第35話 宿泊する
「ヒト…………だって?」
驚きの表情を浮かべたタイリクオオカミは、よろよろと後ずさると身体を吊り橋の縄へと預けた。
えらく大げさなリアクションだ。正直言って、演技をしているようにしか見えない。初対面のフレンズ相手にそう思ってしまうのは、自分の心が純粋さを欠いているせいなのだろうか。
「あー……それは言わない方が良かったかもしれんな。もう遅いが」
隣のヒグマがボソッと呟いた。言わない方が良かったとは、いったい……?
孝太と同じ疑問を浮かべたのか、キンシコウが小声で尋ねる。
「どういう意味です? ヒグマさん?」
「ん、そうか、知らないんだったか。あいつは────」
孝太を挟んで、ハンターの二人がひそひそ話を展開しようとしたその瞬間。
きれいな白い手が、ヒトの両肩をがっしりと掴んだ。左右に意識を向けていたため、孝太は思わず跳ね上がる。
そして、
「君、ちょっとこっちに来てくれ」
その手の主、タイリクオオカミは、それだけ言うとすぐさま孝太の手を取った。その目は爛々と輝いている。
「えっ」
対する孝太の目は、明らかに戸惑いに満ちていた。が、そんなことはお構い無しに、彼女は孝太の腕をぐいっと引っぱった。
「ぉわっ!?」
つんのめった孝太は、足元の板の隙間につまずいてしまった。その衝撃が、にわかに吊り橋を揺れ動かす。
だがしかし、倒れ込んだ孝太の身体が木の板へと打ち付けられることはなかった。
「おっと!」
素早く振り返ったタイリクオオカミが華麗に孝太を受け止め、その勢いのまま彼を抱きかかえたのだ。気付けば孝太は、彼女にお姫様抱っこのように抱えられていた。
その流れるような所作に、後方の二人が「おぉー…!」と小さく感嘆の声を上げる。
「いやぁ、ごめんごめん。急に引っぱったりして、お客様に失礼だったね。申し訳ない」
パチリとウィンクして、己の非を詫びるタイリクオオカミ。どこか中性的な整った顔立ちでそれをやられると、あまりに様になりすぎている。
一瞬の出来事に目を白黒させていた孝太は、ウィンクを受け止めてハッと我に帰った。
「……っ!? あ、お、下りますっ!」
「ん、そうかい?」
大慌てで全身をわたわたと動かすと、タイリクオオカミは素直に離してくれた。そのまま運ばれなくて本当に良かった……と孝太は心の底から安堵した。
ほんの一瞬だったとはいえ、『27にもなる男が麗しい女性にお姫様抱っこされる』という構図は、他でもない孝太の心に致命傷を与えかねなかったからだ。
周りに誰もいなくとも情けない絵面だというのに、今はハンターの二人にばっちり見られている。自らの足で立ち上がり、努めて平静を装ったが、孝太は顔から火が出そうだった。
と、どこからともなくパサパサパサ…と、布のはためくような音が聞こえてくる。同時に、落ち着きのあるゆったりとした声も。
「オオカミさん……またお客さんに何かしたんですか……?」
出所のわからないはためき音と一緒に、その咎めるような声は徐々に近付いてきていた。
孝太はキョロキョロと辺りを見回したが、それらの音の主はさっぱり見つからない。
「あのー……す、すいませんでした……。お客さん……ですよね? 三名様でよろしいですか?」
突如、バッサバッサと鳥の羽ばたきめいた音が、風と共に巻き起こる。そうして彼女は、橋の上の孝太の真隣へフワリと降り立った。
首を水平にばかり動かしていた孝太は、ほぼほぼ真上からの登場に驚き、思わず距離を取ってしまった。
「どうも~。私、アリツカゲラと申します~。ここ、ロッジの……しはいにん…? をやっておりますです~」
森の空から舞い降りたのは、灰色に身を包み、小さな丸眼鏡を携えた風変わりなフレンズだった。
高い木々に囲まれたロッジは、今や夕日のもたらす影にすっかり沈んでしまっていた。
と、その暗さに反応したのか、中央の棟からポツポツ、ポツと各所の照明が点灯してゆく。夕闇の中、ぼんやりとした淡い光の数々は幻想的な雰囲気を作り出し、ロッジはさながらミステリー小説の舞台めいた趣を漂わせていた。
そしてそんなことは露知らず、はるばるやってきた客人三名、および滞在客らしき一頭は、中央ホールで丸テーブルを囲んでいた。
その傍らで、一羽の支配人がトレイを片手に諸々の確認を行っている。
「ではでは、皆さんお泊まりということでよろしいですね~?」
もう夜になるということで、ヒグマとキンシコウ、孝太の三人はロッジに泊まっていくことを決めたのだった。
それを聞いたアリツカゲラはなにやら妙に嬉しげだ。まさかお金を取るわけでは……と孝太は少し心配したが、そもそも通貨が存在していないであろうことを思い出して、すぐにその杞憂を取っ払った。
宿泊といっても、要は寝床のスペースの提供といった具合だろう。
「三名様はおんなじお部屋でよろしいですか~? 一応、別々のお部屋も用意できますが~……」
同室、というのはどうなのだろうか。孝太はふと考え込んだ。
個人的には、出会ってまる一日も経っていない者同士では落ち着かない。それ以前に男女であり、また、自分はひとりが好みでもあった。
テーブルを挟んだ向こう側のヒグマも、隣のキンシコウとひそひそ相談している。
「……どうする、キンシコウ。こいつはまだ色々と怪しいところがあるが……」
「うーん……別に私は気にしませんが……」
よく聞き取れはしないが、おそらく警戒しているのだろう。であれば、彼女らは同室で自分は個室、という形が丁度良い。
孝太は後腐れのないよう、自らそれを提案することにした。
「じゃあ、ヒグマさん、キンシコウさんは同じ部屋で、僕は────」
「私の部屋なんかどうだい?」
唐突すぎるタイリクオオカミの割り込みに、一瞬孝太は言葉を失った。
突然、何を言い出すんだこの人は……!?
「何を考えてるんです? オオカミさん…」
じとーっ…とした目でアリツカゲラが口を挟む。
橋でのやり取りといい、彼女のタイリクオオカミに対する信頼度はだいぶ低いようだ。その口調と視線は、タイリクオオカミが普段から飄々としたけものであることを物語っている。
「またまた、アリツさん。私はただ、率先して独り身を選ぶ彼を慮ってだね……」
彼女はもっともらしい(?)理由を並べ立てるが、そんなことは欠片も考えていないであろうことは誰の目にも明らかだった。
そもそも、初めから誘いをかける気満々のタイミングであった。
「はぁ、さいですか。では─────あっ、お名前は?」
「……孝太です」
孝太は手短に名前だけを伝える。
これまで姓にあたる『石井』が意味を成したためしがないので、彼はついにフルネームで名乗ることを諦めたのだった。
郷に入れば郷に従え。
「では、コータさん。オオカミさんのお部屋に泊まりたいですか? 色々とっ散らかってますし、ベッドはひとつしかありませんが」
かなりの誘導尋問めいているが、元より心に決めていた孝太はすぐさまその案を拒否した。
「いえ! ひとりで、個室でお願いします」
「そうかい、残念だよコータ君。良い参考資────友人になれると思ったんだけども」
アンニュイな面持ちのタイリクオオカミが、わかりやすく気落ちした様子を見せる。
左手で頬杖をついた彼女は、困り眉で「フゥ…」と溜め息をついてはいるものの、しかしてその口角はほんのわずかに上を向いていた。
気落ちした『体』と表した方が適格かもしれない。
それにしても、参考資料と言いかけたように聞こえたが、いったい彼女の狙いは何なのだろうか。
「はい、わかりました~! それでは皆さん、ついてきて下さ~い。当ロッジが誇る多様なお部屋の数々をご案内致しますよ~!」
急にアリツカゲラの顔がパアッと明るくなった。どうぞどうぞこちらへ、とニコニコしながら三人を廊下へ促す彼女は、なにやらとっても楽しげだ。
ずいぶん熱心に支配人───キツネたち同様、自主的な管理者と思われる───をやっているようだが、何がそうまで彼女を駆り立てるのか?
そんな孝太の疑問は、その後のロッジの案内にて、すぐに晴らされることとなった。
アリツカゲラのやる気の発生源は正に『お部屋』それ自体であり、客人の宿泊希望を聞き出すという大義名分にかまけて、あわよくばお部屋自慢をしたい! …という欲求がひしひしと感じられた。
結局、ヒグマ、キンシコウ、孝太の三人は、たった二部屋を決めるだけで三十分以上も付き合わされたのだった。
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