第8話 取り留める
「───これで…いいのよね?」
ギンギツネはボスの指示の下、孝太の右腕に包帯を巻き終えた。少し失敗したため、周りには血まみれのガーゼが散乱している。
救急箱の底から取り出したこの包帯は、緊急時のみ使われる特殊なものらしい。サンドスターの応用が云々とボスは説明していたが、知らない言葉だらけでキツネたちにはサッパリ理解できなかった。
「アリガトウ、ギンギツネ。アトはコータに薬ヲ飲ませれば、ひとまずハ大丈夫ダヨ」
「クスリって…これ?」
キタキツネは、救急箱から取り出した白くて底の浅いケースを覗く。
ケースの中はいくつもの薄い壁によって四角く区切られていて、それぞれの区画には多種多様な錠剤やカプセルが保管されていた。
しかし薬を知らない狐たちには、得体のしれない『まんまるで平たいもの』と『半分色が違う虫の卵みたいなもの』が大量にあるように見えて、少々気味が悪いと感じていた。そんな狐たちに紫ボスが返答する。
「ソウ、これダヨ。クスリは、カラダの中から怪我ヤ病気ヲ治すタメのものナンダ。今必要ナノはコレが2つと、これヲ1つダネ」
ボスはその目を白く光らせて、必要な薬の箇所を明るく照らした。
キタキツネは言われた通り、錠剤二つとカプセル一つを手に取る。どうやって光らせているのか知らないが、相変わらずボスは謎の多いけものだ…とキタキツネは思った。
「このクスリを飲むタメには水も必要ダヨ。ココからダト、台所が一番近いネ」
「台所って、あそこのことかしら。水は……何かに入れて持ってこないといけないわね」
ギンギツネは顎に手を当てて、うーんと天を仰ぐ。いつもは細くて硬い管から出てくる水を直接飲んでいるので、入れ物を探さないと────
「…水なら、自分のリュックサックに飲み物があります」
「あっ、コータ! 気が付いたんだね…!」
いつの間に意識が戻ったのか、孝太が顔を上げて助け舟を出した。彼が目覚めて、キタキツネは心の底から安堵しているのが声色でよくわかった。
「コータの荷物は部屋に置きっぱなしだっけ…。私、取ってくるわ!」
そう言いながらギンギツネは駆け出し、廊下の先に消えていった。
「ヤあ。初めマシテ、コータ。ボクはラッキービーストダヨ」
「あ…はじめまして。石井孝太といいます」
唐突に自己紹介をされた孝太は、とりあえず軽い会釈で返した。ついさっきまで彼女らと話していたのは、このラッキービーストのようだ。虚ろな意識の中、その独特な声がかすかに聞こえていた。
彼───ピンクと紫のカラーリング的に彼女かもしれない───は、いかにもなマスコットキャラクターといった感じの見た目だ。しかし自力で移動できる足があって、会話が出来て、なおかつ機械音声のような声質ということは……
「ボクたちラッキービーストはパークガイドロボットなんダ。だけどボクはコノ宿の接客専用機ダカラ、本格的な治療ヲ受ける時は別ノラッキービーストに頼んでネ。連絡ハしておくヨ」
ロボットですか?と尋ねる前に、あちらから答えが聞けた。
パークガイドロボット。それも状況に合わせた受け答えや、恐らくヒトがいない現状でも活動している点から、自律機動すら可能なようだ。
ここまでに見たヒトの文明とはうって変わって未来的なテクノロジーに、孝太は静かに驚いていた。どうやらこの世界のヒトは、自分が元いた世界よりはるかに高度な文明を築いていたようだ。もしかすると、今もどこかで発展を続けているかもしれない。
であれば、自分が異世界に来てしまったのはそういったテクノロジーが関係しているのではないだろうか? SF作品でもたまに題材にされるように、何かの実験で予期せぬワームホールが開いたとか、タイムスリップしてしまったとか……。
いけない。徐々に思考が脱線し始めている。今はそれよりも大事なことがある。
「そうだ…あの鏡のセルリアンは?」
「あいつはお風呂の扉を壊して入ってきてたけど……今は、わかんない」
キタキツネは不安そうに下を向いた。奴は脱衣所までは確実に侵入したようだ。
フレンズやヒトを襲う存在が入ってきたというのなら、今後戦いは避けられそうにない。
「宿の中のどこかに…か」
外に潜まれるよりは幾分マシな気もするが、廊下のような狭い空間に来られると逃げ場がないのが実態だ。奴が光線を撃てる以上、横に広さがなければフレンズでも避けるのは難しいだろう。もしもあれが頭や胸に当たったら、ほぼ間違いなく即死だ。腕をたやすく貫通したのだから、生半可な壁や物では盾にすらならない。
戦うならば、背後や横から彼女たちが奇襲をかけて一気に倒す……それが妥当な安全策だろう。回り込んだり隠れられる、そんな場所にあのセルリアンを誘導できればいいのだが────
「持ってきたわよコータ! それとカピバラも呼んだから、もうすぐ来ると思うわ」
セルリアンについて考えていると、ギンギツネがリュックサックを片手に戻ってきた。カピバラも来るのは好都合だ。戦うならば頭数は多い方がいい。
孝太は、彼女が目の前へ置いてくれたリュックに左手を突っ込む。防寒具を取り出した際に開けっぱなしにしていて助かったな…と、少し前の自分に感謝した。右腕をなるべく動かしたくない現状では、リュックのジッパーを開けるのも楽ではないのだ。
数秒の後、孝太は中からペットボトルを取り出した。青いラベルに包まれたそれは、いわゆるスポーツドリンクであった。この世界に落ちてくる前、駅のコンビニで購入したものだ。まだ一口しか飲んでいないので中身は十二分に残っている。
「へぇ…中に水が入ってる。ヒトって本当に色々なものを作るのね」
ギンギツネが感心した様子でペットボトルを眺めている。ここの宿には自動販売機は置いていないのだろうか。まさかこの世界ではペットボトルが発明されていない、なんてことはあるまい。
「あっ…しまった。片手じゃ開けられないか…。あの、ギンギツネさん。これを開けてもらえませんか?」
早くも両手が使えないことの弊害が出てしまった。今後は右腕の回復が進むまで、この不便さと付き合わなければならない。
溜め息をついた孝太は、ギンギツネにペットボトルを渡してキャップの開け方を教える。といってもひねるだけで何も難しいことはないので、蓋はすぐに開いた。
「…なんだか甘い匂いのする水ね。ちょっと濁ってるし、本当にこれを飲むの?」
開いたボトルに顔を近づけているギンギツネは、疑わしそうな目でこちらを見た。
「甘いけど結構おいしいんですよ。飲みますか?」
「そうなの? じゃあ少し……って、そんな場合じゃないでしょう! 先にクスリ飲みなさい!」
つられそうになりつつも、ギンギツネはペットボトルを突っ返してきた。
行動の端々に母親っぽさを感じるのは、のんびりしているカピバラやキタキツネと暮らしているからかな…とぼんやり考えながら、孝太は薬を流し込んだ。
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