第32話 狩人と出会う

 暗闇から現れたのは、孝太と同じくらいの背丈の黒髪女性。サイドに少しボリュームのあるボブカットからは、己の種族を代弁するかのように熊の耳をのぞかせている。


「……どうした? まさかお前、自分が何のけものか分からんのか?」


 ヒグマと名乗った彼女は、不思議なつるつるの毛皮を纏った存在をしげしげと眺める。

 しゃがんで斜め下から見たり、横からつま先立ちで覗き込んだり……彼女の品定めはこれまでの誰よりも念入りだ。

 そういえば、熊という獣は好奇心がとても強いと、どこかで聞いた覚えがある。故に、死んだふりなんてのは接近を許すだけで、ロクな結果にならないらしい。

 そう納得してもなお見られることに慣れない孝太は、少し後ずさりながら口を開いた。


「あ、いえ……僕は、石井孝太といいます。自分は、ヒトです」


「イシイ……コータぁ? ヘンな─────いや待て。……ヒト、と言ったか?」


 言葉の途中でハッと何か思い当たったのか、ヒグマは顎に手を当てながら、まっすぐこちらを見つめてくる。


 馬鹿正直に自身をヒトだと述べてから、本当にそれを言うべきだったのか……遅まきながら孝太は悩んだ。温泉宿でヒトだと明かした時、周りからやたらと食い付かれたことを思い出す。

 現在のパークにおいて、ヒトという存在はとても珍しく、否応なしに目立ってしまう生き物であることは明白であった。

 つまり、なるべくフレンズと関わるべきではない自分には、とにかく不都合な事実だといえる。


「ヒト…………たしか博士が、ヒトがどうこう言ってたような……」


 孝太から視線を外し、うーむと天を仰ぐヒグマ。怪しげな記憶と格闘する彼女は、眉間にシワを寄せて唸り続けている。


「博士……って、フクロウのフレンズだって─────っ…!?」


 何かを言いかけた孝太の胸に、突如としてドクン!と衝動が走る。

 急に膝をついて悶え始めたヒトを見て、ヒグマはあわてて駆け寄った。


「お、おい!? いきなりどうした!?」


 目の前にいるはずの彼女の声が、既に遠くに聞こえる。

 予期せぬ遭遇に失念していたが、自分は力を使いっぱなしでここまで来たのだ。その限界がついに訪れた……それだけのこと。


 心臓をしめつけられるような苦しみに、孝太はなすすべなく目を閉じた。



 ──────────


 ──────


 ───どこかで、水の音がする。


  チャプチャプ


  ……ジャバッ!


 そんな音と共に、チュンチュンという小鳥のさえずりも聞こえてきた。

 うっすらと目が開かれると、視界いっぱいに緑が、草が飛び込んでくる。それらはいずれも鮮やかな発色をしていて、豊かな日の光を今まさに浴びていることを示していた。


「…………朝……?」


 よろよろと、ゆっくり上体を起こす。

 自分が寝ていたのは、特別何もない……強いていうならば、雑草に覆われた地面だった。もちろん土よりは豪華なベッドだが、宿の布団に慣れた身にとっては、やはり固い。

 視界は眩しい……というほどでもないが、辺りはすっかり明るくなっている。それどころか、太陽はおおよそ真上まで登っていた。

 雲に半分隠れたお天道様は、その位置で現在時刻を報せてくれている。


「いや……もう昼、なのか…」


 空を見上げて、孝太は小さく呟いた。

 毎度のことながら、力を使った後は時間がすっ飛んでしまう。ある種のクールタイムではあるが、その後に疲れが抜けきる訳でもないのは結構辛い。

 肉体が目覚めたことで、孝太の腹には徐々に空腹感が蔓延しつつあった。加えて、下腹部に尿意も催してくる。

 どこかで済ませなくては─────


「ん! やっっと起きたか、ヒト」


 後ろの方から、ザバッという水音と同時に、あの声が聞こえた。「えっ?」と孝太は振り返る。

 そこにはそれなりの広さの池があって、その中央ではヒグマが水浴び───まさか鮭やらを獲っているわけではないだろう───をしていた。

 当然ながら、服は着たままだ。


「あっ! …と、その……すいません!」


 孝太は咄嗟に目を逸らす。

 既に濡れた服越しにバッチリ見えてしまっていたのだが、反射的にまずいと考えての行動だった。あまり考えるべきではないが……大きかった。

 倒れる前とは別の意味で心臓が騒ぎ出す。けものな彼女たちはどうにも無警戒で困る。


「ああ、まったくだな。急に出てきて、急に倒れるヤツがあるか」


 一方のヒグマは、その謝罪を違う形で捉えたようだった。服が透けようが気にすることのない者からすれば、至極真っ当な捉え方といえる。


「お前……見た感じ、オスだろう? ヒトのオス。初めて見たが……どこから来た?」


 ずばり見抜かれて───今の股間からそう思われたわけでないと信じたい───孝太はびくりと跳ねた。

 恐れることはないはずなのだが、彼女の語気には何か威圧的なものも含まれていて、それが孝太を萎縮させた。


「パークの……外なんだろう? よっ、と」


 なんと返すべきか考える孝太に、内包する意図を変えぬまま、ヒグマは更に追及する。

 池から上がった彼女は、全身びしょ濡れなのを気にも留めず、孝太の前で仁王立ちした。濡れた黒髪と短いスカートから、水がポタポタと滴り落ちる。

 そんなヒグマの目には、明らかに警戒心がにじみ出ていた。


「……そう、です。ここには落ちて───」


 観念して経緯を説明しようとした、その時。

 何かが……いや、誰かが真横に降りてきた。いったい、どこから?


「あらあら、ヒグマさんたら、もう……! そんな濡れネズミな格好で怖い顔して、何やってるんですか」


 またしても、聞いたことのない声。ヒグマと孝太は、ほとんど一緒にそちらを向く。


「なんだ……キンシコウか。調達、ご苦労」


 二人の側へと身軽に降り立ったのは、橙・白・黄の明るい色々に身を包む、スラッとした身体つきのフレンズだった。

 いくつかのジャパリまんを抱えた彼女のその容姿に、ヒグマの看破に続いて孝太はまたしても驚いた。

 彼女────キンシコウは、なんとレオタードとタイツしか着けていなかったからだ。あまりに身体のラインが浮き彫りすぎるその衣装は、いくらなんでも目のやり場に困る。困りすぎる。


「えぇと、ヒトさんはジャパリまん、いくつ要りますか?」


 極めて自然に話しかけられ、孝太は内心焦りつつも返事をする。

 ヒグマさんの仲間……だろう、おそらく。


「ぁ……ひとつ、で大丈夫です」


「そうですか。どうぞ」


 ニッコリ笑うと、彼女は赤いジャパリまんを一つ渡してくれた。優しげな笑顔が、眩しい。

 本当は二つ欲しかったのだが、いきなり要求するのは何か図々しい感じがしてはばかられた。


「ヒグマさんも、どうぞ」


 彼女は何を言われるでもなく、二つのジャパリまんをヒグマへと手渡そうとする。イメージ通りといえば、そうではある。


「あぁ、ちょい待ち」


 ヒグマはこちらから距離をとると、全身を振るわせて水気を飛ばした。

 犬猫なんかのそれより遥かに豪快だが、ヒトと同じような服ではあまり意味があるとも思えないのだが……。

 とりあえず彼女的には済んだようで、戻ってきた濡れヒグマはジャパリまんを受け取った。


「……赤いのしかなかったのか?」


「ええ。ハチミツ味はまた今度ですね」


 なるほど、熊なだけあって(?)彼女はハチミツ味が好みらしい。甘党っぽさ漂うその可愛らしい選り好みに、先ほどまで感じていた威圧感が少し薄れた気がした。

 わずかにでも相手のことを知れると、それだけで印象は大きく変わるものだ。


「なんだ? 何か言いたいのか……!?」


 久方ぶりの、目は口ほどにものを言う。

 孝太の生暖かい目線に気付き、ヒグマはほんのわずかに頬を紅潮させると、ムッとした顔になった。

 そのやり取りを見て、キンシコウはくすっと笑いをこぼす。……なかなかのやり手かもしれない。


「フン……。それより、さっき言いかけたことを聞かせてもらおうか。落ちて、きただと?」


 ジロリと睨まれた孝太は、そうだった、と話の続きを紡ぎだす。

 フレンズとの関わりを減らすべく、初めはところどころ誤魔化そうとも考えていたのだが、気付けば孝太は洗いざらい喋っていた。



 誰かに、話したかったのかもしれない。


 しばらく孤独を忘れていたから、ひとりが辛かったのだろうか。



 相槌をうつ存在がとても嬉しく思える、昼下がりの池のほとり。

 生来の正直さから、孝太は包み隠さず全てを語ったのだった。


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