第26話 追いかける
空にはひたすらに青が広がり、わずかに漂う白はかえって際立って見える。
降り注ぐ日光が、地上の白色を一際輝かせていた。
雪山地方には、昨日の吹雪が嘘のような晴れ空が広がっていた。
そして、温泉宿から少し離れた雪原では、これ幸いと雪にまみれて元気に駆け回る人影があった。
「ほらほら~♪ こっちだよ~っ!」
ざっくざっくと雪をかきわけ軽快に進み続けるカムチャマは、己の背中を追う男を楽しげに煽る。
「…っと、ぬぅ…!」
追う側の男────石井孝太は、積もった雪に足をとられて思うように走れずにいた。
前を行くカムチャマはさも当然かのように走っているが、それは彼女の脚力あってのことだ。元々の力の差に加えて、履きなれない長靴───玄関の靴箱から拝借した───を着けている今、自分がカムチャマに追いつける可能性は万にひとつもないだろう。
しかし、自分の役目は追いつくことではないのだ。
「……ん! カムチャマ! 右だよよよ!」
数メートル離れたところで並走していたカピバラは、何かに気付いたのか、急に仲間へと叫んだ。しかし、あの距離ではもう間に合わないだろう。
「え~っ? 右って────あっ!?」
のんきな返事をしつつ、カムチャマはくるりと右を向いたが、時すでに遅し。
雪化粧をしたモミの木陰から、稲妻の如く青い影が飛び出した。宙を舞った青い影は、瞬く間にカムチャマを押し倒す。
ボフッとやわらかな音を立てて、二匹のけものが雪の中へと倒れ込んだ。
「……ふぅ。捕まえたわよ」
「あちゃ~☆ やられたぁ~…」
青い影の正体は、物陰に隠れ潜んでチャンスを窺っていたギンギツネであった。
宿の近くの雪原にて、現在 孝太たちは『狩りごっこ』をしていた。
大広間での『たたかいごっこ』は有耶無耶に終わってしまった。
が、その直後、トレーニングの話を聞いたキタキツネによって提案されたのが狩りごっこだった。曰く、「遊びながら鍛えられそうだし」とのこと。
外で遊ぶだなんてまず言わないであろうキタキツネの提案に、ギンギツネは大層不思議がっていた。かくいう自分も、外での遊びと聞いてびっくりした。
これまで遊ぶために外出するキタキツネを見た覚えはないのだが……。
「なるほどなるほど~! コータくんは囮だったのかー」
「遊び方を考えただけあって、色々思い付くもんだねねね…!」
起き上がって雪を払うカムチャマの元に、感心した様子のカピバラがやってきた。
それから少し遅れて、頭に雪をかぶったキタキツネも戻ってきた。どうやら雪に隠れて様子を伺っていたらしい。
「ふーん……協力プレーってやつだね。ゲームとおんなじだ」
そういえば、筐体には二台で協力プレイが出来るゲームも入っていた。……いまだ遊んだことはないが。
そういう意味では、最もチーム戦の理解が早いのはキタキツネなのかもしれない。
実は、提案された時点での狩りごっこはシンプルな遊びであった。
更にたたかいごっこ同様、かなり曖昧な概念で、キツネとカピバラ、クマのそれぞれが『三種三様』に違う遊びを思い描いていた。
事実上のかくれんぼだったり、単なる追いかけっこだったり、刹那の一撃で魚をすっぱ抜く競技だったり……とにかくバラバラだった。それ故、またしても孝太がルールを取り決めることとなり、結果として狩りごっこは、三対二の変則鬼ごっこへとその全容を変えた。
まず、逃げる側を三人、追う側を二人のチームに分ける。追う側は、逃げる側の誰かを一人でも捕まえられれば勝利となる。誰も捕まえられないまま制限時間を越えてしまった場合は、追う側の敗北となる。制限時間の超過はラッキービーストに報せてもらう。
そして、唯一フレンズでないために圧倒的格差がある孝太は、常に追う側で固定とする。これについては、逃げる側となった孝太が即座に捕まってしまったため、急遽生まれた追加ルールであった。
「───じゃあ交代ね。今度は誰が追う側?」
やりきって満足げな面持ちのギンギツネが周囲を見渡す。これまでの三戦と同じく、交代のタイミングだ。
が、楽しげな様子とは裏腹に、逃げる側だった三人は誰一人として名乗り出なかった。
「いやぁ~、もっかいギンギツネでいいんじゃない? なんていうか……息ピッタリ♡って感じだし♪」
「そうそう。お似合いだよ…?」
妙にニヤついているカムチャマとキタキツネは、どうぞどうぞと言わんばかりに追う側の役を譲渡してくる。
その不自然さに不気味なものを感じ取り、思わずギンギツネは目を細めた。
「……何? たたかいごっこの時もだけど、あなたたちのそのニヤけ顔────」
「ゴホッ、ゴホッ!! つ、次は私がコータくんと組むよよよ…!」
唐突にカピバラが手をあげた。ついに湧き出した疑念ごと吹き飛ばすかの如く、彼女は大きな咳をしながら追う側に立候補する。
それを見てハッとした様子のカムチャマ、およびキタキツネは、あわてて笑みを隠した。
「あら、そう? いや、それより……今さらだけど大丈夫? それだけだとカピバラは寒いんじゃ…」
日が出ているとはいえ、この雪原のまっただ中である。普段着の上から元職員用ジャージ───孝太が普段使いしているそれ───を雑に羽織っているだけのカピバラを見て、ギンギツネはふと心配になった。
「あぁ…それならコータくんにならって着込んでるから大丈夫だよよよ」
そう言いながら、カピバラは首もとのリボンごとシャツを引っ張って、肌着を覗き見た。それは、倉庫にあった職員用制服と共に見つかった、女性用の防寒着であった。
袋の説明文曰く、高い保温性と、発汗に応じて繊維が発熱する仕組みの────いわゆるヒートテックの肌着らしい。
羽織ったジャージが青色なせいで見た目こそチグハグだが、肌着と合わせて彼女はそれなりの寒さ対策をとれていた。
もっとも、フレンズだからこそ耐えられている節はある。
「ならよかった。────それじゃあ、次はコータ・カピバラのチームね」
ひと安心したのか、ギンギツネがこちらを見る。ついにお呼びがかかってしまった。
しばらく彼女らを眺める形で休憩していた孝太だったが、早くも次の狩りごっこの始まりを感じて、彼は小さくため息をついた。
雪原での追いかけっこは予想以上に厄介で、運動不足の27歳には過酷すぎた。明日には、確実に筋肉痛と風邪が降りかかるだろう。孝太は重い腰を上げて立ち上がりつつ、来るべき未来を察知した。
そして「どうせそうなるのならここで全力を出してやろう」と開き直り、再び雪原へと駆け出したのであった。
────なるようになれ、だ。
五人が走り回っている雪原の片隅。
そこで、雪にまみれて何かが蠢いた。
徐々に。
少しずつ。
ゆっくりと。
大きな雪の塊が、だんだんと彼らに近付いていた。
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