

 ギクシャクしていた孝太だったが、持ち前のトレーナー知識でもって、矢継ぎ早な質問にも何とかついていけた。

 ガチガチの緊張とは裏腹に、彼は内心、この時間がずっと続けばいいのに……などと思っていた。


「……どうかした? 顔、赤いけど」


 ほとんど寄り添う状態のギンギツネが、こちらを向いた。隣り合うヒトを見つめる彼女の顔は、元々の美しさ以上に輝いて見える。眼鏡越しの孝太の目には、確かにそう映っていた。

 それはつまり、自分の心にとある強力なフィルターが───まさに『色眼鏡』がかかりつつあることを示していた。

 数日前からなんとなく感じてはいたが、そうだ……これはやはり……


「───あっ。そ、あ、えっと……!」


 ピャッと跳ねるように、突然ギンギツネが距離をとった。接近しすぎていたことに、ようやく彼女も気付いたようだった。




 い、いつの間にかこんなに近づいてたなんて……!


 ギンギツネは心の中で、無防備にもヒトのオスへと急接近していた自分を叱咤した。

 別に悪いことをしたわけでもないのに、自然と己への叱咤が起きていた。何故なのかは自分でもわかっていないのが不思議だった。


 落ち着くのよ、私……。

 コータがオスだって意識しすぎないよう、今日まで努めてきたじゃない……!

 メスがいればオスもいる……それは普通のこと……!

 何も焦ること、ないじゃない。


 スーッと気を落ち着かせたギンギツネは、無意識に孝太へ背を向けていた自分に気付いて、努めて平常心で彼へと向き直った。

 さして変わらぬ姿勢の彼を見たギンギツネは、私、やっぱり意識しすぎかも……と内省した。


「ご、ごめんなさい。別に……コータが嫌いとか、そういうのじゃないのよ」


「そんな……謝るのは、こっちの方ですよ」


 彼は一瞬伏し目になり、申し訳なさそうにはにかんだ。表情は笑ってはいるが、彼の目はどこか、暗いものを宿しているように見える。


「なんでコータが謝るの…?」


「えっ? あ、いや、何でもない、何でもないですよ…!」


 あはは、と笑う彼の真意は、私には量りかねた。飛び退いたのは私なのに、コータが謝るのはなぜなのだろう。しかし、ここであんまり踏み込んでも、余計にオスを意識してしまって自ら火傷しかねない。

 私は先ほどまでの雰囲気に帰るべく、調子を戻すことにした。


「あっ、そうそう! これから新しいジムリーダーと闘うんだけど─────」





 それからは特に何事もなく、いつも通りの時間が過ぎていった。

 夕日が沈み、夜になろうか、というところでラッキービーストが四人分のジャパリまんを運んでくる。どこまでも普段と大差ない、日常の夕御飯の風景。

 そんな中でも、孝太はふとギンギツネを目で追っている自分に気付く。すぐさま視線を外しては、誰にも勘づかれていないか、と緊張すること幾ばくか。己の不自然な行動の原因は、孝太自身、既に見当がついていた。



 日々を共に過ごす内に、いつの間にか彼は、ギンギツネに好意を寄せていたのだった。


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