第19話 夢に出会う

 雪山に落下し、協力の末にセルリアンを撃破してから一週間が経った。


 ちょうど七日目である今日、孝太はキタキツネ、ギンギツネ、カピバラの三人にアルファベットを教え始めた。

 今までとは大きく異なる概念に戸惑う彼女らを見て、孝太は長期戦を覚悟した。三人の「また違う文字?」とでも言いたげな顔を見るに、最大の難関であろう漢字まではモチベーションが続かなさそうだ。やはりきっかけがゲームだけだと、動機としては弱いのだろう。カピバラに至ってはなんとなく参加しただけに過ぎない。

 もはや常識となっていたので気にとめていなかったが、アルファベットにも大文字と小文字の二種類があり、これまたゼロから学ぶのは大変なのだ。

 無理強いはよくないし、ひとまずアルファベットで勉強会は終えるべきか…?

 指導の最中、孝太は早くも妥協点を考え始めていた。


 そして、その日の彼は先生役に消耗し、夕飯のジャパリまんを食べた後は早々に寝落ちしてしまったのだった。





「…さん……きて………孝太さん、起きて」


 暗闇の中、一度だけ聞き覚えのある声が、孝太の頭へと響いてきた。

 この声はあのフレンズでは────



 ゴンッ!!



 黒い空間から一転、孝太の視界はチカチカとした点滅世界へと様変わりした。

 目覚めに伴い身体の感覚が機能し始めると、だんだん額に鈍い痛みが広がっていく。


「こ、孝太さん……イタタタタ…。たしかに何度も呼びましたが、だからといって急に飛び起きないでください……」


 痛みが強まるにつれて点滅世界から黒が消え失せ、周囲は白い空間へと変わった。

 上半身を起こした孝太の隣には、以前出会ったピンク髪の女性が、正座したまま頭を抱えていた。どうやら起き上がった際に、こちらを覗き込む彼女へ頭突きを食らわす形になってしまったようだ。


「す、すいませ───いっ……!」


 開口一番の謝罪は痛みに呑まれ、二人は物理的な頭痛に悶絶することとなった。

 以前に夢で会った時はあまりに消化不良なまま会話が打ち切られてしまったので、今回こそはと焦ってしまった。

 これではむしろ時間を浪費している。


「うぅ……日常では気をつけて下さいね? 万が一、とっさに力を使っていたりしたら、痛いじゃ済まないかもしれませんから」


 彼女は長い前髪をかきわけて、両手で額を確認している。

 初めてあらわになった彼女の顔を見た孝太は、またえらい美人だな……と心の内で独り感心していた。その美しい金の瞳は、どこか人間離れした妖しさを漂わせている。

 ふと思い返すと、キツネの二人やカピバラも整った顔立ちをしていたので、フレンズは美形が基本なのかもしれない。フレンズだけの今のパークでは、余計に自分は浮いてしまいそうだ。


「……どうかしましたか?」


 しばし見惚れていた孝太は、あわててサッと視線を逸らした。

 そして、先ほどの彼女の言葉で気になったことへと話題を転換すべく口を開いた。


「いえ…何でも。それより、以前は聞きそびれましたが……僕に与えられた力って、なんなんですか?」


「あっ、そういえばまだ話していませんでしたね」


 スッと額から両手を下ろし、彼女はもぞもぞと姿勢を整え直した。改まって何を告げられるのだろうか、と孝太も少し身構えた。


「その……与えておいてアレなんですが、私も詳細な説明は出来ないんです。なんといっても、自分が誰だったのか覚えていませんので」


「……はい?」


 想定外の返答に、真剣な面持ちをしていた孝太はガクリとずり落ちた。

 はにかみながら「ごめんなさいね」と謝る彼女は、第一印象とは違って、結構明るく前向きな性格なのかもしれない。


「ですが! 私は内からずっとあなたを見ていましたので、どういう力なのかは大体見当がつきました。今のあなたに宿る力は、わかりやすく言うと野生解放です! ……野生解放であってましたよね、名前」


 いつの間にか立ち上がっていた彼女は、ポーズをとってビシィッ!とこちらを指差していた。気さくどころか、お調子者までいっているかもしれない。


「野生解放───って、フレンズのあの?」


「たぶん、似たような感じです…! 私のサンドスターの力でもって、ヒトの身でありながら擬似的に強くなれる……そんなところでしょう」


 かなりふわっとしたイメージのようだが、そんな漫画の主人公みたいな力が自分に宿るだろうか?

 孝太は内心、半信半疑…ではなく、かなり『疑』寄りだった。


「じゃあ、セルリアンを……倒してから気を失ったのは────」


「それはきっと、身体が耐えきれなかったんでしょう。私たちは肉体の大部分がサンドスターなので、野生解放をしても疲れるだけで済みますが、ヒトの身体ではそうはいかない……というワケです」


 それっぽい推測を聞いて、孝太はなるほど、と案外納得してしまった。セルリアンとの戦いで見たが、野生解放は一種のリミッター解除、もしくは肉体強化のようなものだったので、彼女の見立ては正しいように思える。つまり自分は、時限式かつ反動ありのパワーアップが出来ると思えばいいのだろうか…?


「とすると───そうだ。何回か視力が良くなってたのは、力を使ってた……ということですかね?」


「……ですね、おそらく。よく見ようと、無意識の内にちょっぴりだけ力を使っていたんじゃないでしょうか。お風呂でキタキツネさんの身体もよく見えていましたし! …あ」


 初日以降、頭の片隅に追いやっていた記憶が孝太の脳にフラッシュバックする。なんてことを思い出させてくれるんだ……。


 すると、周りの広大な白い世界がぐにゃりと歪み始めた。

 まさか夢からもう目覚めてしまうのか? と考えたのもつかの間、二人のいる場所は四角くて天井も見えないほどの縦長な部屋へと変貌した。

 孝太と謎のフレンズがなんだなんだ? とキョロキョロ見回していると、四方のそびえる壁にぼんやり何かが浮かび上がっていく。まるでプロジェクターで投影されるかの如く、部屋全体に浴場の洗い場周りが映し出された。それはVR機器で映像を見ているかのようだった。


「な、なんですかこれ!?」


「えぇと…その、ここは孝太さんの夢の世界なので……」


 赤らめた顔を申し訳なさそうに伏せた彼女は、その後もなにかモゴモゴと喋っている。しかし孝太には何と言っているのか聞き取れなかった。

 と、急に周りの浴場風景に、全裸のキタキツネが大きく割り込んできた。というより、一人称カメラがキタキツネの方に向いたと言う方が正しいだろうか。

 まさか、この光景はあの時の────


「これ…嗅いだことない匂いがするね。なんか、美味しそう」


 エコーがかったキタキツネの言葉が、どこからか部屋に響く。

 気付けば部屋には上も下も左右も無くなっていて、どこを見ても彼女の裸体から視線が外れなくなっていた。キタキツネがこちらに向かって手を伸ばすのが見える。


「うぉわっ! 夢の、ってつまり───」


「……はい。ここは言ってしまえばあなたの心の中なので、強く思い描いたものはこの通り、確かなビジョンとして表れます…」


 女性の裸体をリピート再生するところをまた別の女性に見られている、という顔から火が出そうな現状に、たまらず孝太は目を閉じた。そして投影を中止すべく、心を無にしようと思考をやめ、深呼吸を繰り返した。


「あっ……部屋が」


 しばらくして謎のフレンズの呟きを耳にしたかと思うと、既にキタキツネの声は聞こえなくなっていた。浴場へお湯が注がれるジャーッという水音も消えていた。

 慎重に耳をすましても、他には何も聴こえてこないので、孝太はホッと一息ついて目を開いた。


「───えっ」


 安堵から焦燥へ、孝太は全身に冷や汗が湧き出るのを感じた。

 周りの部屋の壁には、今度は目の前にいた彼女があられもない姿で投影されていた。白いワンピースではなく際どい水着を着けた彼女は、誘惑するような体勢で髪の隙間からこちらを見つめている。


 こんなことを考えた覚えはない!


 ……はずだ。…きっと。


「孝太さん…? ずいぶんと……お盛んなんですね……」


 冷えきった声が、孝太の背後から聞こえてきた。

 ───嘘だ。

 確かに無心、というか深呼吸を意識しすぎて何も考えていなかったはずなのに。


「ちょっ、いや、待ってください…! こんなこと考えていませんよ!」


「心は…正直ですね……。あぁ私、力を与えるヒトを間違えてしまったのやもしれません。このままでは他のフレンズに危害が…」


「何もしませんよ!」


 声を張り上げて否定しつつ、孝太は勢いよく振り返った。だがしかし、どうしたことか、背後に声の主はいなかった。

 どこへ行ったんだ? と驚く孝太の耳に、クスクスと笑い声が聞こえてきた。


「……っ!?」


 なんと、壁に映る彼女が笑っていた。

 こちらの視線に気付いた彼女は、一瞬で元の白いワンピース姿へと戻り、当たり前のようにふわっと壁から抜け出てきた。


「うふふ……冗談ですよ。ちょっとしたイタズラです。他人の夢とはいえ、私もそれなりに好き勝手できるんですよ~?」


 冗談だって!?

 孝太は真っ赤な顔で憤った。自身の感情が怒りなのか恥ずかしさなのか、それすらよくわからない。浴場とトイレではフレンズに軽蔑されることがなかったので、彼は今の下りに本気で肝を冷やしていた。

 加えて、わざと蠱惑的な振る舞いをされたせいで、余計に彼女のことを意識してしまいそうだった。今そういう事を考えるのは非常にまずい……心中が筒抜けの夢の中では。


「あらら、そろそろ時間切れのようですね。残念……」


 突然、彼女と白い部屋が薄まり始め、透けた向こう側に暗闇が顔を覗かせた。

 わたわたしていたら、思いのほか長く過ごしていたようだ。


「──そ、そうだ! 名前……あなたの名前は!? なんて呼べば……」


 孝太は、ギリギリのところで大事なことを思い出した。次に会ったら名を聞こうと、ずっと考えていた。


「名前…ですか? あいにく覚えていませんが……う~ん…そうですねぇ……」


 彼女は消えかけながらも、のんきに己の呼び名を考えているようだ。

 孝太はその様子をまだかまだかとハラハラしながら見つめていた。明らかに猶予がないというのに、彼女はまるで気にしていない風に虚空を仰いでいる。

 ついぞ世界が黒く塗りつぶされるか、というところで彼女の声が響いた。


「………ーシュ。私の…と……『イーシュ』と…呼…で……さい。そ…では………た今度…………」


 その声にはひどいノイズが混ざって途切れ途切れだったが、なぜだか名前の部分だけはハッキリと聞き取れた。

 そして、すべてが闇に閉ざされ────



「イーシュさんっ!!」



 ガバッと飛び起きた孝太は、夢から地続きの意識のまま、大声で彼女の名を叫んでいた。


 ……現実、か?


 薄暗い部屋を見渡し、自分のリュックや雑多な道具の入ったダンボールを視認して、孝太は夢から醒めたことを理解した。


 数秒の後、右からスーッ…とふすまが開かれる音が聞こえた。

 見ると、たまたま通りかかったのか、はたまた起こしてしまったのか、眠そうな顔のキタキツネが隙間からこちらを覗き見ていた。

 そして、孝太は彼女と目が合った。


「………ん。誰の…名前……?」


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