第11話 引きちぎる


「そこっ!」

「えいやぁっ!」


 ギンギツネが斜めに振り下ろしたモップが、セルリアンコウモリの右の翼を叩き割る。同時に、カピバラが縦一文字に振り抜いたオールも左の翼をぶち抜いた。

 バキィッ!という破砕音が二重に響き渡り、細かい鏡の欠片がキラキラと舞い散る。異形の翼に思わぬ衝撃を受けたセルリアンは、バランスを崩しておかしな軌道を描く。必死の羽ばたきもむなしく、コウモリは広間の奥へと墜落していった。


 それを追ってキタキツネは走り出す。この機を逃すわけにはいかない…!

 走りながら高く跳躍した彼女は、空中で得物をくるりと反転させ、デッキブラシの柄をセルリアン目掛けて突き立てる。


「これで───トドメだっ!」


 地上でもがくコウモリを、硬い木の棒が無慈悲に貫いた。




「……ふぅ。…疲れた」


 キタキツネの全体重を乗せたひと突きは、コウモリの胴体に穴を開け、一つ目が映っていた鏡面は無残にひび割れている。

 ボロボロの胴体の左右には、これまたアンバランスに破壊された両翼が力無く床に広がっていた。


「──待って! …まだそのままよ、棒は抜かないで」


 キタキツネの側に、ギンギツネがあわてて駆け寄る。

 怪訝そうなキタキツネを横目に、彼女はセルリアンをまじまじと観察し始めた。


「このセルリアン……本当にやっつけたのかしら。いつもみたいにパカッと弾けないわね…」


 割れ落ちた鏡に疑いの目を向けるギンギツネは、モップの柄でコウモリの体をつついてみた。コン、コンと硬い音がするも反応はない。


「もしかすると…石に当たってないのかも。……ひっくり返してみる?」


 キタキツネが怖い提案をする。もしこれが死んだふりだったなら、ひっくり返す拍子に反撃されるかもしれない。

 しかし、確認しないことには安心できないのも事実だった。


「…やりましょう。カピバラ、こっちに来てくれない?」


「はいよ。…二人とも、用心するねねね」


 三人が集まるのを遠目に見た孝太は、無事に倒せて本当に良かった…と安堵した。凶悪なセルリアンを見事やっつけた彼女らを讃えて、余り物だがスポーツドリンクを差し入れようと孝太は立ち上がった。




「じゃあ、やるよ?」


「ええ…」


 覚悟を決めたキタキツネは、コウモリの胴体からデッキブラシの柄をゆっくりと引き抜いていく。

 ペキペキペキと割れた鏡が音を立てる。その様子を囲い見ているギンギツネとカピバラは、再び得物を振り上げ、いつでも叩き潰せるよう構えていた。


 ペットボトルを持って呑気に近付いていた孝太は、足下を警戒する三人を見てハッと息を飲んだ。

 まだ…終わっていないのか?


 楔が抜き取られた鏡の体を、キタキツネは柄でえいやっ!とひっくり返す。予想以上に軽く、手応えのない胴体は、繋がっている翼ごとパラリと裏返しになった。


「あれ?」


 コウモリの裏側は、半透明な青いゲル状のもので覆われていた。よく知るセルリアンの体を薄く引き伸ばしたような、そんな物質が鏡の裏にぴっちり張り付いている。先ほどキタキツネが開けた穴の部分にだけ、ぽっかりと貫かれた跡が出来ていた。

 だが、裏面にはその青い膜以外のものは何一つ無い。


「石が……ない?」


 ギンギツネの言葉に三人は顔を見合わせる。全員がそんなバカな、と言いたげな様子だった。

 もしや翼に?と考えたキタキツネは、翼の裏側がよく見えるようズラしてみたが、やはり石は無かった。


「…そんなことって、ある?」


 前例のない出来事に、ギンギツネは頭を悩ませた。これでは倒せたかどうかわかったものではない。

 しかしこれだけつついても返しても動かないところを見るに、やはり事切れたのだろう。モップの構えを解き、もう少し細かく分析しようとギンギツネはしゃがみこんだ。


 ふと彼女は、鏡にキラリと何かが反射したようなきらめきを見た気がした。

 薄闇の大広間の中で光るものなんてあるだろうか?


「あの……セルリアン、どうなったんですか?」


 青い膜をつつくキタキツネの後方に、孝太が歩いてきた。

 けもの耳だけ彼に向けて、キタキツネはコウモリを弄りながら説明する。


「たぶんやっつけたんだけど…なんかヘンなんだ。石がないし、こんなペラペラでぶよぶよなセルリアンはみんな知らな……」


 そこで言葉が途切れた。

 倒れ伏すセルリアンの鏡の縁が、白に染まりつつある────そのことにキツネたちは気が付いた。

 特にキタキツネは、その白い輝きに嫌というほど見覚えがあった。


「まずい!」


 右手を光らせ、キタキツネは背面の膜ごと鏡を叩き割らんと腕を振りかぶった。

 同時に、青い膜を素早くねじって、セルリアンが体を表に返した。


「あっ!? い、生きて───」


 急な動きに驚いたギンギツネは、急いでモップを構える。

 キタキツネの爪が鏡面に触れようとしたその瞬間、強烈なフラッシュが広間を、四人を包んだ。


「うっ!」

「きゃっ!」

「ぅえっ!?」


 暗さに目がなれていた彼女らにその閃光はあまりにも眩しく、三人の視界は白一色に閉ざされてしまった。

 が、幸運にも孝太だけは軽症で済んだ。

 フラッシュにのけぞったキタキツネが偶然光を遮り、彼だけは閃光から逃れることが出来たのだった。とはいえ彼女らよりはマシな程度で、光は遮られてなお孝太の目に焼きついていた。


「くそっ、今の光は…!?」


 孝太はよろめきながら眼鏡を外し、腕で顔を拭った。ぱちぱちと瞼を開け閉めすることで、少しずつ周りが見えてきた。

 何も壊れていないあたり、今のフラッシュは光線を撃ったのではなく目眩ましを狙っていたのだろうか。


「なっ、なんにも見えないわ…!?」


 元の場所から一歩引いた位置で、薄目のギンギツネがモップをブォン、ブォンと振り回している。


「ひえぇっ…!」


 両手で目を覆ったカピバラは、落としたオールの近くであたふたと走り回っていた。


「うぅ…セルリアン! どこ!?」


 キタキツネは、光らせたままの右手で幾度も空を切り裂いている。

 セルリアンがいた位置を狙っているが、奴は今、そこにいない。ずるり、ずるり…と這いずるような音がして、彼女たちのけもの耳がピクリと反応した。


「…逃げてる!? ──そっちね!」


 セルリアンは鏡の甲殻を引きずって、距離をとろうとしていた。地を這う音を頼りに接近したギンギツネは、迷いなくモップを振り下ろす。

 彼女の攻撃は、もはや重荷と化しているコウモリの左翼に命中し、破片を撒き散らして粉砕した。さながらスイカ割りだ。

 手ごたえを感じたギンギツネは、目を閉じたまま更に一撃を与える。今度は鏡の体を引きずるカギ爪が潰れた。

 ベキィッ!という音を悲鳴代わりに、コウモリは体をバタつかせる。と、急に右の翼がぐにょんと長く伸びた。

 翼を構成する鏡同士が大きく離れ、そのまま青い膜を内へと折り畳むことで、破片は恐ろしいかな切り声をあげる。


 キュイィィィィン!!


「──ああっ…!!」


 鏡を鏡でひっかく耐え難い音が、ギンギツネのけもの耳に強烈なダメージを与えた。間近で食らった彼女はけもの耳を抑えるも耐えきれず、苦悶の表情を浮かべてへたりこんでしまった。キタキツネとカピバラも同様に、耳を抑えてうずくまっている。

 フレンズほどの聴力をもたないヒトでさえ、耳を塞がざるを得ない。全員を無力化したセルリアンは、反撃の時と言わんばかりに伸びた翼をぶん回した。


「きゃあっ!」


 青い鞭となった翼がギンギツネを吹っ飛ばし、鞭に張り付く鏡の破片が彼女の服ごと肌を切り裂いた。

 大広間の畳に、血のしずくが弧を描く。


「ギンギツネさんっ!」


 吹き飛ばされて床に転がったギンギツネに、孝太が駆け寄る。

 彼女は肩甲骨から左肩にかけて、鋭い切り傷を付けられていた。孝太の右腕ほどの怪我ではなくとも痛々しいその傷は、なぜだか軽い出血で済んでいるようだった。

 しかし出ているのは血だけでなく、傷口からは虹色の粒子も舞い上がっていた。


「いっ……! や、やられたわ…」


「こっ、こいつ…ッ!」


 傷つき倒れ伏すギンギツネを前にして、孝太の内には恐れと悲しみ、そして煮えたぎるような怒りが湧き始めていた。

 今動けるのは自分だけなのだ。自分がやらなければ、皆もやられてしまう。

 

 それだけはダメだ。


 怒りと衝動に突き動かされて、孝太は飛び出した。ペットボトルをボトリと落とし、側に落ちているモップすら無視して、一直線にセルリアンへと向かっていく。

 その足音に気付いたキタキツネが、必死に声をかける。


「ダメだよコータっ! …あぶない!」


 が、孝太の足は止まらない。そう遠くない距離をすぐ詰めた孝太に、セルリアンは鋭さを宿した鞭を叩きつける。

 自分から近付いた割に、孝太は対策も戦法も何一つ考えていなかった。だというのに、不思議と彼の心から恐怖は消えていた。

 眼前に青い鞭が迫り─────



  ドスッ



 いくつもの鋭利な破片が、孝太の右隣の畳へ突き刺さった。奴の狙いは外れたようだ。セルリアンは即座に鞭を引き抜くと、今度は右斜め上から振り下ろした。孝太の短い髪をかすかになびかせて、鞭は左の畳に穴を開けた。二撃目も当たらない。

 孝太はセルリアンに左手を伸ばす。


 左の翼を失い、右の翼だった部分を触手に変えて、胴体の鏡もヒビまみれ。畳を這いずって逃げようとするその姿に、もはや折り鏡のコウモリの面影はなくなっていた。

 鏡を利用していたゲル状の不定形生物、きっとそれが本来の姿だったのだろう。


 迫るヒトに確実な攻撃を加えるべく、セルリアンの触手が前方を横凪ぎに払う。左から大きくしなり襲いかかる青い鞭は、ヒトの動きでは避けようがない軌道だ。

 ようやく辺りが見え始めたキタキツネは、無我夢中でデッキブラシを投げた。


「届けっ!」



 迫る鞭を視界に捉えながら、どうしたことか、孝太はひどく落ち着いていた。


 しなる触手、這いずるセルリアン、左手を伸ばす自分、後ろの空を切る音。


 すべてがゆっくりに感じた。目に映るものは、例外なくスローモーションで動いているように見える。


 危機的状況にほとばしる、脳内物質の効果か?

 はたまた走馬灯のようなものか?


 ふと、今なら鞭を掴めそうだな、と孝太の頭に安直な考えが浮かんだ。このゆっくりとした世界なら本当に間に合うかもしれない。

 触れた手がどうなるか後先も考えずに、孝太はセルリアンに向けていた左手をそのまま鞭へと動かしてみた。


 驚くことに、左手はスロウな世界の中でありながらも、普段通りにすうっと動かせた。すべてが0.1倍速で再生されているような空間の中、自分だけはその例外だった。

 先の鞭の攻撃は、偶然外れたわけではなく無意識に自分が避けていたのだった。

 なぜ急にこんなことが出来るのかはまるでわからなかったが、いくらスロウであっても既に考える時間などない。孝太は迫る鞭の先端、鏡が貼り付いていない部分をがしりと掴んだ。

 瞬間、世界のスピードは元に戻った。


「──えっ!?」


 目の前の出来事が信じられず、キタキツネは驚きの声をあげた。

 カランカランと孝太の側にデッキブラシが転がる。慣れない投擲は目標の触手へは届かずに終わり、鞭が孝太を直撃した。

 ……そう思ったのだが、なんと孝太は左手で触手を掴み、攻撃を止めていた。

 その掴む動きがあまりにも素早く、彼のTシャツの袖まわりは強い風を受けたかのように一瞬なびいた。

 そして彼は怯むセルリアンを横目に、限界まで伸びきった触手を更にひっぱり、強引に引きちぎった。投げ捨てられた触手だったものが、広間に転がる。


 自分の腕の力に一番驚いていたのは、他ならぬ孝太自身だった。こんな筋力が己の肉体にあるはずがない。そして、先端を引きちぎられてのたうちまわる触手を見て、まだやれそうだ、などと考える自分に恐れを抱いた。

 しかし恐れとは裏腹に、孝太は思いつくまま、暴れる触手を両手で再び掴んだ。


 握ってはちぎり投げ、また握っては引き裂いた。あれほど痛み苦しんだ右腕に、全力を込めていることにすら気付かない。


 孝太は全身に青い飛沫を浴びながら、怪力でもって触手ごとセルリアンの体すべてをバラバラに引き裂いた。その光景は、残虐極まりない惨劇めいたものだった。

 一部始終を見ていたキタキツネも、声をかけるのを躊躇うほどに。


「はぁ……はぁ……」


 肩で息をする孝太は、青と赤に染まった両の手の平を見る。

 青く薄いセルリアンの肉片が、徐々に虹色の粒子となって消えていくのがわかった。同様に、服にこびりついていた青も消えた。

 やっと、殺したのだ。

 手に残る赤は、割れた鏡ごと奴を掴んだが故に生じた、己の血液だった。なぜだか、ほんの少しの痛みしか感じない。

 ようやく戦いが終わったことに安堵した孝太は、さっと後ろを振り返る。彼は、そこで初めて気付いた。


 自分を遠巻きに見つめる彼女らの瞳に、恐怖と混乱が渦巻いていることに。


 己の行動を振り返り、孝太は戸惑いを抱く彼女らの心中を察した。自身もなんと声をかければいいのか分からなかった。

 と、急に全身へとてつもない疲労感が広がりはじめる。それに伴って、両手と右腕も焼けるような痛みを知覚し始めた。

 いったいどうしたことか。先ほどまでの湧き上がるエネルギーはどこへいってしまったのか?



 三人の前で、孝太は糸の切れた人形のようにバタリと倒れ込んでしまった。



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