第48話 息を吹き返す
「ま……間に合わないのです!!」
落下する男へ猛スピードで迫っていた博士は、畳んでいた翼を大きく広げて己の肉体に急ブレーキをかけた。
重力と慣性に持っていかれそうになる身体を押し留めるため、博士はバサバサバサと音を立ててまで羽ばたく。そうしなければ止まりきれそうになかった。
フクロウとしての矜持をかなぐり捨てて、博士はようやく停止することが出来たのだった。
「う……!」
下からどぱん!という音がして、濁った水面に大きな凹凸の波紋が広がった。ぶよんぶよんと大きく波打った黒が、博士の足先ギリギリのところまでせり上がる。
ヒトが、黒の波間へと消えたのだ。
より濃度の高い濁りに沈み込んだからか、彼の姿はすぐに見えなくなってしまった。
ロッジの上にはフクロウとハシビロコウ。そして、ほんのわずかに男が描いた『軌跡』だけが残される。
「この輝きは……!?」
すぐに霧散していった七色の光は、黒へ飛び込む直前、彼が放出したように見えた。
そう、ちょうど頭の辺りから輝きを発する様をたしかに見たのだ。
なぜヒトの身体からサンドスターが……?
と、ハシビロコウが追いついてきた。ゆっくりと降下してくる彼女は、青い顔で下を見ている。
「あ……あ、あの…………ハカセ…………」
いつもの無感情な装いが嘘のように、ハシビロコウは怯えた表情でもって声を震わせる。
取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。彼女の顔にはハッキリとそう書かれていた。欺かれて、気の毒に。
「その心配は……いらないかもしれません。今さっき、あれの身体からサンドスターの輝きが感じられました」
「……?」
ハシビロコウは何を言われたのかよくわかっていないようだった。もっとも、今の言葉へ即座に理解を示せるのは助手くらいなものだろうから当然か。
別に慰めるつもりもないし、分からないなら分からないでいいのだ。
結果は自ずと見えてくるのだから。
「……えっ!?」
下を見ながら、ハシビロコウが驚きの声を上げる。どうやら予感は当たったようだ。
あれが、やったのだ。
周辺の片付けが終わり次第、彼からはじっくり話を聞かせてもらうこととしよう。
博士はそう決意し、ハシビロコウにひと声かけると身を翻して飛び去った。困惑するばかりのハシビロコウも、じっとしてはいられまいとロッジの上空を後にする。
鳥たちが去った後の屋上では、シュウシュウと音を立てて次々と霧が吹き上がっていた。
黒の海のあちこちからハッキリと視認できるほどの水蒸気が吹き上げ、今の今までセルリアンだったぶよぶよは、徐々に徐々にその質量を失っていく。
霧の白旗が上がることで、ロッジへの攻城戦は唐突に幕を閉じたのであった。
「博士……本当にこの辺りなのですか?」
眉間のしわという形で露骨に不満を表出させて、助手が尋ねてくる。
彼女は手にもった棒───先ほどまでキンシコウが使っていた武器───を駆使して眼下の黒をかき分けているのだが、早くも面倒になったらしい。
まったく、堪え性のないミミズクだ。
「助手……そんなに私の言葉が信用なりませんか?」
「…………いえ、そういうわけでは」
嘘だ。
正直に答えると更に面倒な言い争いに発展しかねないので、ここは否定しておこう。
今のはそういう間であった。
しかしその嘘で手が止まることなく動くというのであれば、甘んじて受け入れましょう。
私は賢いので。
「よろしい。では口よりも先に手を動かすのです。下で重労働をしたくないのであれば」
セルリアンとの戦いを終えた、昼過ぎの森。
ようやく曇り空にのぞき出した晴れ間の下、ロッジの周りではフレンズたちによる後片付けが行われていた。
ロッジの真下の空間には、余ったり使われなかった丸太を力持ちのフレンズが運び込んでいる。後日行われる予定のロッジ修復作業の資源とするためだ。ラッキービーストたちの動き次第ではいらないかもしれないが。
また、出入口の吊り橋やロッジの壁面、一部室内、そして屋上では、セルリアンの遺骸の除去が始まっていた。
大元が事切れたためか、黒いぶよぶよに蓄えられていた水分は霧や水溜まりとなって排出され、残された黒は無害な物質と化していた。とはいえ置いてあっても邪魔なだけなので、黒は消耗の少ないフレンズらの腕によって次々除去されている。
唯一、屋根の上の黒だけは規格外の量があり、更にはその内に孝太が取り残されていることもあって、屋上では救出作業が進められていた。
『アフリカオオコノハズク』のフレンズである博士と、『ワシミミズク』のフレンズである助手は、共に木の棒を借り受けてぶよぶよを掘り進めている。
アリツカゲラは普段使いのホウキを、ハシビロコウは自前の武器である槍を用いて、四人は黙々と黒を除けていた。
素手でもよいのだが、あまり積極的に触りたくはなかった。屋根が緩やかな傾斜であるため、黒を踏んづけてあわや転倒、転落とはなりたくないのだ。
「────あ…!!」
か細く、高い音がハシビロコウの口から漏れ出る。それを耳にして、皆は期待の眼差しを彼女へと向けた。
「こ……コータっ! みんな…見つけたよ!」
「おお、でかしたですよハシビロコウ!」
博士の称賛の声と共に、三人は嬉々としてハシビロコウの元へ集まる。彼女の槍の柄が示す先には、孝太の腕らしき部位が覗いていた。
「……全然違うところじゃないですか」
助手がぼそりと呟くが、博士は聞こえないフリをする。
ともかく、早く助け出さねば窒息してしまいかねない。四人は協力してテキパキと黒をかき分けていった。
水気がなくなり、光も通さない黒となった遺骸の中から、まず背中が覗き、次に横顔。胴体、腕、足と、各部位があらわになっていく。そうして身体の半分以上が現れたところで、ハシビロコウは孝太を引きずり出した。
しばらく遺骸の下敷きとなっていた孝太は全身びしょ濡れで、四人の目には呼吸をしていないように映った。
いや、事実していなかった。故に屋上は騒然となる。
「ど……どどどうしよう…! コータ……も、もしかして─────」
あわてふためくハシビロコウは、何かを言い欠けてからハッとして口をつぐむ。彼女が言おうとしたことは、おそらくこの場の誰もが思ったことだろう。
しかしそれをそのまま言葉にする者はいなかった。確定していない以上、言わない方がいいのだ。
「落ち着いて……落ち着くのです、ハシビロコウもアリツカゲラも。まだ間に合う可能性はあります」
おろおろして取り乱す二人を、すかさず助手がなだめに走る。
さすがは助手。常に冷静沈着で、焦る姿は数えるほどしか見せたことがないだけあります。それでこそ、この博士の右腕なのです。
「ふむ……こういう場合はたしか────」
「人工呼吸、でしたね? 博士」
ちらと振り返り、助手がこちらの答えを先読みして言った。
素晴らしい回答。花マル百点満点。完璧です。
「「じんこう……こきゅー?」」
アリツカゲラとハシビロコウは寸分たがわず聞き返した。
こちらもある意味では百点満点。それでこそ説明のしがいがあるというもの。
「人工呼吸とは、こういった緊急時にヒトが行ったとされる応急手当で─────」
「博士、今は説明に時間を費やしている場合ではないかと。彼の生命にかかわります」
助手のまっとうな意見が、グサリと側頭部に突き刺さる。
仕方がありません。ここは一発、偉大なる島の長たる姿を無知なる者へ見せてさしあげましょう。
私は賢いので、当然マニュアルに記載されていた手順も覚えているのです。
どやどやです。
「分かりました……それでは、いざ」
三人が見守る中、博士は孝太の傍らに膝立ちをすると、その生気のない顔を覗き込んだ。
ええと、まずは相手の顎を上げさせて、額に……いえ、鼻がどうとか書いてあった気がするのです。
息を送り込むのに効果的な姿勢に、というのは確かだったはず…なので、えー………
「博士、彼の鼻をつまんで下さい。鼻から息が漏れては効果が薄いので」
手元の怪しさから察したのか、早々に助手のアドバイスが届く。
「え、えぇ、わかっているのですよ…!」
そう! 額に手を置いて、指で鼻を閉じる。これが正解なのです…!
こうなったら後はもう単純明快、文字通り息を吹き込むだけなので…───────
「………………………………」
ピタリと、博士の動きが止まった。
「……はか……せ? どうしたんです?」
異変に気付き、アリツカゲラがおずおずと尋ねる。
博士は答えない。押し黙り、己のとらんとする行動について考え込んでいた。
息を吹き込む、というのはつまり、口と口をくっ付けるということ。
何度か本で見たことがあります。ヒトの愛情表現のひとつは接吻─────すなわち、口づけであると。
……知った時は特に何を思うこともなかったというのに、いったいどうしたことなのでしょう。
いざ自分の身でそれが目前という状況になると、急に首が……頭が…………動かない…のです……!
「──────う」
「……う?」
心からこぼれ落ちた音を、ハシビロコウがおうむ返しに発する。
「博士? 時間がないと先ほど────」
助手もしびれを切らして急かしてきた。普段から彼女にはせっかちなきらいがあり、時間の浪費や無駄をとかく嫌がるのだ。
まずいのです……長としての威厳が……
焦って顔を近付けようとしたが、博士の身体は鉛に変わってしまったかのように動かない。
知ってしまったが故か、はたまた本能的に察知したのか。気付けば、彼の顎と額に当てていた手も離れていて。
と、固まる博士の元へ、我慢の限界を迎えた助手がつかつかと歩み寄る。
「何をやっているのですか博士! この一大事に……!」
ぐい、と肩を掴まれ、雑に押し退けられて、今の今まで自分がいたところに助手が収まる。らしくないことに、されるがままだった。
「もういいです、私がやりますから」
「あ、ちょ、ちょっと待つので─────」
手早く孝太の顎をクイと上げ、むんずと鼻を掴むと、
助手はためらうことなく口と口を重ねた。
「~~~~っ!?」
咄嗟の制止もむなしく(?)、博士の、三人の目の前でヒトとミミズクの口づけが行われた。
かぁっ、と心に恥ずかしさの大波が荒れ狂い、博士はいてもたってもいられなくなって、思わず顔を手で覆う。
その間にも助手はせっせと息を送り込む。その行動に恥じらいの気は一切感じられない。
なんにせよ、その姿は立派すぎて博士からは輝いてすら見えた。
「────っ、ふぅ…。次は胸部を……」
ぱっと口を離して呼吸を整えると、助手は彼の上着のファスナーを手際よく下ろした。七割ほどの開き具合で手が止まり、湿ったシャツとタンクトップ越しに薄い胸板が透けて現れる。
指の合間からそれを覗いて、博士はひとり赤面した。そんな彼女を見て、アリツカゲラとハシビロコウはますます首を傾げる。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……!
胸骨圧迫が始まった。
膝立ちになった助手は、重ねた両手の平で孝太の胸をすばやく押す。押す。押し続ける。
「これで……えと、助けられる…の?」
ハシビロコウの不安そうな視線が、助手の横顔へと注がれる。応急手当という概念すら知らぬ者からすれば、助手の一連の行動は奇怪な儀式としか映らないのだ。
「え……ええ…! 助かる…のですよ!」
実践するのは初だというのに、助手は危なげなく的確に応急手当をこなしていく。持ち前の冷静さの賜物だろうか。
数十回に及ぶ圧迫の後、再びの気道確保から二度目の口づけが行われた。
さすがに初回ほどの衝撃は鳴りを潜め、かつ必死の救命作業であることも相まって、博士の頭の熱もだんだんと引いてくる。ショートしかけていた回路が直るにつれて、口づけの気恥ずかしさより自分の失態の恥ずかしさの方が上回りつつあった。
私は……私は何をやっているのでしょう。
せっかくの知識に振り回されては博士の名折れというもの。
アフリカオオコノハズクがいくら臆病なけものであろうと……フレンズの身体を持った今なら、すべては気の持ちよう次第なはず。
心を強く持つのです……!
目の前のヒトや、ワシミミズクのように。
そう博士が省みて、同時に助手が何度目かの息を吹き込んだその時。
「─────ぅ、ゴホッ!! ゴホッ…!」
びくりと胸が跳ねて、男がむせた。身をよじった。
目覚めたのだ、死の淵から。
「コータ……さん…! あぁよかった……」
アリツカゲラは彼の手を取り、己の喜びを体現するかの如くブンブンと上下に振るう。その刺激もあってか、ヒトは静かに目を開き、周りをゆっくりと見回した。
アリツカゲラを、ハシビロコウを確認して、ほとんど初対面である自分を捉えて。最後に、傍らに座る助手をまじまじと見た。
「…………あ…えっと……ありがとう、ございました」
ぐぐっ、と身体を起こした彼は、びしょ濡れな上にぶよぶよの欠片まみれの己を眺めて、それだけ言った。
状況が飲み込めていないのだろう。きっと、助手が人工呼吸をしてくれたことにすら気付いていない。
だが、それでいいのかもしれない。彼が見ていない時にそそくさと振り返り、言葉を発さなくなった助手を見て、博士はそう思った。
「セルリアンは…………倒せたん…ですね。良かった……」
更なる周辺を見渡して、男はそうこぼした。
森の木々を映し出すその瞳は、ぎらぎらと輝く不思議な金色をたたえていた。
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