第29話 貫かれる雪
「カ……カムチャマ…!?」
孝太とギンギツネの方へと、苦しみ、憔悴しきったカムチャマが飛び込んでくる。
二人は、中身のお湯をぶちまけ、空になった特大桶を放り投げる。もう一度運ぶだけの余裕は、時間的にも体力的にもない。
どさり、と力なく崩れ落ちたカムチャマを、二人はすんでのところで抱き止める。
彼女の身体は案外軽く感じられ、先ほどまで剛力無双の活躍をしていたフレンズとはとても思えなかった。
何か言いたげに口を動かしたカムチャマは、ついにその言葉を音としないまま、意識を失ってしまった。
「くそっ……!」
孝太が険しい顔になり、わなわなと身体を振るわせる。彼が怒っているのは誰の目にも明らかだった。そんな彼の様子を見て、ギンギツネは十日ほど前の戦闘を再び思い出す。
鏡を纏ったセルリアンの時と…同じだ。
眩しくってよく見えていなかったけれど、あの時と同じような雰囲気……。
「───!! あれは…!」
不意の言葉にハッとして、ギンギツネは彼の視線を追う。孝太が指差す先には、背中側が大きく溶けつつある雪の巨人。
シュウシュウと蒸気の上がるその大穴から、小さな六角形の何かが見えた。
「…あれって………もしかして、あれがセルリアン…なの…!?」
それは、15cmほどに拡大された、半透明な雪の結晶であった。
六角形の枠組の中に、樹木の枝が放射状に伸びるような───よく雪のマークとして知られるあの───水色がかった結晶が、ピタリと嵌め込まれている。夕日を受けてキラキラと輝くその美しさは、あたかも宝石の一種かと錯覚しそうなほどであった。
……中央に収まる、不気味なひとつ目さえなければ。
「…っ!」
巨人に向かって孝太が駆け出す。
ギンギツネは戸惑うも、気絶したカムチャマを引き離すことを優先した。
きっと、あれが本体なのだ。あれこそが雪を自在に操っているセルリアンだ。
孝太は、直感的にそう理解していた。
元より相手までは2、3メートルの距離。ザザザザッと雪を蹴散らし、素早く敵の背中側へ回ると、孝太は勢いよく腕を突き出した。
狙いは体内の結晶体、ただそれだけ。
その時、光なきひとつ目が敵に気付いた。
「───う!!」
伸ばした腕が雪の結晶に届く寸前。
なんと標的は、自力で大穴から飛び出した。繰り出された孝太の腕をかすめて、結晶体セルリアンは雪の大海原へと飛び込んだ。
──バゴッ!
勢い余って、取り残された雪像に腕が突き刺さる。お湯を被って脆くなっていたのか、はたまた本体が脱出したためか。抜け殻と化した雪は、その衝撃で簡単に砕け散った。
「に、逃げられ────」
「静かに! 雪の下に逃げたのなら……!」
ギンギツネに動揺を制され、孝太はすぐに口を閉じた。
そういえば……狩りごっこの概念について聞き、また、その原点である狩りについても皆に尋ねた時─────
「こういう雪の中で狩りをする時は、大抵雪の下のネズミなんかを捕ってたわね」
「そうそう。ボクらは磁場がわかるから…」
キタキツネの口から『磁場』だなんて単語が出るとは夢にも思わず、孝太は面食らった。そしてその気持ちはギンギツネにとっても大差なかったようで、
「じば…? 何よそれ? あなた、その耳はどうしたのよ…?」
やれやれといった呆れ気味な返事が、キタキツネに放たれた。同族からの思わぬフレンドリーファイアに、キタキツネは「えっ? えっ?」と焦る。
「ギンギツネこそ何言ってんのさ…? 耳だけで狩りしたって、そんなに上手くいかないでしょ…」
不満気に語るキタキツネ。彼女は彼女で、自分なりの狩りのセオリーがあるようだった。
狩りの際に磁場がわかると具体的にどういう効果があるのか知らないが、その大きな耳以上に頼れるものなのだろうか?
「それは……狩りに失敗は付き物だもの。大体、ネズミなんていっぱいいるんだし」
イマイチ答えになっていないように聞こえる。確率が低かろうと回数を重ねれば結果は出る、というのは確かに間違っていないが。
「……それはともかく! そういうわけで、私たちの狩りごっこっていうのは、そんな感じで相手を探す────かくれんぼみたいなものなのよ」
ピシャリと、ギンギツネが強引に結論付ける。議論なんてめんどくさい、というのはキタキツネも同じだったようで、彼女は「うーん、まあ……そうなんだよ」とすぐに口を納めたのだった。
「……………………」
崩れ落ちた雪像の傍ら。
雪原に潜った結晶体セルリアンを探るため、ギンギツネと孝太は押し黙っていた。
孝太は彼奴が飛び込んだ辺りを目で探ってはみたが、モグラが土を隆起させるような、そんな雪の動きは一切見られなかった。
そのまま十秒以上が経過した。
その間、ギンギツネのけもの耳を除く全てが止まり、孝太も動けず、何も言えなかった。
敵がどれほどの速度で動けるのかわからないが、これだけ時間があれば地の果てまでも逃げてしまえるのではないか、という不安がよぎる。そうなったら二度と追跡できず、いつ雪玉の雨を降らされるかもわからない。
抑えきれぬ焦りに、孝太がついに口を開こうとした、その瞬間。
「───そこッ!」
大きな一声と共に、ギンギツネが大地を蹴った。2メートルは跳ね上がった身体が、空中で翻る。彼女はそのまま後方、宿の方角へと、放物線を描くように落下していく。
彼女の右手が光を帯びて─────
ボゴォッ!!
派手に雪を散らして、ギンギツネは雪原に突っ込んだ。はじけ飛ぶ粉雪のせいで、孝太からは状況が掴めない。
どうなったんだ……!?
ふわりと舞った雪が地に還り、前屈みで腕を伸ばした格好のギンギツネがようやく見えた。
彼女の右手は、雪に突き刺さったままだ。
「違う…!」
悔しげな表情で、ギンギツネは小さくこぼした。背を向けているのもあって、孝太にその呟きは聞き取れず。
突如、ギンギツネのすぐ側から雪玉が射出された。
「なっ!?」
火山の噴火か、はたまた間欠泉の噴出か?
周りの雪をぞわぞわ、もぞもぞと集めながら、直径20cmの雪玉が無数に天へと放たれた。
咄嗟に噴出口へ手を振り下ろしたギンギツネだったが、早くも放出は終わり、雪玉は自由落下へと移り変わり始める。
「……まさか、あの中…!? そういう……ことか…」
孝太の気付きに、ピクリとギンギツネのけもの耳が動いた。
二人の周りへ降り注ぐ、雪玉の雨あられ。
その奇妙な光景の中、孝太はようやく理解したのだった。突然カピバラの背後に巨人が現れた、その理由を。
「ギンギツネさん! 宿まで逃げて!」
この雪原では……相手のフィールドでは勝ち目がない。本体の場所を突き止められなければ、永久に巨人の襲撃を受け続けることになるのだ。一時しのぎであろうと、今は雪のない屋内に隠れるほかない。
孝太が呼びかけた言葉は、事実上の撤退宣言であった。
その言葉を聞くや否や、ギンギツネは大きくジャンプして退いた。彼女は宿の方向へ跳ねながらも、手が届く範囲の雪玉を叩き割っていく。先ほどの気付きは、いつの間にか彼女にも伝わっていたらしい。
夕闇の雪原に、白き玉が無数の影を落とす真っ只中。
少し雪を被ってしまったカムチャマの元に、ギンギツネが着地する。その背を追って、孝太も全力で走る。
だがしかし、相手も獲物を逃がす気は無いようで、
「──がッ…!?」
さながらそれは、ロケットパンチの如く。
走る孝太の左斜め前方から、とてつもない勢いで雪の拳が飛び出した。ひねりを加えた巨大な左ストレートは、孝太の脇腹を抉るように打つ。
「コータぁっ!!」
振り返ったギンギツネの、悲痛な叫びが響きわたる。同時に感じるのは、腹部の鈍い痛み。
しかしてその鈍痛は一瞬で消え、雪原を転がり倒れる孝太に残ったのは、経験したこともない激痛。脇腹から胸にかけてが燃えるように熱く、ひたすらに痛む。
「うあぁ……ぁ…っ」
倒れ、悶絶する孝太は、顔に溢れる涙と鼻水、よだれを無意識に拭う。殴り飛ばされ、眼鏡はどこかへ消えていた。そして、拭っても拭っても、延々と流れる涙は止まらなかった。
もはや耐えきれる痛みではない。どこかの骨が折れていることは、見なくとも察せた。
だが、それでも。
無理やり顔を上げて、敵を見る。
もしかしたら、の……最後の希望に賭けるしか、ない。
とっくに使いっぱなしで……限界を迎えているのは疑いようもない『力』。
どうせ、あれを倒せなければ死ぬ。
仮に倒せたとして、この怪我を治せる確証もない。……後のことはわからないのだ。
だったら、持てる分は全て使い切っても…いいんじゃないか……?
情けないことに、死ぬのはどうしようもなく怖い………。
怖いが、元より悔いなど、無いのだから。
ぼやける視界の先で、拳に引っ張られるように、雪から巨人が生えていく。ダメ押しだとでもいうのか、その身体は今まで以上に固そうで、全身に鈍い艶めきをたたえている。
そんな巨人の大きな一歩が、こちら目掛けて踏み出された。
「くっ……う…お…おお……っ!」
震える手足でもって、よろめきながらも孝太は立ち上がる。
身体中の血管が、ドクンドクンと大きく脈打つ。動悸も急速に激しくなり、心臓が弾けてしまいそうだ。ふらつく視界も、全てに残像がかったような異常さで。
全身からこみ上げるひどい気分の悪さで、肉体の痛みを上書きしている────そんな感覚。
気付けば、目の前に白があった。
「ぬぁ…ッ!!」
ガシリと、互いの両手がぶつかり合う。
ヒトの顔面と、頭なき巨像の首元とが睨み合い、対峙した。ギリギリギリと、中空で両者の腕が拮抗、それぞれの骨と雪とが悲鳴を上げる。
そんな鍔迫り合いの中、不意にヒトへの援軍が到来した。
「りゃぁ!! このっ! 離しな…さい!」
無防備な巨人の身体に、ギンギツネが攻撃を加え始める。その腕を、足を、背中を引っ掻き、叩く。
が、せっかくの援護もむなしく、彼女の爪の連擊は、その表面をわずかに削るだけであった。
「う……! も…もう、野生解放が……」
それもそのはず。孝太と同様、彼女の野生解放も既に切れかかっていた。纏うオーラは薄らいで、ギンギツネの肉体を疲れが支配し始める。
その奮闘の裏で踏ん張り、耐え続けていた孝太も、ついに圧倒的な体格差にねじ伏せられ──────
万力のような雪の五指に、孝太の指が、手が、ぐしゃりとひしゃげた。
「…………!!」
その嫌な音と、対峙する二体の足元へ落ちた赤い雫に、ギンギツネは言葉を失う。
両腕を伝う、どす黒い赤。
揺らぐ世界の中、手首を濡らすその色に気付いて、ようやく孝太は自分の手が壊れたことを知った。
感じるべき痛みは、何処へ行ってしまったのだろう。今や、自分が力を込めているのかすら分からない。
かろうじて認識できるのは、ギンギツネが何か言葉を発している………ただそれだけ。
「…あぁ………嘘よ……」
大粒の涙をたたえて、ギンギツネは攻撃の手を止めた。そして彼女は、膝から雪に崩れ落ちる。
もう、無事なのは……私だけ…?
そんな…馬鹿なことが………
さっきまで…五人で遊んで…………いつもよりはちょっぴり賑やかで………だけど…穏やかに暮らしていて…………なのに……
橙色に染まる雪原に、透明な雫がこぼれ落ちると、巨人を留め続ける孝太もがくんと膝をついた。
死んじゃう……の…?
「…………誰か……誰か、助けてよ……! 誰か───っ!」
その叫びが、届いたのだろうか。
真横の地面の雪から、ボフッ!と見覚えのあるけものが顔を出した。
「───マカセテ」
「……ボ………ボス!?」
違和感の拭えない、しかしとても聞き慣れたその声には、不思議な頼もしさがあった。
唐突に現れた紫のラッキービーストは、ピロピロピロ……といつもの音を発したかと思うと、その双眼から奇妙な光を繰り出した。いつか見た緑色の、巨人の背中を舐めるように照らすその光は、数秒もかからずに収まった。そして、
「スキャン、完了。……ギンギツネ、ここダヨ! ここダヨ!」
再びボスの目が灯る。
今度のは眩しいほどの白色光で、それが示す位置は、巨人の右脇内側であった。
「……それって…!」
「ソコに、セルリアンの本体ガいるヨ! 急イデ!!」
背後からの白色光に気付いたのか、雪の巨人がピクリと反応した。
今を…逃すわけにはいかない!
ギンギツネは弾けるように立ち上がると、身体に残るすべての力を───サンドスターを右手に集中する。
初めての試みだったが、やれると信じた。否、信じるほかなかった。
「対象、移動予測─────」
「…はあ─────ッ!!!」
斜め下から、一直線。
本体めがけて、細く鋭い電光石火の手刀が走る。機械のけものの白色光をも凌駕する、まばゆい一撃が巨人の身体を貫いた。
「…………………………」
ギンギツネの右手は、敵の胴体中央に突き刺さっていた。そこは、直前に場所をずらした白色光と、寸分違わぬ箇所。
少しの間を置いて、巨人の身体は支えを失ったかのように崩れ出す。
それが、答えだった。
剥き出しになった胴体内部で、輝く手刀が結晶体セルリアンを真っ二つにしていた。
パキッ!という硬質な音と共に、ついに美しき結晶は砕け散る。
脅威は、討たれたのだ。
「ヤッタ! ヤッタヨ!!」
「…………勝っ……たの…? 私………」
まばゆい光が失われ、ギンギツネは右手を戻す。ずきりと痛みを感じ、彼女は何事かと右手を確認すると、黒手袋の指先は破れ、己の爪も割れて血が出ていた。
いきなりの一点集中なんて芸当は、相当な無茶であったらしい。
普段ならしかめっ面になるところだが、今はその怪我すら誇らしく思えて。
己の傷ついた手を前にして、ギンギツネは柔らかな微笑みを浮かべたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます