第27話 襲い来る雪

 気付くと、空の青にほんのわずかなオレンジ色が混ざり始めていた。

 そんな空の下、仲良く並んで歩いているのは色とりどりの五人。


「つ……疲れた………」


 積もった雪にボスッ、ボスッと穴を開けて歩きながら、孝太は絞り出すように言った。


「ボクも……。外でこんなに遊んだのは初めてかも…」


 先頭を行くキタキツネも、歩き方に疲れが滲み出ている。隣に並ぶカピバラも疲労困憊といった様子だ。


 五人は、あれからも狩りごっこを続けていた。孝太だけは何度か休憩のために抜けたのだが、それでも体力が続かなくなってきたため、彼らは遊びを切り上げて宿に戻ることにしたのだった。


「情けないわね。孝太もだけど、キタキツネとカピバラも普段ゴロゴロばっっかりしてるから……」


 ヘロヘロの三人の背に、まだまだ余裕そうなギンギツネの言葉が鋭く刺さる。

 その物言いに、思わず「おかあさんみたいだ」と小声が漏れ出てしまい、孝太はギンギツネに背中を軽く小突かれた。

 口は災いの元。


「ふふ……♪ 良いとれーにんぐ?になったんじゃない? …色んな意・味・で♡」


「まぁ、そうですかね……いてて」


 最後尾でほほえむカムチャマが、含みを持たせた言葉を投げ掛けた。最もタフでいまだ元気な彼女は、ラッキービーストの運搬役として小脇に彼を抱えている。

 それにしても、自分は彼女からやたらと気にかけられているような……そんな感じがしてならない。

 ひょっとすると、『おせっかい』を焼かれているのでは…?

 軋む足腰を奮い立たせつつ、今日一日の出来事を思い返した孝太は、心の内に小さな猜疑心を芽生えさせていた。

 そんな時、


「……?」


 キタキツネが急に立ち止まり、キョロキョロと辺りを見回し始めた。彼女はけもの耳をしきりに動かし、何かを探っているようだ。


「ん~? キタキツネもギンギツネもどしたのー?」


 後ろのカムチャマが呑気に呼び掛ける。

 孝太が振り返ると、何かを察知したのか、ギンギツネも周囲を警戒している様子だった。キツネたちのその行動から、三人の頭にとある名が浮かぶ。


「まさか、セルリアン……?」


 孝太の口からその名が発せられた瞬間、場の空気が変わった。皆は一様に立ち止まり、辺りの音を探っている。

 探知に貢献できない孝太は、せめて余計な音を立てぬようにと息を止めた。

 開けた雪原に、嫌な雰囲気が漂う。


「──この音は……風を、切るような…?」


 少し身を低くしているキタキツネが、確かな音を捉え始めたようだ。

 ふと彼女は振り返り、空を見上げた。




 瞬間、キタキツネの全身を影が包んだ。




「……っ!!」


 彼女の、息を飲む音が聞こえて─────




 ───バゴォッ!!




「よよよよ!?」

「うっ!?」


 突如、目の前で白い何かが炸裂した。

 すぐ側にいたカピバラと孝太は、咄嗟に腕で顔を覆わざるを得なかった。二人の服に、雪がバラバラとぶつかって落ちる。

 弾け飛んだ白は、固まった雪の欠片だった。そして、目の前の炸裂跡を見て、四人は何が起きたのかを理解した。


 どこからか、大きな雪の塊が降ってきたのだ。そしてキタキツネは、その下敷きになってしまったのだ。


「キタキツネっ!!」


 血相を変えたギンギツネが、着弾地点へと駆け寄る。そこにはこんもりと雪の山が出来ていた。山から飛び出た雪の塊は、割れてなおその球形の大部分を形として残していた。

 それはつまり、固められ、硬度を増した雪の玉が彼女に直撃したことを意味していた。


「キ……キタ、キツネ…!」


 カピバラとギンギツネによって山は素早く掘り返され、すぐさま中からキタキツネが見つかった。意識を失っているようで、引き上げられた彼女はギンギツネの腕の中でぐったりと横たわっている。

 彼女の顔は、額から頬にかけてしもやけのように赤く染まり、鼻血も出ていた。その痛々しい様子を見て、にわかにギンギツネの目付きが険しくなった。

 それは孝太が初めて目にする、本気の怒りの表情だった。


「……どこっ!? こんなことをするヤツは!」


 眉間にシワを寄せたギンギツネが、再び辺りを見回す。しかし、怒りの表情から一転、彼女は目を見開いて叫んだ。


「───よけてっ! また飛んでくる!!」


 彼女の目線を追って、カピバラと孝太、カムチャマの三人は急ぎ振り返って宙を見た。

 中空には、迫り来る巨大な雪玉がいくつも確認できた。初めの一撃は距離を確かめるための一投にすぎなかったのだ。

 一、二、三……などと数を数えている暇はない。


「ぅおぁっ!!」


 孝太は背を向けて走ろうとしたが、咄嗟のことで雪に足をとられ、つんのめってしまった。倒れかけたところをギリギリ踏みとどまるも、直後、己の身体が影に包まれるのを感じた。


 まずい────!


 激痛を覚悟し、全身に冷や汗が吹き出す。衝撃に備えて、身体が勝手に力むのを感じた。

 そして次の瞬間、雪が背中へ─────



 ───ボゴッ!!



 派手な音を立てて直撃………したと思ったのだが、実際に孝太の背に降りかかったのは細かい雪の粒であった。状況の理解が追い付かず、孝太は恐る恐る首を動かす。


 なんと、自分の背後にはカムチャマが立っていた。

 彼女は、今まさに熊手を振り下ろした……そんな格好をしている。


「コータくんっ! 死にたくなかったら、変に動くよりボクりんの後ろにいてね!」


 こちらに呼び掛ける彼女の声は凛としていて、いつになく頼もしかった。

 ついさっきまでのんきしていたけものとは思えない。


「な、な!? なんなんだねねねっ!?」


「……くっ!」


 声の方を見ると、カピバラとギンギツネは既に野生解放をしていた。

 声音にこそ焦りが表れているものの、二人ともしっかり雪玉を回避している。ギンギツネはその手にキタキツネを抱えていながら────否、抱えているからこそ命中しそうになかった。


「ふんっ!」


 カムチャマの縦一閃が、飛来する雪玉を粉砕する。彼方から放物線を描いて降り注ぐ雪玉は、直径1メートルはあろうかという大玉なのだが、彼女は難なく一刀両断していく。

 その結果、カムチャマと孝太の両脇には、あっという間に雪の山が出来上がっていた。野生解放をしていないのに、とてつもない剛力だ。さすがヒグマである。


 更に二つを粉砕したところで、ようやく雪玉の襲来は収まった。

 炸裂した雪玉のせいで辺りの起伏が激しくなり、孝太たちの周りはデコボコした地形に様変わりしてしまった。



 そういえば、ラッキービーストは…?



 そう思ったのも束の間、おもむろにカムチャマが足元の雪へ手を突っ込んだかと思うと、アワアワ震えた状態の彼が引き抜かれた。先に埋めておくとは、まったく冴えている。

 それはともかく(?)、怪我人も出てしまったため、早く宿の中へ避難した方がいいだろう。幸い、ここから宿までは20メートルほどの距離だ。


「い…一旦、宿まで逃げましょう! 相手がどんな奴なのかわからないし……外にいるのは危な───」


 孝太の言葉が、途中で詰まる。


 カピバラの背後に、雪から『何か』が形作られていく様が見えたからだ。


「カピバラっ! 後ろ!! 逃げて!!」


 同じものを目撃したギンギツネが、慌てて後方に飛び退く。驚いたカピバラも素早く背後を見たが、遅かった。


「───ぐっ!!」


 雪が急速に形を成した『それ』は、巨大な右腕とおぼしき部位を振るい、目の前のカピバラを凪ぎ払った。

 横に3メートルは吹っ飛ばされ、カピバラは雪の中をボロ切れのように転がった。

 肩にかけていたジャージが、ふわりと雪原に舞う。


「カピバラさんっ!」


 三人と一匹の前に立ちはだかったのは、身の丈2メートル半はあろうかという雪の巨人だった。

 そいつには首を含めた頭部が存在せず、身体にも目鼻や口は見当たらない。全体的に丸っこく、しかし逆三角形のマッシブなボディは強者の風格を漂わせており、その両腕は丸太のように太い。


「コイツが…雪玉を……!? でもどうやってここまで……」


「やってくれたねぇ、キミ…っ!!」


 尻尾の毛を逆立てたギンギツネと、巨人を睨み付け、わなわなと身体を震わせているカムチャマ。

 そして、巨人の威圧感に負けて動けない孝太と、変わらず震え続けているラッキービースト。


 四者四様の状況で、雪の巨人が動いた。


「うっ……ぁ…!」


 巨人の狙いは、最も距離の近い孝太だった。ドッス、ドッスと迫り来る巨体は、当然と言うべきなのか、地形の悪さなどまるで関係ないといった歩みである。

 こちらはこちらで、ただでさえ動きにくい雪原が輪をかけてデコボコになっている今、あれの攻撃をどうこうするのは無理だろう。

 ……授かった力なしでは。


 巨人は、腰が引けている孝太の眼前まで迫ると、パラパラと雪をこぼしながらも左腕を引き、大きく身体を捻った。

 その光景はとてもゆっくりなようで、しかして一秒足らずの出来事だった。



 ────来るっ!



 刹那の瞬間、身構えた孝太を押し飛ばし、両者に割って入る者がいた。

 デジャヴを感じ、孝太は確認するまでもなく誰だか分かった。


「カムチャマ…さん!?」


 巨人が振り抜いた左ストレートに真っ向から右ストレートで立ち向かったのは、やはりカムチャマだった。

 しかし今度の彼女は、身を呈してヒトを守ろうとしたわけではなさそうだ。どちらかというと、誰よりも早くその怒りをぶつけんとしている─────無造作に押し退けられた感触から、孝太にはそう思えた。

 倒れ込む瞬間、光なき両目をカッと見開き、全身から七色のオーラを放つ彼女が見えた。


「だぁッ!!」


 巨人の拳と、彼女の拳。

 圧倒的サイズ差のある二つの拳が、中空にて思い切りぶつかり合った。高速かつ強靭なパンチ同士が、周囲の大気をも震わせる。

 そして─────



 一拍置いて、巨人の腕に亀裂が走った。



「………ふん」


 雪にめり込んだ自身の拳を引き抜き、カムチャマは不敵な笑みを浮かべた。その顔に、普段のキャピキャピとした面影はない。


 一、二秒の後、にわかに雪の粒がこぼれ落ちたかと思うと、堰を切ったように巨人の左腕はボロボロと崩れ落ちた。


「す……すごい…」


 呆気にとられていたギンギツネが、ポツリと呟く。丸っこいけもの耳をピクリと動かし、すかさずカムチャマは叫んだ。


「ギンギツネ! コータくん! みんなを連れて、早く宿にッ!」


「わ、わかったわ!」


「は…はいっ! …ボス! 悪いけど自力で逃げてくれ!」


 いつもより断然低く、ドスの効いた声が二人を突き動かした。

 押し退けられた時点で力を使い始めていた孝太は、即座に立ち上がって走り出すと、かすかに呻くカピバラを背負い上げた。

 既にキタキツネを抱えているギンギツネは、宿へと一直線に駆け出した。

 後ろの方で震えていたラッキービーストは、ヒトの指示を受けたからなのか、震えるのを止めて、大回りでピョコピョコと宿に向かい出した。


 突然動き出した彼らを逃がすまいと、巨人も宿に向かうべく振り返る。失った左腕のことなどまるで意に介していない様子だ。

 逃げる獲物へと巨人が一歩踏み出したところで、力強く雪を踏みしめたカムチャマが、意趣返しとばかりに立ちはだかった。


「……キミの相手は私だよ」


 消していた熊手を再度生み出し、カムチャマは前屈みに構えた。揺らめくサンドスターのオーラが、熊手にも伝播していく。


 熊の番人を前にして、雪の巨人は突如走り出した。身体の前で右腕をがっしりと組み、全力のショルダータックルを喰らわせんと、雪を舞い散らせて迫り来る。




 決戦の鐘が、雪山地方に重く鳴り響いた。


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