第33話 暖かさに触れる


「……そんな危ないセルリアンがいるなんて、初めて知りました。大変だったんですね……」


 一通りの話を聞き終えて、キンシコウは驚きと同情の念が混ざった複雑な表情をした。

 対してその隣の、木に寄りかかる格好のヒグマは、話の始めから今に至るまでほとんどずっと押し黙っている。

 途中、自分が用を足しに離席した時でさえ、彼女は特に何も言わなかった。

 「はぁ?」と言いたげな顔はしていたが。


「初めて、ですか? ってことは、やっぱり……自分だけが狙われてるんでしょうね」


 孝太も孝太で、どんな顔をすればいいのか分からなかった。

 己の周りにのみ危険なセルリアンが現れるというのなら、自分は皆にとって疫病神のような存在なのかもしれない。


「あっ、いえ! 初めてというのはですね……」


「……おい」


 何か言いかけたキンシコウに、ようやく口を開いたヒグマから「待った」がかかる。

 二人は互いに目と目を合わせ、無言で何かのやり取りをしているようだった。


 それから数秒の間を置いて、ヒグマがやれやれといった風に視線を外す。

 キンシコウは安心したような笑みを浮かべると、ひたすら困惑するばかりの孝太へと向き直った。


「……実は私たち、ハンターと名乗ってはいますが、結成されて間もないんです。だからセルリアンとの実戦経験も、どういう奴が何処にいるとかの情報もあんまり無くて……」


 名前ばっかりでごめんなさいね、とキンシコウは申し訳なさそうに微笑む。


 そういえば、昨夜ヒグマは自身のことをハンターと称していた。今の話の流れから察するに、ハンターとはセルリアン討伐を主とする者たちだと考えられる。

 誰かから任命されたのか、はたまた自主的に行っているのかは定かでないが、狩人の役を担う以上、おそらく彼女ら二人は実力者なのだろう。

 結成されたばかりと謙遜してはいるが、たしかに彼女らからは強者の余裕というか、風格のようなものが漂っていた。


 そんな相手から謝られた孝太は、あわててキンシコウに感謝の意を示す。


「い、いえ、そんな! むしろ、ハンターのお二人に知ってもらえて良かったです。事前に危険を知る人が増えれば、それだけ被害も減らせますから」


 そう。強きフレンズたちに危険を周知してもらえれば、より凶悪なセルリアンが現れても対策のしようはあるだろう。

 この偶然の出会いに孝太はいたく感謝した。単に心強いのもそうだが、色々と尋ねたいこともあったからだ。



 しかし─────



「そうだな。……お前の話がすべて本当だったら、だがな」

 

 ヒグマの冷静な言葉が、孝太の胸へと突き刺さった。


「ヒグマさん……!!」


 キンシコウの、非難の声が飛ぶ。

 だが、ヒグマの判断は何一つ間違っていないのだ。孝太自身、それはよくわかっていた。


 突然現れたヒトと名乗る不審人物が、『違う世界から落ちてきた』だとか、『夢の中のフレンズから力を与えられた』なんて怪しい話を語り出す。

 自分がヒグマたちの側だったとしたら、とてもじゃないが信じられない。訝しみ、とりあえず疑ってみるのが筋だろう。


「そう……ですよね。何を言ってるんだ? ってなりますよね、そりゃ」


 その上、自分にはそれらの話を証明するだけの物証もないのだ。

 ハンターという、ある種の守護者的な立ち位置も手伝って、彼女が自分に疑惑の目を向けるのは当然といえた。


「……すいませんでした。倒れたのを助けていただいて、それに食べ物まで……色々とありがとうございました」


 謝辞を述べ、急に話をたたみ始めた孝太を見て、キンシコウはすかさずヒグマへと耳打ちする。


「ちょっと、ヒグマさん。いいんですか? 彼、見るからに意気消沈って感じですよ?」


「………………」


 無言の圧力を放ち続けるヒグマに対して、キンシコウはひそひそと、その圧を打ち砕かんと情に訴えかける。


「ほら、さっさと身支度なんか始めちゃって……親とはぐれた小猿みたいな縮こまり具合ですよ? 可哀想に……」


「…………っ」


 厳めしかったヒグマの表情が、ぴくりとわずかに揺らいだ。その隙を逃さず、追撃を加えるキンシコウ。


「大体、ハンターになったからって、そんないきなり堅物にならなくてもいいんじゃないですか…? ヒグマさんの性に合ってませんよ、それ」


「………む…」


 徐々に、ヒグマの表情から険が取れつつある。立ち上がる孝太に向かって、足が一歩、踏み出しかけていた。

 そんな瀬戸際の背中を、キンシコウはいやらしくも優しく押し出す。真逆の攻めでもって。


「……決意は固いんですね。なら仕方ありません、彼とはここでお別れしましょう。その方がお互いの─────」


「あぁもう! わかった、わかったよ…!」


 折れた。


 横から念仏の如く蓄積されたフラストレーションを打ち払うよう、ヒグマは一歩、その足を踏み出した。

 それを見て、眉をひそめていたキンシコウも安堵の表情を浮かべる。


「……待て、ヒト」


 ヒグマは、今にも立ち去らんとする背中を呼び止めた。目は合わせず、孝太は首だけで振り返る。


「……はい…?」


「全部は、信用できん。……できんが、その手だ」


 どうにもばつが悪そうなヒグマは、おもむろに孝太の左手を指差した。

 少し不恰好で、話の最中も食べにくそうにジャパリまんを掴んでいたその手を。


「転んだとか、そういう事故だったらそうはならん。だから……その点では信じてやる」


 ほんのわずかに声を震わせるヒグマは、身体ごと顔を背けた。

 孝太からは見えておらず、キンシコウからのみ確認できたが、彼女は怒っているような、恥ずかしがっているような……とにかく赤い顔をしている。


「ぁ……と、ありがとう、ございます」


「それと! 火山だったかロッジだったか……どっちでもいいが、案内してやる」


 背を向けたままのヒグマからの思わぬ提案に、孝太は頭だけでなく全身で振り返って驚きを表した。

 何やらひそひそ話をしていたが、この急な心変わりはキンシコウのおかげであろうか。であれば、彼女には感謝してもしきれない。

 尋ねようと思って諦めたことのひとつに『ロッジへの行き方』が含まれていたので、なおさら頭が上がらないというものだ。


「えっ!? い、いいんですか……? あ、そ、そうだ、セルリアンに襲われるかもしれませんし……」


 しどろもどろで返事をする孝太を見て、キンシコウはフフッと笑みをこぼした。

 どう見たって嬉しそうなのに、素直に言葉へと表せないところはヒグマさんに似てるな……と彼女はひとり微笑む。

 そして当のヒグマも、


「───監視! 監視だ!! お前みたいな怪しい奴は、その辺に野放しにしておけんからな……!」


 …と、素直でない返答を重ねるのだった。


「まぁまぁまぁ。ともかく、道中で本当に襲ってきたら、それはそれで証明になりますね。それで、火山とロッジ、どちらへ行きたいんですか?」


 すばやく仲裁役を買って出たキンシコウは、話の雲行きが変わらない内にと目的地を尋ねた。

 向き直ったヒグマも視線で以て便乗し、孝太の言葉を促す。


「ロッジです。火山に向かってたのは、高いところから周りを見渡せばロッジの場所もわかるかと思って……」


「あぁ、そういうことでしたか。だったら私たちと会えて良かったかもですね。ロッジは木々に紛れていて、山からは見つけにくいですから」


 その事実にひやりとした孝太は、本当に良かった、と心の底から思った。

 もし山に登って何も見つけられずにいたのなら、当てのない放浪を始めざるを得なかっただろう。それだけで数日、いや、数週間は進展がなかったかもしれない。

 むしろ生き延びられるかも怪しかった。


「……で、行きたいからにはロッジに何か用があるんだろうな? まさか遊びに行きたいってワケじゃあるまい」


 改めて理由を確認してくるヒグマへ答えようとして、孝太はハッとした。


 そうだ。

 あの紙、まだ入れっぱなしなんじゃ…?


 なにぶん内容ばかりが頭に刻まれていたので、ずっとコートのポケットに突っ込んだまま、それを持ち歩き続けていることをすっかり忘れていた。

 孝太はすぐにポケットへと手を突っ込み、手袋をかきわけつつそれを捜索した。そうして探り当てた『理由』を、孝太は二人の前で開く。


 それは、折り畳まれたメモ用紙だった。

 かつて宿のトイレにて発見した謎の紙は、今やかなりくしゃくしゃになってしまっていた。罫線をまたいで大きく書かれた、『ロッジへ』という黒文字がよく目立つ。


「……なんだコレ?」


 孝太は「あっ」と言葉を漏らした。

 うっかりしていたが、フレンズは文字を知らなくて当然なのだ。

 ……勉強会をした者たちとは、わけが違うのだから。


「この線は文字といって、えぇと……言葉を形としたものなんですけど─────」


 宿での記憶を掘り返して、孝太は再び文字の概念の説明を試みる。が、


「あっ、これが文字なんですね、博士たちが言ってました。これを読めるのはごく一部のフレンズと、ヒトだけだって」


「そうだ、ヒトが云々ってのはそれだっけか。……なんだか鮭の骨が取れた気分だ」


 計らずも、ヒトであることの証明が出来てしまった。孝太は心の内で、顔も知らぬ博士に感謝の念を贈る。


 文字という概念の存在を広めてくれて、ありがとうございます。


「ここには『ロッジへ』と書いてあるんですけど、これは僕が書いたものではなくて…。温泉宿のト……ひと部屋に、隠れるように仕掛けられていたんです」


「はぁ……というと、これは誰か他のヒトか、文字を書けるフレンズの────ということですか」


「ほう。それはなんというか、興味深いな。しかしまた、なんでロッジなんだ……? ん? 待てよ、アイツか……?」


 ヒグマは思い当たる節でもあるのか、ぶつぶつと独り言を発している。ともかく、言わんとすることを二人が即座に理解してくれて助かった。

 宿での勉強やゲームといい、フレンズは皆、地頭が良いのだろうか。

 力が強くて、たぶん賢くて、とても優しい。おまけに美人揃いときたのなら、もう非の打ち所がないような……そんな気がしてならない。

 はたして、彼女らには弱点だとかは存在するのだろうか? もちろん無くたって良いのだが、あんまり良いとこ揃いなのでつい考えてしまう。


「まあ、答えは行けば分かるんでしょうけど……出発は少し待ってもらえますか? 私も水浴び、したいですから。話がまとまったんで、やっと入れます」


 そう言うが早いか、キンシコウはそそくさと池の方へ近付いた。

 急な事に、それもレオタードの彼女が……という点も相まって、孝太はあわてて背を向ける。ふとしたことで見てしまいそうな、意志薄弱な己もよく知っているので、孝太は木と茂みの陰まで移ろうと動いた。


「ヒトさんも水浴び、しますか? 今日は天気がいいから気持ちが良いですよ」


 チャプチャプという水音と一緒に、げに恐ろしき誘惑の言葉が背中へ投げ掛けられる。キンシコウにそんな意図がないことが、余計に恐ろしい。

 まるで人魚の歌だ。踏み込んでしまったら最期、タガが外れでもすれば終わるのだ。

 ……ちっぽけな信頼と、これまたちっぽけな尊厳が。


「いえ! まだ疲れてて、眠いのでっ…!」


 上ずった声が出た。しかし、嘘は言っていない。

 事実、昨晩の長距離移動の疲れは未だ肉体に残っていて、足なんかは鉛のように重かった。病み上がりの身体に鞭打つのはこれっきりにしたい。


「なら出発は……と、別に焦らなくてもいいか…」


 木陰に横たわろうとする孝太を眺めて、ヒグマがポツリと呟く。

 彼女は日の光の下、身体を乾かしているようだった。その濡れた黒髪とインナータイツが、照り返しで艶めかしい。


 二人を意識しないことを意識して、ひたすら無を念じたり、まだ見ぬロッジへ想いを馳せたり……そうこうしている内に、孝太は二度目の深い眠りへと落ちていった。


 暖かく心地よい木漏れ日が、休息地の三人を穏やかに照らしていた。


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