第10話 誘い込む


「…よし! それじゃあ探してくるわ。私はこっちから、キタキツネはあっちからね!」


「うん…!」


 ギンギツネは大広間のふすまを開けて、早足で廊下に出ていった。

 続けてボクも振り返り、ギンギツネとは反対方向のふすまから駆け出した。

 セルリアン探しの始まりだ。


「まずはっ……!」


 大広間の周囲は既に捜索済みだから、ボクはひとまず宿の端へと向かうことにした。端から中央へ、順々にしらみ潰しに探した方が確実だ。とにかく、どこかに潜むセルリアンに接近を悟られないよう慎重に動かなくては……。

 キタキツネは足音に注意して、静かに、ゆっくりと歩き出した。大広間の廊下から分岐路を左に曲がり、彼女は休憩所へと向かう。


 キタキツネが進むこの廊下には扉やふすまがいくつかあるが、そのどれもが普段通り閉まったままだった。あのセルリアンはお風呂場から引き戸を壊して入ってきたので、おそらく扉やふすまの開け閉めは出来ないのだろう。であれば、入り口が壊れていない部屋にアイツはいないと考えていいはずだ。

 仮に他のどこにも見つからず、各部屋を探すことになったとしても、皆で集まってから調べればいい話だ。

 そう考えたキタキツネは、脇目も振らず廊下を一直線に歩いていった。



「ゲームは…壊れてない。よかった…」


 すぐに宿の端の休憩所に着いたキタキツネは、筐体の無事を確認して安堵した。

 苦楽を共にしてきたこのゲームが壊されたなら、ボクは大泣きする自信がある。セルリアンがわざわざゲームだけ壊したりなんてしなさそうだけど。

 ホッと胸を撫で下ろしたキタキツネは、そのまま室内を一通り見回った。

 筐体の裏側、ごみ箱の中、天井、縁側から見える範囲の壁面………


「……いない」


 最後に残ったテレビの裏側をのぞき見て、キタキツネは小さく呟いた。

 嬉しいような、残念なような……いいや、きっと良いことのはずだ。万が一セルリアンがここにいたら、光でゲームが壊されてしまうかもしれないのだから。

 前向きに事を捉え直したキタキツネは、通ってきた廊下に戻っていった。


 今度は途中で道を曲がって、温泉の方に行ってみよう。カピバラが服を取りに行った時はいなかったようだけど、少し時間を置いたから、セルリアンは元の鏡の位置に戻っているかもしれない。

 それに、こっち側の廊下はギンギツネに無理やり連れてこられた時の通路で、コータを背負って逃げた方向とは反対の道だ。逃げた先でカピバラと会って、その後に彼女が服を回収してきたということは、彼女もこちら側の廊下を通っていない可能性が高い。

 つまりここは、セルリアンが現れてからは誰も通っていない未踏破の通路だ。今度こそ奴がいるかもしれない……。未探索のエリアに敵が潜んでいたなんて、ゲームでもよくあることだ。

 薄暗い廊下を前にして、デッキブラシを握る手にグッと力が入り、その緊張がキタキツネの鼓動を高鳴らせる。

 だいじょうぶ、見つけたらすぐに声を出して逃げるんだ。野生解放をすればアイツは追いつけないんだから、光にだけ気を付ければ何とでもなる。


「ふぅーっ………。よし、行こう…!」


 胸の高鳴りを深呼吸で抑えて、キタキツネは未踏破エリアへと歩を進めた。

 この廊下は、左側にふすまを挟んで部屋が二つある……ただそれだけの通路だ。右の壁の向こう側は外であり、廊下の手前と奥にある小さな窓からは雪景色が覗ける造りになっていた。

 パッと見る限り、左のふすまは破られておらず、天井にコウモリが逆さにぶら下がっていたりもしない。どうやらこの廊下にもセルリアンはいないようだ。このまま歩いて曲がり角を左に進めば、お風呂場の入り口が見えてくるだろう。とすると、いったい奴はどこに隠れているのだろう? ギンギツネからの発見報告も、依然として聴こえてこない。

 もしかすると相手も移動していて、偶然進行ルートが被っていないのかもしれない。

 曲がり角からお風呂場方面を確認したら、一旦引き返して逆順に回ってみよう……そう考えたキタキツネは、奥の窓横を通りすぎて曲がり角に差し掛かった。

 …が、何かがおかしい。違和感を感じて彼女は振り返った。


 窓から、雪景色が見えていない。それどころか窓には振り向く自分の顔が映っていた。まるで鏡を見ているかのように────


「…ッ! セルリアン! 見つけたよっ!」


 大きく声を張り上げながら、反射的に身体が動いていた。

 キタキツネは後ろへ飛び退いて、咄嗟に曲がり角に姿を隠した。その瞬間、廊下は閃光に包まれた。


 ───ピシュン!


 また、あの音が聴こえた。

 と同時に、眼前の壁の角がボゴォッ!と手のひら大に崩れ落ちた。その様を見て、キタキツネは全身の毛が逆立つのを感じた。

 危ないところだった…! もう少し気付くのが遅れていたら、頭をやられていたかもしれない。


「そうだ、野生…解放……!」


 全身に力がみなぎっていく。

 早くも攻撃された今、出し惜しみをしている場合ではない。奴を見つけたからには、ボクの役目は大広間までセルリアンを連れていくことだ。さっきの声を聞いて、今頃ギンギツネも大広間に向かっているだろう。

 破壊された壁の凹み越しに、キタキツネは恐る恐る窓を覗き見た。窓枠にすっぽりと収まって獲物を待ち構えていた鏡は、その姿を変えていく。

 目まぐるしいスピードで全体に亀裂が走り、割れ目を繋ぐ青い膜をジョイントのようにして、鏡はあっという間にコウモリの形へと変形してしまった。お風呂場で見たときと比べて、変わる速度が段違いだ。折り鏡のセルリアンコウモリは、その硬質な羽をはためかせてふわりと窓枠から飛び立った。


「来たっ…!」


 相手が動き始めるのを確認したキタキツネは、振り返ってすぐ走り出した。

 コータも懸念していたが、直線通路であの攻撃を避けるには距離をあける他ない。遠ければ遠いほど横道も増えるし、光を見てから対応しやすくなる。まずはお風呂場の入り口まで走り、あれを撃たれても横に回避できる位置に陣取ろう。

 廊下を弾丸の如く駆け抜けるキタキツネは、女の文字を通りすぎて男湯ののれん前まで一気にたどり着き、チラリと後方を確認した。宙を舞う銀の羽は、丁度曲がり角を越えたところだった。

 キタキツネは相手を見据えて集中する。奴が光ったらすぐ左へ跳ぶんだ……!


 しかし彼女の予想に反して、セルリアンはゆったりと羽ばたきながら近付いてくるだけで、一向に攻撃をしてこない。そういえばお風呂場でも、コータの腕を撃ち抜いてからしばらくは何もしてこなかった。

 もしかすると、あの光は連続で撃つことが出来ないのかもしれない。だとすればチャンスだ。避ける回数が少なければそれだけ体力を温存できて、誘導も楽になる。

 それに、大広間の近くで一度光を撃たせることが出来れば、より安全に事を進められるだろう。

 思ってもみなかった好機が訪れ、キタキツネは再び走り出した。楽に回避できる箇所は有限だから、今度はそこの分かれ道で様子見をしよう。





 時刻は17時を回り、曇り空の雪山地方は既に暗くなり始めていた。

 この温泉宿の玄関の照明は自動的に点灯する仕組みだが、内部の照明は任意で点ける必要があった。そのため、現在この宿はほとんどの場所が薄闇に包まれていた。

 まだそれなりに周囲は見えるが、そこまで見晴らしはよくない。


 これから奇襲をかける関係上、暗いままの方が良いのか?


 それとも皆が見やすいように灯りを点けるべきなのか?


 キタキツネの報せを耳にして、大広間でオールを構えて待機しているカピバラは、すぐ横のスイッチを見て迷っていた。


「──カピバラ、入るわよ」


 と、そこへギンギツネが戻ってきた。

 声かけをして開きっぱなしのふすまを通った彼女は、不安でいっぱいといった表情をしていた。


「おかえり。ついに来たねねね…!」


「…ええ。あの子、ホントに大丈夫なのかしら。声が聴こえたすぐ後に変な音もしてたし……あぁ、心配だわ」


 ギンギツネはカピバラ同様、ふすまの側でセルリアンに備えてモップを構えたが、しかして心ここにあらずといった感じだ。


「キタキツネならきっと大丈夫。コータくんが襲われても頑張って連れ帰ったし、ギンギツネが思ってる以上にしっかりしてるかもだよよよ…!」


「……そう、ね。…今はセルリアンを確実に仕留めることだけを考えるわ」


 二人は真剣な面持ちで頷きあった。部屋の隅の孝太にも目配せをして、全員がきたる戦いに向けて集中し始めた。

 …と思ったのだが、


「あっ、そうだ。部屋の灯り、点けた方がいいのかねねね?」


 気の抜けたような声のカピバラに、気持ちを切り換えたばかりのギンギツネはへっ?とずっこける。


「うーん……やめときましょ。一部屋だけ明るかったら、待ち伏せしてるってわかっちゃうかもしれないし」


 あーやっぱりそうだよねねね、とカピバラはスイッチから視線を逸らした。

 彼女はいつだってマイペースというか、呑気というか、こんな状況でもいつもの雰囲気を醸し出している。そういえばカピバラがセルリアンと戦うところを見たことがないな…と思ったギンギツネは、今までの戦績を尋ねようと口を開いた。


「ねぇ、カピバラって─────」


 だがしかしその質問は、けもの耳が捉えた足音によって中断された。廊下を踏みしめる振動が伝えてくるのは、キタキツネが全力で走る様だった。


「──来たわ! キタキツネよ…!」


 すぐさま小声に切り換えて、ギンギツネは張り付くようにふすまに背中をつけた。そのままモップを斜めに持ち、いつでも振り下ろしに行ける体勢で息を潜める。

 対するカピバラも木のオールを頭上に振り上げ、いつにない真面目な顔で入り口を睨みつけていた。

 二人の動きを見て、孝太もキタキツネの接近を察し、横にくっつくラッキービーストに小声で知らせる。


「来るみたいですよ…キタキツネと、セルリアン」


「ソウダネ。…コータ、キミはセルリアンが入ってキタラすぐに部屋ヲ出るんダヨ」


 彼は絞ったボリュームでこちらの身を案じてきた。とことん配慮の行き届いたロボットだな…と感心しつつ、孝太はいつでも走り出せるよう、静かに立ち上がった。





 キタキツネはお風呂場前から更に二ヶ所の曲がり角を越え、大広間に繋がる二つの廊下の前まで来ていた。

 その間、セルリアンは不気味なほど何もしてこなかった。しかしそろそろ光線の第二射が来てもいい頃合いだ。ここらであえて止まり、相手の攻撃を誘うことにしよう。

 キタキツネは振り返って、己の来た道に向き直った。

 一秒……二秒……三秒……ずっと向こうの壁の角を見据える彼女には、そのわずかな時間が何倍にも引き伸ばされて感じられた。逃げ始めてからは意識していなかったが、気付けば己の鼓動はうるさいくらいに激しくなっていた。


「……! さあ、撃ってきなよ…」


 キタキツネの見つめる廊下の角から、ついにセルリアンが現れた。その体の至るところに廊下の風景を映し出しながら、コウモリはパタパタとこちらへ飛んでくる。胴体の内からのぞく一つ目は、まっすぐキタキツネを見つめていた。キタキツネも負けじとセルリアンの目を強く見返す。

 にらみ合う両者間の距離が10メートルを下回った辺りで、セルリアンの体が徐々に白く発光し始めた。その鏡面をよくよく観察すると、光が流水の如く体の中央へと集まっていくのが見てとれた。

 ああやって力を一点集中させて、凝縮させた光を目から発射するのがあの攻撃なのだな、とキタキツネは理解した。

 みるみる内にセルリアンの鏡は白く塗りつぶされていき、もはやそこに周囲の景色は映っていない。と、その瞬間────



 周囲はまばゆい閃光に包まれた。



 光がすべてを覆ったその時、彼女は床を思い切り蹴った。否、蹴っていた。


 反射的に横っ飛びをしたと同時に、先ほどまで身体があった場所へと光が線を形作っているのが見えた。

 ずっと後ろの方で、壁が砕けるような音も聴こえた。


「──うっ!」


 尖った枝ですり傷をこしらえたような、小さな痛みが左手に走る。

 かすり傷こそ食らったが間一髪、ギリギリで攻撃をかわすことが出来たようだ。

 必要以上に足へ力を入れすぎたのか、そのまま勢い余って着地に失敗し、キタキツネは床をゴロゴロと転がってしまった。あわてて体勢を立て直し、まだセルリアンは来てないんだから大丈夫…だいじょうぶ…と焦る自分の心をなだめる。

 ふと後ろを振り返ると、既に大広間の入り口はすぐそこへ見えていた。ガタゴトと何事か、と中からこちらをのぞき見るギンギツネと目が合う。


 二手に別れてから五分程しか経っていないはずなのに。

 キタキツネの胸の内には、まるで数年ぶりに友と再会したかのような嬉しさが込み上げてきた。思わず喜びの言葉が出そうになったが、ギンギツネの目線を追ってキタキツネはハッと我に帰る。

 彼女が見つめるボクの左手の側面には、僅かではあるが血が流れていた。そのチクチクとした痛みが、感傷に浸りかけた自分に今の状況を思い出させる。

 そうだ、ここまで来て仲間の存在を悟られるわけにはいかない。キタキツネは毅然とした表情で、ギンギツネに向かって頷いた。


 このくらいへーきだよ、だから後はしっかりやってよね


 言葉はなかったが、ボクは目でそう伝えた。ギンギツネは一瞬何か言いかけたようだったが、こちらの意図が伝わったのか、頷き返すとふすまの向こうに引っ込んだ。


 光が消え、薄闇の空間へと戻った廊下に向き直ると、丁度セルリアンがその姿をのぞかせた。心なしか、全身の鏡の映り込み具合が鈍くなったようにも見える。こちらの狙い通り光を撃って、攻撃の手を減らした今が最大のチャンスだ。

 キタキツネは相手の接近を確認すると、よろよろと弱ったフリをして大広間に飛び込む。事前に打ち合わせた通り、彼女は入り口からまっすぐ見える部屋の中央に陣取った。

 デッキブラシを両手で構え、あたかも背水の陣のように、ここで一騎討ちだ!

 …といった雰囲気を演出する。それから数秒の後、ついに場の全員がパタパタパタという羽ばたきの音を耳にした。


 セルリアンが、広間の入り口前までやって来た。


 空中でゆったりと体の向きを変え、セルリアンは室内で覚悟を決めるキタキツネをその鏡面に映す。そしてデッキブラシを向ける彼女に対抗するかのように、コウモリはその形状を更に変化させていく。


「こっ、今度はなに…!?」


 足のようにプラプラと引っ付いていた破片が細切れになったかと思うと、凶悪なカギ爪状へと生まれ変わった。羽を構成する鏡も大きく上下にスライドし、ただでさえ危険な鋭さだったそれは、大きな波形のようなギザギザな翼へと変貌していく。


 触れるもの全てを切り裂かんとするフォルムへ組み変わったセルリアンは、満を持して獲物を追い詰めようと、ふすまをくぐり抜けた。その両端に待ち構えるけものたちには、まるで気付いていない。

 キタキツネはデッキブラシの柄でゴッ!と床を打ち鳴らし、二人に合図を送った。


 今だっ!


「──そこっ!」

「えいやぁっ!」


 野生開放をしたギンギツネとカピバラが、左右からセルリアン目掛けて全力で得物を振り下ろす。

 モップとオールが、中空を漂うコウモリにクリーンヒットした。



 大広間に、甲高い音を立てて鏡の破片が飛び散った。



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