第18話 日々を過ごす 三
少し遅めの昼食を終えた後、ヒトによる文字の勉強会が開かれた。
キタキツネとギンギツネはイマイチ乗り気でなさそうだったが、孝太が紙の上にスラスラと黒鉛の線を走らせると、一転して関心を向け始めた。手や腕に傷が残る今、右利きの孝太は、ひらがなのお手本を作るのに実はちょっぴり苦労していた。
そして15時を回った頃────
「できた…!」
キタキツネが屈み込むコピー用紙の上に、よれよれの文字が五つ並んでいる。
それは震える手で書かれたひらがなのあ行で、『え』なんかは漢字の『之』だと言い張った方が自慢できそうな出来映えだった。
しかしその隣にいくつも並ぶグニャグニャの線たちと比べれば、文字と識別可能なだけ進歩しているのは間違いなかった。
「おお…! 書けてるよ、書けてる」
「いいねぇ。その調子で、か行もやってみるねねね」
孝太とカピバラがすかさず褒める。昼食のために呼ばれて来たカピバラだったが、彼女は飛び入りで勉強会に参加していた。
「なんでカピバラはそんなに上手いの…?」
キタキツネが首を傾げて不思議がっている。それもそのはず、どういうわけかカピバラはやたらと飲み込みが早く、既に大半のひらがなを書き終えていた。
曰く、過去に習った経験はなく、種族固有の力も特に関係無いらしい。つまり、ただ単純に、カピバラにはたまたま文字を書く素質があったということだ。
今日はとりあえず、な行辺りまで書いておけばいいかな……などと考えていた孝太は、想定外の器用さの発露に、急ぎ文字を書き足す羽目となった。
「ところでギンギツネさんは────」
孝太が後ろへ振り返ると、名前を呼ばれた彼女は、素早く腕の下へと紙を隠してしまった。そのあわただしい動きから、孝太は何となく察するものがあった。
「──まだ、途中だから」
「…そうですか」
ギンギツネがこちらに向ける鋭い双眼は、明らかに「見るな!」と警告していた。目は口ほどにものを言う。
孝太は事前にチラリと紙を見ていたが、意外にもギンギツネは、読み書きにかなり苦戦しているようだった。
普段からしっかり者だと思われる彼女は、その振る舞いの手前か、苦手をさらけ出すのには抵抗がある様子だ。
勝手な推測ではあるが、孝太はそういった面に大いに共感できた。なので、無理に紙面を確認したりはせず、再びキタキツネの方に向き直った。
そもそも一、二時間でゼロからひらがなをマスターできたら、それは相当凄いことなのだ。ゆっくりとやっていこう……カピバラは例外として。
「うぅ…か行、だっけ? 難しいよコレ…」
それからの日々は、のんびりゆったりと過ぎていった。文字の勉強会は順調に進んでいき、彼女たちは二、三日でひらがな、カタカナを書けるようになった。
コツを掴むと皆の習得速度は加速していき、すぐに自分の名前を書けるようになり、更に簡単な文章へと挑戦し始めたりするようにもなった。また、キツネの二人は博士から数字を教わったことがあるらしく、数字の読み書きだけはカピバラより早くものにしていた。
ついでに、文字を覚えるにつれて、ギンギツネはゲームの中でポケモントレーナーとしてどんどん邁進していった。キタキツネを咎めていた姿はどこへやら、今や彼女はすっかりゲームに嵌まってしまっていた。
そして、彼女からどんどん疑問や質問が飛び出てくるので、孝太はほとんどギンギツネに付きっきりになっていたのだった。
そんなある日の昼下がり。
「ふっ……くぅ…………っ!!」
ガチャガチャ、カチカチと忙しい操作音が室内に鳴り響く。
休憩所に並ぶ二つの筐体の座席には、それぞれキタキツネと孝太が座っていた。両者共に前のめりな姿勢で、二人の真剣な眼差しは目の前の画面へと向けられている。
その熱中っぷりから、ついつい声を漏らしているのはキタキツネだった。彼女の顔には、普段の生活ではまず見れない焦りの表情が浮かんでいるが─────
ぐわっしゃーん!
突如大きな電子音が発せられ、画面左側に積み上げられていた、色とりどりのブロックが弾け飛んだ。
「うぅ~……ま、負けた…」
ブロックが消え失せた枠内には、ポップな字体で『LOSE』と表示されている。それを見つめる彼女は、英語こそ習っていないが、直感的に敗北の意を汲み取ったようだった。
ゲーム内の表記から偏った英語知識を得るのは、ゲーマーにありがちな事だ。
「ま、まぁまぁ…。初プレイならしょうがないよ」
がっくしと肩を落とすキタキツネに、孝太は努めて優しく言葉をかける。
二人は、筐体内のゲームのひとつである『けもパネ2』で対戦をしていたのだった。
筐体が二つあるなら、何かしらの作品がマルチプレイに対応しているのではないか? そう考えた孝太は、日々の合間に収録タイトルを軽くプレイしてみて、この作品に行き着いたのだった。
「このゲーム、銀河大狼記よりずっと忙しいね…」
どんどんせり上がる五色のブロック───のように見えるが、名称はパネル───のタワーの中で、同色のものを三つ以上繋ぎ合わせて消していく。それがけもパネ2だ。
基本ルールとして、枠いっぱいにパネルのタワーがせり上がりきると負けになる。一度のボタン入力で入れ替えられるのは、隣り合う左右二つのパネルだけ。
そして、一度に四つ以上のパネルを繋げて消すと、対戦相手の枠に妨害ブロックを降らすことができる。上乗せされた妨害ブロックが枠いっぱいまでせり上がっても負けとなるが、隣接するパネルを消すことで分解、パネル化させて対処可能である。
これらの要素から、対戦中は非常に手元が忙しい。仕組みは簡潔明瞭────しかして一瞬の気の迷いが命取りという、アクションゲームさながらのパズルゲームだ。
この作品は、孝太の元いた世界の『パネルでポン』というゲームに瓜二つだった。パネルの柄や各種UIが動物やフレンズをモチーフにしているくらいで、コラボ作品と言われても信じそうなほどにそっくりだ。
そもそもパネルでポンには、ヨッシーやポケモンと合わさって発売された経歴もあるので、孝太には余計にそれっぽく見えた。
全く違う系統の生き物が、それぞれで同じような環境に適応した結果、身体の形状や生態系における役割が似通ったものへと進化することがある。有名なのが有袋類のフクロオオカミであり、彼らはオオカミとは遠い種でありながら形態、牙などがよく似ていた。
そういうものを収斂進化と呼ぶそうだが、この『けもパネ2』も文化的な方向性での収斂進化と言えるかもしれない────孝太は対戦中、そんなことを考えていた。
小難しいことを考える余裕があるほどに、彼は『パネルでポン』でこのゲーム性に慣れ親しんでいた。
「だからチュートリアルモードでやり方を覚えた方がいいって言ったのに…」
やれやれと孝太は溜め息をついた。
誰かと一緒にゲームが出来るという点に感動したのか、キタキツネは諸々の説明をすっ飛ばして一直線に対戦へと臨んだのだった。
孝太はゲーム開始後、簡単に口頭でルール説明をしたのだが、一度聞いただけでものに出来たら誰も苦労はしないのだ。結果、キタキツネは惨敗した。
孝太はそれなりに手を抜いてプレイしたのだが、あんまり勝負に進展がないので、最後は一気に畳み掛けて勝利を掴んだ。
「むぅ…。でも、まだ一回戦だからチャンスはあるよ…!」
キタキツネの言う通り、このゲームは二本先取制なので、最大三試合で決着がつく。
なので、キタキツネが次の試合で勝てば勝負は続くのだが、彼女はとある重要なテクニックを身につけていない。実際のところ、その技なしの初心者では経験者に勝てる見込みはゼロに等しいのだった。
「さっき言ったアクティブ連鎖を覚えなきゃ、このゲーム、勝つのは難しいよ…!」
孝太は久々の対戦に内心緊張していたが、一戦目でほぐれた左手で軽快にスティックを動かし始めた。
「──うわ! このでっかいやつ、どうやって作ってるの…!?」
やはりというべきか、説明のほとんどは右耳から左耳へと通りすぎてしまったようだ。次々と落ちてくるブロックは、キタキツネの枠を徐々に支配しつつある。
そして─────
ぐわっしゃーん!
再び画面の同じ位置に、『LOSE』の青い文字が浮かび上がったのだった。
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