第36話 震え出す

 夜のロッジにて開催されたお部屋ツアーがようやく終わり、ヒグマとキンシコウ、および孝太はそれぞれの宿泊場所を決めた。


 彼女らは、ハンモックが張ってあるだけのいささかシンプルすぎる部屋、通称『ふわふわ』に泊まるらしい。

 アリツカゲラ曰く、鳥のフレンズに人気のお部屋だそうだ。さすがの鳥たちも、ヒトの身体になってしまっては枝に止まれないのだろう。故に止まり木の代わりとなるもの、それこそがハンモックなのだ。

 もっとも、二人がここと決めた理由は「どんな寝心地なのか気になった」、ただそれだけのようだったが。


 一方、孝太が選んだのは一人用の小さな個室だった。聞くところによると、タイリクオオカミも同じタイプの部屋に泊まっているらしい。

 その個室には、少し小さめの木製の机、主だった装飾のない簡素なシングルベッド、そしてその脇に置かれたコンパクトなサイドチェスト……といった最小限の家具しか備え付けられていないようだった。

 通称が『ささやか』であるのも納得の部屋だ。とはいえ、ハンモックしかない空間よりはよっぽど宿泊施設の風情があるだろう。

 当初、孝太は『みはらし』というベランダ付きの部屋にしようと思っていたのだが、そこはどうやら二人用の部屋らしく、ひとりで泊まるには広さをもて余すようにも感じられ、結果『ささやか』に行き着いたのだった。

 こと独り身に関しては、広いよりも少し狭いくらいが丁度良い。




 ほどなくして、アリツカゲラ率いるお客様御一行はロッジの中央ホールへと戻ってきた。

 獣三匹、鳥一羽、そしてヒト一人は、テーブルに並べられた色とりどりのジャパリまんを囲む。そうしてホールには、ワイワイ、ガヤガヤとにぎやかな団らんの時間が訪れた。


「───えっ!? ヒ、ヒトさん…!? 毛皮がっ…!」


 急にキンシコウが驚きの声をあげた。それだけでなく、彼女はその表情までも凍りつかせている。気付けば、ヒグマも同様だった。

 それは、席についた孝太がダウンコートを脱ぎ、背もたれに掛けた、まさにその瞬間の出来事だった。


 毎度のことながら、服の概念が周知の事実でないのは面倒くさくてしょうがない。内心うんざりしつつも、いつも通り説明すべく孝太は口を開いた。

 が、それを遮るように意外なところから助け舟が出された。


「あぁ、君たちは知らないのか。その黒いのとか私のコレとか、実は取り外せるんだよ」


 そう言ったのはタイリクオオカミだった。己の紺色のブレザーを軽くつまみながら、彼女は自慢気に語り出す。

 動物からフレンズへと変わった時に毛皮が服になったこと、服は着け外しができること、武器同様、服もサンドスターで出来ていること……などなど、タイリクオオカミは自身の知識をすらすらと並べ立てた。


「そ、そうだったのか……」


 突然もたらされた新事実に、ヒグマは意外なほど驚いている。今やジャパリまんを食べる手はすっかり止まってしまっていた。

 そして、自分の白いワイシャツに恐る恐る手を伸ばすと、


「私のこれ……も、ふく、なのか」


 と呟きながら、慣れない手つきでボタンをひとつ外した。


「や、そのっ! 外しはしなくていいと思いますよ! 今は!」


 あわてて孝太が止めに入る。真隣なこともあって、止めざるを得なかった。

 ヒグマから「どうしてだ?」と素朴な疑問をぶつけられたが、例によって孝太は上手い返しが出来ずにいた。

 こういう時のためにも、それらしい理由を考えておくべきだったか。いや、いっそのこと止めなくていいのかもしれない。

 元より自分が気にせず、意識せずを徹底できればよい話ではある。


 と、いつの間に席をたったのか、ぐるっと回り込んだタイリクオオカミがヒグマの側へと立ち、なにやら耳打ちをしていた。


「……は…………だから、……を…………のさ」


 当然ながら、孝太にはさっぱり聞き取れない。しかし彼女とヒグマがチラチラこちらを見てくるので、悪い予感はした。

 ヒグマに至っては、だんだんと目が見開かれてもいく。


 ここでの悪い予感は、大抵当たる。


 思い切り椅子を引き、弾けるように立ち上がったヒグマを見て、孝太はあれが悪しき告げ口だったことを確信した。


「……っ! お、お前! わ、わたっ、私のことをそんな風に見てたのか!?」


 顔を真っ赤にしたヒグマがズンズン詰め寄ってくる。ボタンをひとつ開けた箇所を、力強い握り拳で覆い隠しながら。

 その行動だけで、タイリクオオカミの告げ口がいかに脚色されたものだったかが想像できる。大方…………いや、やめておこう。


「ち、違います!!」


 孝太の口から反射的に否定の言葉が出た。

 今にも胸ぐらを掴んできそうなヒグマの勢いに気圧され、思わず孝太は椅子ごとずり下がる。


「その、何言われたか大体わかりますけど! そういうんじゃ、ないですって!!」


 主張の、ぼやけた宣言。

 己としては言葉通りに完全否定したいのだが、いちいちフレンズたちを意識してしまうのもまた事実であり、つまるところ嘘の言葉であるともいえた。

 しかして嘘も方便。

 この場で「はい、そうです」などと言えるはずもなく─────


「……本当、だろうな?」


 わなわなと震えるヒグマから、最後の分岐路が示された。

 返答次第でははっ倒されてもおかしくない、そんな凄みを感じる。冷や汗を浮かべる孝太の視線と、鋭く突き刺さるようなヒグマの視線とが交差した。


 今言うべき、「はい」のたった二文字が、出せない。


「ま、まぁまぁまぁ…! 落ち着いて、落ち着いてくださいヒグマさん。ほら、ごはんの途中ですし…!」


 なんとか場を収めようと、キンシコウが事情を分からないなりに必死でなだめる。

 固まっていたアリツカゲラもふと我に帰ったのか、「け、ケンカはやめましょう~…」とやんわり諌めている。

 分が悪くなったのを感じて、ヒグマは振り上げた矛をしぶしぶ収めた。


「……す…すまん。衝動的、すぎた…」


 軽く目を閉じて、ふぅ、と息を吐くヒグマ。その様子を見て、一同はホッとひと息ついた。


 何食わぬ顔でジャパリまんを食べ進める、ただ一人を除いて。


 白いジャパリまんをひとくちサイズにちぎり、優雅に口へと運ぶその人は、テーブルの反対側で起こる喧騒を愉しげに観賞していた。

 それに気付いたアリツカゲラは、眉間に小さくしわを寄せる。


「オオカミさん……! あなたはどうして、いつもいつも……っ!」


 熊が落ち着いたかと思えば、今度は鳥が震え出す。山のざわめきは、森のざわめきへと場を変えたようだ。

 事の発端をぴたりと見定めた彼女は、今まで溜まりたまったもの───あれと過ごしている以上、きっと山ほどあるのだろう───をついぞぶちまけんとしていた。

 思わぬところで、トリガーが引かれてしまったらしい。



 暗く、深い森の中に、けたたましい鳥の鳴き声がこだました。


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