第34話 揺れる瞳

 時刻は15時か、16時頃だっただろうか。


 太陽がその明るさを少々弱めたところで、三人は休息地を発った。キンシコウ、孝太、ヒグマの並びで、一行はロッジを目指して歩き出した。

 道を知らぬ孝太は、とにかく前を行くキンシコウの背を追う他ない。しかし彼女は平然と道なき道を進むため、孝太はしばしば足をとられては、背後のヒグマからぶつくさ文句を言われるのだった。


「その……ごめんなさいね、もうちょっと開けたところを行きましょうか」


 段差や草木で足を止めること四度目。

 振り返ったキンシコウから、ついに気遣いの言葉がかけられた。

 孝太は申し訳なく思いつつも、内心ではその提案にほっとしていた。獣道ですらないルートは、くたびれたヒトには厳しい。


「……あのなぁ。嫌とか苦手だってんなら、さっさと言ってくれ。それとも、こうやって運ばれた方がいいか?」


 意思表示がはっきりしない相手に痺れを切らしたのか、ヒグマはずんずんと近付くと、いきなりひょいっと孝太を担ぎ上げた。


「ぅわっ!? ちょっ、ちょっと!」


 軽々と持ち上げられ、孝太は焦った。

 担ぎ上げられた勢いで顔から眼鏡が落っこちる。が、地面へと落下する前にすかさずキンシコウがキャッチしてくれた。

 なんという素早い芸当。孝太はあたふたしながらも感心した。


「お前、ずいぶん軽いな。ヒトってのは見た目よりスカスカなのか?」 


 それはダウンコートが……いや、自分が痩せているだけで、と孝太は弁解したかったが、身体が水平に『く』の字な状態では咄嗟に声が出なかった。更にいえば、進行方向に尻を向けた格好でもある。

 そして、自分よりも身長の低い者の肩に乗っかったせいで、むしろ立っているより目線が下がる、という不思議なことにもなっていた。


「じ、自分で歩けますから! それに、ヒグマさんが大変ですって!」


 そのままヒグマが何食わぬ顔で歩き出したので、孝太は必死に声をあげた。この状態で運ばれるのは流石に恥ずかしい。また、体勢の関係で腰もツラい。


「そうか? この方が楽だぞ? お前がつまずくのを何度も見るよりかはな」


 それを言われると困ってしまう。

 「うっ」と言葉を詰まらせた孝太は、何か打開策はないかと考えを巡らせた。しかしヒグマはその間にも歩を進め、少し遅れてキンシコウも後ろへとつく。

 不本意ながら、完全に運ばれる流れになってしまっていた。


「まぁまぁ、とりあえず木々を抜けるまではその方が早いですから。おとなしく委ねちゃってください。ね?」


 後ろの、孝太の頭のすぐ先を歩くキンシコウが、こちらへ優しく語りかけてきた。

 口調こそ丁寧だが、その顔はなんとも楽しげで……否、愉しげだった。まるで、ペットでも眺めているかのように。


「あ、ちょっと頭を上げて……そう……」


 彼女の急な要望に、孝太は頑張ってググッと顔を上げた。キツイ体勢に首筋が、肩周りが痛む。


「はいどうぞ」


 ニッコリ笑ったキンシコウの手から、孝太の耳へと眼鏡がかけられた。ぼやけていた視界が鮮明なそれへと変わる。

 同時に白と黄色のレオタードがレンズ越しにくっきり映し出され、孝太は狼狽した。彼女が屈み込んでいるせいで、とにかく近い。

 ……どうもここでは、こんなのばっかりだ。


「おいコラ! 暴れるな! 怪我しても知らんぞ!」


 のしのしと進み続けるヒグマの肩の上で、孝太は木の枝に幾度もぶつかりながら運ばれるのだった。






「───この辺でいいか」


 運搬対象となって十数分。

 それまでとはうって変わって道らしい道に出たことで、ようやく孝太は地に足をつけることができた。

 無理な体勢で揺られまくったおかげで、なかなかに腰が痛い。とはいえ、腰痛という代償を支払ったおかげでスムーズな進行になったのは間違いなかった。彼女ら曰く、もうすぐそこらしい。


 三人は、掃かれたように落ち葉がどけられた道路を進んだ。

 すると、道路は突如として木の板そのものな坂道へと繋がり、終いには空中廊下へとその姿を変えた。そのあまりの変化に戸惑い、孝太は前を行くヒグマへ尋ねる。


「あ、あの……これがロッジへの道、なんですか?」


「そうだ。少し登ればすぐそこだ」


 この道で合っているらしい。孝太は様々な疑問を抱かずにはいられなかった。

 人工物なのは確かだが、なぜこんな道なのだろうか。恐ろしいことに、足元の木の板には手すりすら付いていないのだ。

 いくらそれなりの幅があるとはいえ、柵が無いのは危険極まりない。フレンズなら10メートルくらい落ちても大丈夫、とでもいうのだろうか……。


 そこからはなるべく下を見ないよう、孝太は恐る恐る歩いた。あんまり重い足取りだったのか、「そんなに怖いんですか?」と後ろのキンシコウにクスクス笑われた。

 キンシコウが如何なる動物なのかを全く知らないのだが、彼女の服飾や尻尾を見るに、なんとなくサルっぽい感じがする。

 であれば、これは彼女には到底分からぬ恐怖だろう。きっと、今の倍以上の高さにならなければ共感し得ないに違いない。


 そうして板を登り続けると、不意に道の脇へと伸びる、木製の吊り橋が見えた。その先に覗いている立派な木造建築こそが、目的の『ロッジ』のようだ。

 孝太が思い描いていたのは小ぢんまりとした丸太小屋だったのだが、実際のロッジは想像のそれとはまるで違う建物だった。


「……ずいぶん、でっかいんですね。もっと小さいのを想像してました」


「まあ、結構……というか、パークでもかなりデカイとこだな。何人、フレンズが泊まれるのやら」


 ヒグマがそう口にするほど、目の前の建物は横に広く連なっていた。

 夕闇に陰る森の中には、地上から伸びる長い樹木や柱に支えられて、ツリーハウスめいた建物がいくつもそびえ立っている。

 パッと見ただけでも、五……いや、木々に隠れているが六棟以上はあるのだろうか。見渡してみると、それぞれの家屋は廊下らしき通路や吊り橋でもって繋がっているようだ。


 と、左の方にある吊り橋の脇に、この木造の雰囲気に似つかわしく無いものが見えた。

 下から上へ、斜めに細長く伸びているそれは、全体的に茶褐色で直線的なフォルムをしている。よくよく観察すると、そのボロボロの茶色は錆のように見えた。


「……クレーン?」


「ん? なんだって?」


 どうかしたか、と振り返ったヒグマをよそに、孝太は吊り橋を渡りながら錆で覆われた何かの正体を推測した。

 そして、軽く下を覗き込んでみると、そこには予想通り運転席とキャタピラが見つかった。推理は当たったようだ。

 ということはつまり、このクレーン車はロッジ建設用のもので、建設途中、もしくは修繕途中でここに放置された……と考えるのが自然だろうか。完成後にそのまま置きっぱなしにするとは考えにくい。


「何を見てるんです? もしかして、あの長いの……ですか?」


 下を眺める孝太の左に、キンシコウがやってきた。続けてヒグマも右へとやってきて、三人は吊り橋上に立ち並ぶ格好で、かつてクレーンだった錆の塊を眺めた。

 彼女らにはこれが何だったのか、知るよしもないのだろう。志半ばで役目を終えたこの重機は、フレンズにとっては奇っ怪な岩ぐらいにしか映らないのだ。

 そう思うと少し悲しくなり、せめて彼の生前の働きぶりくらいは説明しようと、孝太は口を開いた。


 が、


「おや、あれに興味を持つフレンズがいるなんて珍しいねぇ」


「うぇっ!?」


 急に背後、それも孝太の肩口あたりから聞こえてきた声に、三人は飛び上がった。


「おおっと、そんなに驚くとは……良い顔いただきだね」


 あわてる孝太とは対照的に、振り返ったヒグマとキンシコウは───武器こそ向けないものの───咄嗟に身構えていた。

 しかし二人は声の主と顔見知りのようで、すぐに警戒を解くと、二人して呆れ顔を浮かべるのだった。


「おぉ、怖い怖い。やめてくれ、私は善良なフレンズだよ」


 おどけつつも手を上げ、降参の意を表明するそのフレンズは、青と黄色の美しい双眼をたたえていた。

 にやりと笑うオッドアイの彼女に、はぁ…と溜め息をついたヒグマが話しかける。


「……相変わらずだな、タイリクオオカミ」


「もう! びっくりしましたよ…!」


「フフフ……わざわざ忍び寄ってみた甲斐があったね」


 空気が即座にピリッとしたかと思えば、すぐさま緩い雰囲気へと逆戻りし、孝太はいつも通りに困惑せざるを得なかった。

 タイリクオオカミと聞いても正直ピンと来なかったが、全身紺色に少しの白が差すかのようなその風貌は、正に夜の闇に紛れるオオカミのイメージそのものであった。


「ところで君は、はじめまして、だね。なんていう───けものなんだい?」


 なぜだか、わずかに言い淀んだ風に聞こえた。一瞬だけ、そんな間があった。

 無性にそのことについて尋ねたい欲を抑えて、孝太は自己紹介をすることにした。開口一番で聞くべきことではない。


「……どうも、はじめまして。石井孝太、といいます。自分は…………っと、その、ヒトです」


 『ヒト』


 その言葉を聞いた瞬間、にわかに狼の瞳が揺らいだ。

 そんな風に、感じられた。


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