第9話 戦いに備える
紫ボスに促されるまま薬を飲んだ孝太は、右腕に注意して身体を起こし、試しに立ち上がってみた。
「───うっ…」
「ちょっ…コータ、大丈夫?」
しかし目の前がチカチカして、自力では立っていられない。背後の壁にもたれかかっているのが精一杯だった。ギンギツネは前でオロオロしている。どうすればいいのかわからない、といった様子だ。
「マダ1人で立ち上がるのはアブナイヨ。今のコータは少し血液が足りてイナイ、いわゆる貧血の状態ダカラネ。本当は点滴モしたいトコロナンダケド……」
確かにこの気分の悪さは、まさに貧血のそれであった。点滴に関しては、仮に道具があったとしても注射を正しく行える者がいないのだろう。ボスがいるとはいえ、口頭の説明では限界がある。
しかし、もどかしい。錠剤やカプセルの薬に即効性がないのは仕方のないことなのだが、ひとりでは満足に歩けもしないとは。
なによりこのままでは、フレンズたちの足枷にしかならない。
自力で動ければセルリアンの囮にでもなれたかもしれないのだが────
「あっ、いたいた! お~いみんな~!」
孝太がふらつく身体を恨めしく思っていると、廊下の向こうからカピバラが走ってきた。
動物のカピバラは、鈍重で常にのんびりしていそう…という勝手なイメージが孝太の内にはあった。だが、走る彼女のスピードは予想と違って断然速かった。飼育下での一場面しか見たことがなかったので、そういった動物たちの認識は改めるべきだな…と孝太は反省した。
ふと見ると、カピバラは両手いっぱいに何かを抱えている。あれは…!
「ふぅ~…久々に全力で走ったよよよ…。おっと、キタキツネ、コータくん。これ取ってきたから、どうぞだよよよ」
彼女が運んできたのは、脱衣所に置き去りにしてきた孝太とキタキツネの服だった。「服は脱ぐとかさ張るねねね」と、カピバラは床に二人の服をドサッと置いた。
「えっ…!? 取ってきたって、セルリアンがいたんじゃ…!?」
キタキツネと孝太は顔を見合わせた。
もしや、今の素早い走りで回収してきたのだろうか?
「いやぁ~それが、服があったところには噂のセルリアン、いなかったんだよ。めちゃくちゃ警戒して入ったのに、拍子抜けだったよよよ…」
「えぇ? …ってことは出てったのかな? それとも───」
「どこかに潜んでいるか……よね」
ギンギツネの、おそらく正解であろう予測に、場の全員の表情が陰った。
服が着れるのは幸いだが、これからセルリアンの潜伏や奇襲に怯えなくてはならない。しかし、奴を見つけて倒さないことにはこの宿に安寧は戻らないのだ。
「まぁ…それはともかく、持ってきてくれてありがとうございます。何も着てないと寒くて…」
孝太は早速、二人分がまぜこぜになった小山から自分の服を回収した。
まずはトランクスを左手で持ち、付けっぱなしのタオルの腰巻きを隠れ蓑にしてサッと穿く。やはり下着を身に付けるだけでもかなりの安心感があるものだな、と孝太は身に染みて感じた。続けてズボンと靴下まではいけたのだが、上半身の服は片手で着るのが難しく、結局カピバラに手伝ってもらうこととなった。この歳になって着替えを手伝われると少し恥ずかしい。
おのれセルリアン。
その後、ギンギツネの奮闘あってキタキツネもようやく服を着ることが出来たので、四人と一匹(?)は潜伏中のセルリアンへの対応策を考え始めた。
まずは全員の情報共有が必須なので、キタキツネと自分はセルリアンについて説明した。
「カガミのコウモリで、光を撃ってくる……そんなの初めて聞いたわ…」
「どうも新種っぽいねねね…」
話を聞いたところ、彼女らが知るセルリアンはこれほど殺傷力のある攻撃はしてこないそうだ。
普通はフレンズがセルリアンに食べられる…というより取り込まれた場合、サンドスターを失って元の動物に戻るらしい。
つまり、対象を殺すことは目的ではない、ということか。
すると、鏡のセルリアンは捕食をよりスムーズに行うために新たな攻撃能力を獲得したのか? あれでは少々……いや、大分過剰な威力に思えるが。
そもそも擬態していたのだから、奇襲をかければすぐにでも獲物にありつけただろうに。なぜそうしなかったのか?
考えるほどに謎が増えていく。
「それと、セルリアンには弱点があるのよ。体のどこかに石があって、それを叩くと簡単にやっつけられるの」
「石?」
弱点の存在は知らなかった。眼鏡を探しに出た時に遭遇した、グレープグミのようなセルリアンにも石はあったらしい。ギンギツネが言うには裏側にあったそうで、目の前のヒトの方を向いていて無防備だったため簡単に叩くことが出来たようだ。
一瞬で爆発四散したのはそういう理由だったのか、と孝太は独り納得した。
また、思い返してみると、自分とキタキツネはあの鏡コウモリの正面側しか見ていない。奴もグミ型同様、裏側に石を持っている可能性は高い。むしろ裏になければ、あの薄っぺらな体のどこにあるというのだろうか。
「弱点があるのなら、やっぱり後ろに回り込んで叩くのが分かりやすくて安全でしょうね」
「だけどアイツ、この辺をパタパタ飛んでるからちょっとやりづらいかも…」
キタキツネが背伸びして、更に両手を高く上げることで大まかな高度、おおよそ2メートルほどの中空を示す。
「う~ん……とりあえずジャンプすれば届くだけマシかねぇ」
カピバラはピョンピョンと小さく跳ねてアタリをつけている。身長172cmの孝太が手を伸ばす分には一応届く高さだが、もう少し背の低い彼女たちにとってはギリギリ、もしくは軽くジャンプする必要のある高さだ。
微妙な高さに合わせての攻撃というのは、力加減の調整がいる関係で全力をぶつけにくい。それに、あのコウモリが2メートル以上高く飛ばないだなんて保証もない。
孝太は、かろうじて届く高さの羽虫をしとめる面倒さを思い出して、何か得物があった方が良いだろうなと考えた。
「何か…手頃な長さの棒だとか、投げる物があれば…」
「棒…? それならそこにあったわよ?」
ギンギツネがピッと倉庫を指し示す。それを見たラッキービーストは、双眼のライトで薄暗い倉庫内を照らしてくれた。ずいぶん気の利くロボットだ。
明るく照らされた倉庫の奥には、壁に寄りかからせる形でモップやデッキブラシがまとめて置いてあった。
なるほど、これならば────
それから十数分の後、四人と一匹は、かつて宴会場として使われていたであろう大きな一室に来ていた。
今は長いテーブルも置かれておらず、ひたすらに畳の空間が広がっている。
「じゃあコータは、ここでカピバラと待っててね。いざという時は逃げるのよ、いいわね?」
モップを携えたギンギツネが、孝太の左肩に手を置いて忠告をする。その真剣な眼差しに、普段は目線を逸らしがちな孝太もしっかりと見返して頷いた。
「そちらこそ気を付けて。お二人が一番危険な役なんですから、絶対に無茶はしないで下さいね」
ギンギツネはしっかりしているからきっと大丈夫だろう。
頭でそう思ってはいるのだが、未知を相手取るが故に不安は絶えない。
「私より、キタキツネの方が危なっかしいわよ。この子、最近はゲームするか寝るかのぐうたら生活だったんだから」
「むぅ…ボクだってやる時はやるんだからね。さっきだって野生解放したし、ウォーミングアップは十分だよ…!」
キタキツネはあまり表情は変わっていないが、気合い充分といった声色だ。
そのまま「えい! やあっ!」と手に持ったデッキブラシをビュンビュン振り回して見せて、どうだ!と言いたげな顔でこちらを向いた。
「ふふ……『とーりゅーでんせつドラゴニア』みたいでしょ…!」
微笑ましい光景に、孝太はフフッと笑いがこぼれた。ドラゴニアについては知らなかったが、大方アクション、もしくは格闘ゲームであろうことは何となく予想がついた。
すぐさまジトーッとした目のキタキツネに「なに…?」と睨まれてしまったので、わざとらしいが咳払いで誤魔化す。
「じゃあ頑張るんだよよよ…! いつでもやれるように待ってるからねねね…!」
カピバラが二人へ激励の言葉をかける。
その手には、温泉の湯をかき混ぜるための木製のオールが握られていた。オールは重みがないが、叩いてよし、突いてよし、払うもよし。地味ながら、三人の内では最も柔軟に扱える得物だ。
だからこそ、状況次第で攻撃方法を変える必要のある不意打ちには最適だろう。
「…よし! それじゃあ探してくるわ。私はこっちから、キタキツネはあっちからね!」
「うん…!」
ギンギツネの号令で各々が動き出した。
作戦開始だ。
対 低空用の得物が見つかったことで始められたこの作戦は、大まかに言えば囮役がセルリアンを誘導して他が奇襲をかける、というものである。
まずは身軽なギンギツネとキタキツネが、二手に別れて宿の内部のセルリアンを探す。彼女たちはここの構造を知り尽くしているし、耳がいいので片方が大声を上げればもう片方がすぐに気付ける。
次にどちらかがセルリアンを見つけたら、野生解放───フレンズはサンドスターを消費して一時的に強くなれるらしい───をして様子見しつつ、相手を引き付けて逃げる。同時に、大声で周囲に発見を報せる。
もしも光を撃って攻撃してきたら、野生解放の力でもって回避に努める。この部分はどうしても確実性がなく危険なため、彼女らの力を信じるしかない。
そして、この大広間までセルリアンを誘導できたなら。
最後は囮をしていない側の狐とカピバラの二人で、セルリアンが部屋に入るところを左右から不意打ちして倒す。
これが作戦概要だが、そのほとんどを発案したヒトのオスは、今や気が気でなかった。即興で考えた戦略なんて、大抵どこかしらに穴があるものだ。失敗した時のこともまるで考慮していないし、もしも彼女らが重傷を負ったり食べられてしまったら…と考えて、孝太は身震いした。
現在、彼はラッキービーストと共に大広間の端に待機していて、いつでもふすまを開けて出られるように膝をついてしゃがんでいた。この戦いにおいて、自分はなんの役にも立たない。
痛む右腕と、その影響で輪をかけて貧弱になった己の肉体を省みて、もっと筋トレやジョギングをして身体を動かしておけばよかったな…と彼は今更後悔した。
と、その時。
「セルリアン! 見つけたよっ!!」
大広間まで聴こえてきたキタキツネの大声が、場の全員に緊張を走らせる。
ついに、戦いが始まったのだ。
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