第28話 よみがえる雪

 荒れた雪道を、巨人が駆ける。

 それを迎え撃たんと、立ちはだかる番人。


 カムチャマは両の手で熊手を握りしめると、得物を左下に下ろすよう構えた。その構えは、さながら居合いの型のようで────


「でやぁーッ!」


 雄叫びと同時に、踏み込んでの一閃。

 左下から右上へと弧を描き、光纏いし熊の手が振り抜かれた。七色の粒子と共に、波打つロングヘアーが揺らめく。


 ボゴッ!というくぐもった音をたてて、雪の巨人の腰から上が吹き飛んだ。残された下半身は、勢いを殺せぬままカムチャマの足下へと雪崩れ込む。

 形を維持できなくなったのか、巨人の足はそのまま崩れ落ちて雪へと還った。


「ふぅ……こいつ、なんだったのかな…?」


 カムチャマはひとまず安堵すると、振り上げた得物を下ろして、普段の雰囲気に戻り始めた。落ち着きを取り戻すと、改めて疑問が浮かぶ。

 あんなものは、とてもじゃないがセルリアンには見えなかった。そもそもフレンズを食べようとしてすらいない、雪の塊なのだ。

 あれはいったい……?





「やった…! カムチャマって、やっぱり強いのね…! いつもは、あんななのに」


 巨人が粉砕される様を見て、ギンギツネは息切れしながらも感嘆の声を上げる。

 その言葉を聞いて、隣にいた孝太も振り返らずして決闘の行方を理解した。


 負傷者二名を抱えた彼らは、丁度宿の玄関に駆け込んで一息ついたところだった。ここまで全力疾走をしてきたので、元々の狩りごっこによる疲れも相まって、両者共にかなり息が上がっていた。

 そういえば、ラッキービーストがいまだ到着していない。歩幅も速度も、何もかもが違うので仕方のないことではあるが。


「けど……本当に倒したんでしょうか…? この前のセルリアンも……その、しぶとかったですし」


 熊手を下ろすカムチャマを遠目に見て、孝太の心に漠然とした、しかし紛れもないデジャヴを感じさせる不安がよぎった。

 以前の戦いを思い出したのか、ギンギツネの右手が静かに胸元へと伸びる。あの時の負傷はやはり苦い思い出となっているようで、彼女の表情は再び曇ってしまった。

 もしもの事態を危惧するあまり、余計なことを言ってしまっただろうか。


 そもそも、あの雪の巨人はセルリアンだったのか?

 また、どこか遠くから雪玉を投げて(?)きたにも関わらず、即座にカピバラの背後へ回れたのはなぜなのか?

 そういった重要そうな部分が未知のままでは、どうにも安心しきれない。が、しかし、二人には未知を恐れるよりも先に、すべきことがあった。


「そう…ね。……ともかく、一旦キタキツネとカピバラを─────そこの部屋に寝かしておきましょう」


「…ですね」


 ギンギツネが抱えるキタキツネは、依然として気を失ったままであった。孝太の背のカピバラも、時折呻いてはいるものの、意識がはっきりとはしていないようだった。

 動けない彼女らをせめて安静にさせるべく、孝太たちは手近な部屋へと二人を運び込んだ。その際、いっそ押し入れに匿ってはどうか? と、少々話し合ったのだが、結局そのまま布団へ寝かせることになった。


 もしも、いま再び巨人が現れ、宿へと襲いかかってきたのなら、あれの前では部屋も押し入れも特別変わりはしないのだから。


「これで………あっ!?」


 怪我人を寝かせて部屋から出たところで、ギンギツネが叫んだ。

 すかさず駆け寄った孝太は、開けっ放しの玄関越しに、カムチャマを襲う『雪』を見た。





「───ぅえっ!?」


 構えを解いて、今の今まで動いていた雪の塊を探ろうとしたその時。

 がしりと冷たい手に掴まれたような、そんな感触がカムチャマの右足首を襲った。


「こいつ! まだ動くの…!?」


 危険を察知し、足に力を込めようとするも既に遅く─────

 右足をぐいと前に引っ張られ、カムチャマは仰向けの格好で雪に背を打ちつけた。

 突然のことに、熊手が手から滑り落ちる。


「く……! 離せッ!」


 すかさず、右足を思いっ切り蹴り上げた。足首にまとわりつく手はあっけなく砕け、粉雪となって舞い散る。

 高く振り上げた右足を、今度は力強く振り下ろし、カムチャマはその勢いで身体を持ち上げた─────かと思われたのだが、


「──ぅぐっ!?」


 首を、冷たいものが押さえつける感触。

 起き上がろうとしていたカムチャマの身体は、その一点への妨害によって、再び雪へとうずもれた。咄嗟に両手を伸ばすと、またしても固まった雪の手ごたえが感じられる。

 無理やり顎を引いて首元を視界に収めると、太く強靭な白い指が、己の首をギリギリと絞めあげているのが見えた。その手は、両肩辺りの雪から直接生えているようだった。


 同時に、足先辺りの空間に、雪の塊がみるみる膨れ上がっていく様も見える。

 身体を吹っ飛ばそうとも、よみがえるというのか────!?





「た、助けなきゃっ!」


 その光景を宿の廊下から目撃し、ギンギツネは慌てて駆け出した。

 が、突然肩を掴まれ、彼女の身体は急停止する。


「ちょっ……何するの!? 早く行かないと───!」


 焦るギンギツネは素早く振り返り、己の肩を掴む腕を振り払おうとした。しかし、その腕の主、孝太の何時にない真剣な眼差しに、彼女は驚いて振り払うのをやめた。


「ギンギツネさん…! 闇雲に突っ込んでも、あれには……敵いません…!」


 本気の目とは裏腹に、出てきたのは弱気な言葉。いつもの彼にこう言われたのなら、きっと感情的に意見していたことだろう。


 ギンギツネの知る孝太は、いつも伏し目がちで、基本的に誰かと目を合わせようとはしない人だ。

 ネコのそれと同じように、コータは、ひいてはヒトとはそういう習性なのだろう。日々を共に暮らす中、彼女はそう解釈していた。

 そんな彼が、どうしたことか、今はまっすぐこちらの目を見て話しかけてきている。


 思わずギンギツネは───わずか一、二秒足らずのことではあったが───ポカンと呆けてしまっていた。が、一刻の猶予もない状況に、すぐさま我に帰った。


「そりゃ……勝てない、かもしれないけど、放ってはおけないわ…!」


「ええ、ですから────走りますよ!」


 ……敵わないって、言ったのに?


 そんな疑問が言葉となるより早く、肩から彼の手が下ろされた……かと思えば、そのまま手首を掴まれ、


「ぁ───ええっ!?」

 

 突如、孝太が走り出した。

 彼に引っ張られる形で、ギンギツネも一緒に宿の廊下を走り出す。

 ……走り出しはしたのだが、その進行方向は想定とは真逆であった。


「こっ、こっちに走ってどうするの~!?」


 力を使いっぱなしであろう孝太は、初めて見せた猛ダッシュで、宿の奥へ奥へと駆けていく。迷いなく進む彼の意図が、ギンギツネにはまるで理解できなかった。





「こ……このォッ!!」


  …バゴッ!!


 首を押さえつけられ、苦しみもがくカムチャマは、渾身の力でもって雪の手を握り潰した。抑えが外れ、喉の苦しみがスッと消えたかと思うと、急激に咳と吐き気と涙とが込み上げる。


「ぅ……けほっ、けほっ!! ゲホッ!!」


 息苦しさから解放されたはずなのに、すぐに違う息苦しさが襲い来る。

 じわりと広がる涙のせいで世界はおぼろげになり、顔面は猛烈に熱くて────


 咳き込むカムチャマの潤んだ視界が、不意に陰った。


 夕日を遮るのは、その巨体でもって覆い被さるかのように立つ雪像。カムチャマが必死で拘束を解く間に、雪の巨人は完全復活を遂げていた。


「食われて……たまるかぁっ!!」


 それでも怯むことなく、カムチャマはすかさず得物を再生成、熊手が形を成すと同時に突き上げる。



  ぼすっ…!



 妙に、軽い手応え。


 カムチャマが突き上げた熊手は、巨人の胴をあっさり貫いた。穴からは雪がポロポロこぼれ落ちていく。


 ぶち開けてやったのに、何か…おかしい。


 言い知れぬ違和感を覚え、カムチャマは熊手を引き抜こうとした。が、何かに引っ掛かったような感触がして、熊手が抜き取れない。

 貫通させられてなお、巨人はカムチャマに迫る。眼前が白い巨体でいっぱいになったところで、ふと穴の内側が覗き見えた。


 ぶち抜いた穴は、急速に塞がれつつあった。穴だった箇所は熊手ごと固まっていき、そこだけが不自然なほどにつやめく硬質な雪と化している。


「もってかれた……!? けど───」


 取り込まれようが折られようが、消してからまた作り出せばいいだけのこと…ッ!


 カムチャマが念じると、突き刺さった熊手は瞬時に七色の粒子へ分解され、消滅。

 そのまま突き出した手に得物を生み出さんと構えたが、それより先に巨人の反撃が繰り出され─────


「…ぐっ…ぇ」


 三度目の掴み。二度目の絞め上げ。

 ぐわし、ぐわしと、体重をかけた剛腕でもって、雪の巨人はカムチャマの細い首を押さえつける。先の攻撃から、ほとんど間を置かずの二擊目。彼女の身体には、ついに力が入らなくなってきた。

 呼吸を阻害され続け、巨人の腕を掴むのがやっとのカムチャマは、霞む意識の中、敵の確固たる意志に驚愕していた。



 こ……こいつには、何がなんでも私を……邪魔者を『殺そう』という思いがある……!


 セルリアンは、フレンズを喰らう……。

 それはごく当たり前の……パークの掟みたいなもので……熊が鮭を獲り、蜂蜜を食べるのと……そう変わらないだろう…。


 だが……こいつは、なんだ…!?

 喰らおうとすることもなく、ただ皆を痛めつけ、あまつさえ殺してしまおうと……。


 やはり、セルリアンじゃ……ないのか…?



「……ぅ………………」


 もう、限界だ。

 空の橙と、視界を覆う白が混ざり合い、全てがぼやけて歪んでいく。溢れ出る大粒の涙が、カムチャマの頬を伝った。



 ごめん……カピバラ、キタキツネ……。

 ……ギンギツネも……コータくんも………本当に、ごめんよ…………。






 意識が深い暗闇へと落ちるその瞬間。

 寒々しい雪原には不釣り合いな、暖かい何かを感じた。


 最後の最後っていうのは……案外心地よく終われるもの…なのかな……。

 事切れる寸前、カムチャマはそう思った。


 しかしてその暖かさは、確かに温度のあるものだったのだ。



  ───バシャァ!!



 もうもうと湯気をたてる液体が、白い巨躯へと降りかかった。こぼれ落ちた液体はカムチャマをも濡らし、唐突な熱の刺激が彼女の意識を呼び戻す。

 ジュワァァ……と小気味良い音をたてて、雪の背中に大穴が広がっていき、突然の高温は巨人に動揺を走らせた。反り返り、がむしゃらに腕を振るい、天を仰ぐようなその暴れ具合には、重苦しい咆哮すら聞こえてきそうな、鬼気迫るものがあった。

 

 再び拘束が解けた。

 カムチャマはギリギリの気力でもって起き上がり、無我夢中で横に飛び退いた。

 そんな彼女をしかと抱き止めたのは、青い服のけものと、黒いコートに身を包んだヒトだった。



 ギンギツネ……! コータくん……!



 震える身体でパクパクと口を動かすも、カムチャマの想いは言葉とならず。

 降り注いだ『お湯』ともまた違う、人の温もりという暖かさに身をゆだねて。

 二人に笑顔を向けると、カムチャマは静かに瞼を閉じた。


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