二十八話 ボス戦

 灰色の石材で統一された円形の大部屋の中央を陣取るボスモンスター『黒獅子ルビーアイ』と、唯一の出入口である観音扉を背後に立つ自分『黒崎颯人くろさきはやと』と、直ぐ横に浮く妖精『ニア』。それとスマホに憑依した神使も俺のすぐ近くを漂っている。

 そして背後にある重厚な雰囲気を持つ観音扉は、職業スキル『鍵開け』での解錠は不可能な為、黒獅子ルビーアイとの戦闘は避けられない事は明白であった。


「逃げ場は何処にも無い……なら、戦うしかないか! ニア、強化魔法『ハイパワー』を掛けてくれ!!」

「分かったわ、ハヤト!!」


 速さを強化する魔法『オーバースピード』を既にかけてもらった俺は、ニアに力を強化する魔法『ハイパワー』を頼むと同時に、ボストン型の学生鞄を床に置いた。

 通路型のダンジョンの支配主である黒獅子ルビーアイとの戦闘に、出来るだけ身軽で臨みたいと思ったからだ。


 どう見ても勝てる相手ではなさそうだが、無抵抗で殺されるほど優しくねぇぞ、俺はッ……!!


「窮鼠猫を噛む――いや、ネズミである俺が猫を食い千切ってやる!!」


 クエストで手に入れたコンバットナイフをしっかりと握り締め、泰然自若たいぜんじじゃくとする黒獅子ルビーアイを睨み付ける。


「グルルル……」


 唸り声を漏らす黒獅子ルビーアイ。

 十メートル以上離れた俺の敵意を感じ取ったのか、臨戦態勢――俺に飛び掛かる姿勢を取り始める。

 その事に『一撃でも食らったら即ゲームオーバーだ!!』そう直感した俺は、『絶妙なタイミングで避けなければ!!』と己に言い聞かせた。


「グオオオオオォォォォォ……!!」


 身の毛がよだつ咆哮を震わす黒獅子ルビーアイは、十メートル以上離れた俺に向かって跳躍した。


「うおおおおぉぉぉぉ……!?」


 叫び声を上げながら真横に飛び退く。

 すると黒獅子ルビーアイは俺が居た場所の後ろ――観音扉に張り付いた。


 か、かすったぞ……!?

 百獣の王の証であるたてがみが俺の頬にかすったんだけど……!! あと生暖かい息吹ッ!!

 もっとも爪や牙だったら大怪我で済まないから、鬣だけで済んだ事はラッキーだったがな!!


 背中に冷たいものが走る感覚を覚えた俺は、改めて黒獅子ルビーアイを見詰める。


「ガルルル……!!」


 観音扉から床に飛び降りる黒獅子ルビーアイは、不機嫌そうな唸り声を出している。

 それと深紅に輝く四つのルビーアイが、俺の顔をロックオンしている。

 まるで必殺の初撃を避けられた事に対し、八つ当たりに等しい怒りを覚えているようだ。


 怒りたいのはこっちの方だ――そう言いたい俺だが、三メートル越えの黒いライオン相手に、どうやって攻撃すりゃいいんだよ!!


「ハヤト! 強化魔法の準備が出来たわよ! ハイパワー!!」


 真上からニアの声が聞こえたと同時、強化魔法『ハイパワー』の魔方陣が俺の足元に浮かび上がった。

 そしてその魔方陣から赤い粒子が吹き上がる。


 限界以上の力が湧き上がって来る……けど、黒獅子に勝てるビジョンが浮かばねぇんだけど……!


「グルルル……?」


 丸太の様な太い首を傾げる黒獅子ルビーアイの姿を目にした。

 俺の異変パワーアップに疑問を抱いているのだろう。

 現に俺の足元にある魔方陣を凝視している。また俺の真上に浮くニアの姿を見ながら舌なめずりを――ッッ!?


「上に逃げろ、ニア!!」

「ふぇっ……!?」


 真横に移動しながらニアに警告を発した。黒獅子ルビーアイの『舌なめずり』の意図を読み取ったからだ。

 とは言え、突然の警告に呆気に取られるニア。


「グオオオオオォォォォォ……!!」


 巨大な体躯を持つ黒獅子ルビーアイは全身をバネにして跳躍する。宙に浮く小さな妖精を目掛けて――


「こっち来ないでよッ!?」


 自らの領域に迫りくる黒獅子ルビーアイに文句を吐くニアは、ナイフのような鋭い爪から逃れるよう真上に退避しようとする。

 そして次の瞬間。

 黒獅子ルビーアイの前足と、翅をはためかせるニアの影が交差した。


「やられてたまるかー!!」


 銀色に輝く爪を持つ二本の前足からするりと抜け出すニアを目にする。


 上手く避けられたみたいだな――っと、そろそろ黒獅子が床に降りて来るな……よし、ちょうど良い位置を取れたし、渾身の一撃をお見舞いしてやる!!


 コンバットナイフを両手でしっかりと握り締める俺は、宙を舞う黒獅子ルビーアイの動き見張る。一撃で仕留める気持ちでタイミングを――今だッ!!


「これでも食らいやがれ!!」


 黒獅子ルビーアイの斜め後ろから突撃する。

 オーバースピードで強化した速さと、ハイパワーで強化した力を生かした渾身の一撃は、黒獅子ルビーアイの脇腹を深く穿つ――つもりだった。


「な、ナイフが刺さらねぇ!?」


 数ミリしか刺させなかった事に驚く。

 黒獅子ルビーアイの防御力に驚いたのだ。俺の非力さに動揺したとも言える。


「グルルル……」

「や、ヤバい――」


 生物の急所である脇腹を出血させた。その事に静かに怒りを滾らせているのが分かった俺は、直ぐ様バックステップで距離を取ろうとする。

 そんな俺の姿を見た黒獅子ルビーアイはネコパンチを繰り出そうとする。


「ぬおおおぉぉぉ……!?」


 銀色の爪を生やした前足が俺の顔の近くを通り過ぎる。

 それと同時に『ゴォッ!!』と空気を震わす衝撃波を感じてきた。

『死ぬかと思った!?』そう肝を冷やしたのも束の間。黒獅子ルビーアイは連続ネコパンチを繰り出してくる。


「うぉ!? おわっと!? 危ねぇ!?」


 必殺の一撃であるネコパンチを紙一重で躱し続ける。

 左右どちらかに跳躍、バックステップで移動、地面を滑るように転げまわる。

 そんな回避行動を続けていた俺は、背中に硬いものが当たるのを覚えた。またかかとからも同じ感覚を覚えたのである。


 避けるのに夢中になっていたとは言え、何時の間にか壁際に追い詰められていたのか、俺は……!?


「グオオオッッ!!」


 動揺する俺に容赦なく突撃を仕掛ける黒獅子ルビーアイ。


「やらせるかッ!!」


 燃え盛る松明を壁から取り出す。

 そしてそれを黒獅子ルビーアイの前に突き出した。


「ガルルッ!?」


 突き出した松明にぶつかる直前。黒獅子ルビーアイは慌てて後ろに大きく飛び下がる。

 それは俺の手に持つ松明――炎に過剰反応したのだと理解した。


「火が弱点だとでも言うのか!? ならば――」


 オレンジ色の炎を灯す松明を振るう。凶悪な面を出す黒獅子ルビーアイの顔面に向けて。


「グルルル……」


 不愉快な表情を出しながら後ずさる黒獅子ルビーアイ。


 やはり火が弱点か……!!

 ならばこの松明の炎で黒獅子を倒す――――には、流石に無理があるな……。どうしよう?

 せめてキャンプファイヤー並みの火力があれば黒獅子を倒せると思うのだが……ってか、ニアは何処行ったんだ?


 不意にニアの事を思い出した俺は、真上の方向を視線だけ動かしてみる。

 すると漬物石に良さそうな石を持つニアの姿が目に入った。


「さっきのお返しよッ!!」


 威勢の良い声を出しながら急降下するニアは、黒獅子ルビーアイの顔面に目掛けて石を放つ。

 まるで急降下爆撃のようだ。そう感想を抱いたのも一瞬。

 ニアが放った石は黒獅子ルビーアイの頭に衝突し、石がバラバラに砕け散った。


「グオオッ!?」


 石が当たった場所――左上の目を抑えながら苦悶の声を漏らす黒獅子ルビーアイ。

 どうやらニアが放った一撃は、『会心の一撃』に相当するダメージを与えたようだ。


「ナイスだ、ニア!!」

「ふふん……! 報酬を忘れないでよ、ハヤト!! それと今の内に距離を取るわよ!!」

「分かってる! それとお菓子は奮発してやるから楽しみにしてろよ!!」


 目の痛みにうずくまる黒獅子ルビーアイを視界に収めながら距離を取る俺とニア。


「距離と僅かな時間を稼げたとは言え、黒獅子を倒す算段はまだ思い付いてないんだよなぁ……。何かいい方法あるか、ニア?」

「倒さなきゃ駄目なの? 逃げるのはどう? 真上に?」

「翅を持っていない俺に無茶な提案をするじゃねぇよ……。それともロッククライミングでもしろって言うのか、お前は」


 とは言え、最悪ニアだけは無事にやり過ごせるかもしれないな……。

 自己犠牲なんてカッコいい真似はするつもりはないけど、万が一殺された場合の未来を心配しなくても済みそうだ。


「う~ん……。便利なマジックアイテムで切り抜けるとかはどうなの? 昨日使ったアイテム……え~と、クレなんとかカード。オークを一撃で倒したアイテムはないの?」

「クレイモアカードの事か……残念だけど無いな。その他のマジックアイテムと言ったら『マジックポーション』だけ……じゃねぇな。確かもう一個あった筈だ」


 異界浸食が起きた初日に手に入れたマジックアイテムが――って、『あれ』を上手く使えば如何にかなるんじゃね? つーか、それしかもう手がないだろうし……。


 今居る大部屋の出入口である観音扉の近くに置いてある学生鞄。それをチラッと俺の視界に入れながら思考を巡らせた。


「……ちょっと耳貸せ、ニア。作戦がある……と言うより、頼みがあるんだけど」

「いいけど早くしてね。あの黒獅子がこっちにやって来てるから」

「分かってる。それでな――」


 四つある目の内の一つ。左上の目から血を流す黒獅子ルビーアイの動向を見ながらニアに耳打ちをする。

 俺が黒獅子ルビーアイの注意を引きつける間、ニアが観音扉に近くに置いた学生鞄から『アレ』を取って来て欲しい、そんな内緒話をしたのである。


「OKよ、ハヤト! まっかせてー!」


 そう言い終わる前に早速行動に移るニアは、黒獅子ルビーアイの攻撃が届かない位置まで上昇した。


「グルルル……!?」

「おいおい、よそ見すんじゃねぇよ。あんな小さい獲物より、食べ甲斐がある俺にしとけ、黒獅子……!!」


 高く飛び上がったニアを不審に思う黒獅子ルビーアイに、松明の炎を見せびらかせるなどの嫌がらせをする。

 すると黒獅子ルビーアイの視線と俺の目が合った。


 いい子だ、黒獅子!

 ついでにそのままじっとしていてくれると嬉しいが……。


「ガルルルル……!!」


 全身の毛を逆立てる黒獅子ルビーアイは、突撃の姿勢を取り始めた。


 この状況で大人しくする訳ねぇよな――と、ニアが『アレ』を持ってくるまで持ちこたえて見せるかッ!!


「グオオオオオォォォォォ!!」


 怒りの表情を見せながら強襲する黒獅子ルビーアイ。数百キロの体躯を武器にした飛び付きである。


「死んでたまるかよッ!!」


 後方に飛び下がりながら松明を振り回す。

 それは自身の命を守る為の回避行動と、敵の動きを制限させる為の牽制である。


「ガルルッ!?」


 黒獅子ルビーアイは炎を灯す松明の前で急停止した。忌々しいと言った表情を浮かべているのが手に取るように分かる――今だ!


「火傷でもしやがれッ!!」


 渾身の力で松明を振るう。

 すると松明を掴む手から確かな手応えを感じた。それと同時に焦げた臭いが鼻についた。


「グオオッ!?」


 苦痛に満ちた声を漏らす黒獅子ルビーアイは、数歩後ろに下がった。俺の手に持つ松明。千度を優に超える炎を灯す松明で頭を殴りつけたからである。


 効果は抜群、急所に当たった――ってかッ!!


 黒獅子ルビーアイにダメージを負わせた。

 その事実に気を良くした俺は、更に攻撃を仕掛けようと前に出る。


「もう一撃食らいやがれ!!」


 先程と同じ様に松明を振るう。火に弱い黒獅子ルビーアイの頭を狙って。

 しかしその攻撃は空振りに終わってしまった。

 俺の攻撃が黒獅子ルビーアイの頭にインパクトする直前、黒獅子ルビーアイが回避行動をしたからである。

 それも最小限の動きで俺の攻撃を避けたのだ。


「や、ヤバいッ!?」


 懐に飛び込んでしまった事に危機感を抱いた。

 また銀色に光る爪の一撃。必殺のネコパンチを繰り出そうとする黒獅子ルビーアイの様子が目に入った。


「――ぐはッ!?」


 真横から鋭い痛みを感じた。

 それと同時に景色が物凄いスピードで流れてゆく。

『黒獅子ルビーアイのネコパンチを食らった』そう頭が理解した瞬間、硬い石で作られた壁に衝突した。


「ぐふっ……」


 壁に衝突した俺は苦悶の声を漏らし、そのまま床に倒れ伏す。

 黒獅子ルビーアイからの強烈な一撃と、硬い壁に衝突したダメージは、レベル6の俺では耐えきれなかったからだ。

 現に俺の見た目は酷い有り様である。

 真っ白で綺麗なワイシャツはズダズダに裂け、紺色に近い黒のスラックスは埃まみれだ。また俺の赤い血液が白いワイシャツをデコレーションしている。

 それと俺の表情は芳しくない。

 三メートル越えの黒獅子ルビーアイのネコパンチを真面に食らった以上、笑顔で済ませる様な頑丈な人間ではないからだ。

 もっとも見た目は瀕死の重傷ではあるが、骨折を含むなどの深刻なダメージを負ってはいない。

 とは言え、直ぐに軽快な動きが出来る状態では無いのだが。


「ち、くしょう……が……」


 ゆっくりと近づく黒獅子ルビーアイを目にしながら毒づく。

『急いで立ち上がらねば!』そう頭を過る俺ではあるが、素早く立ち上がれそうにない。


 こんな所で死にたいのか、俺は……!

 灰色の石材で作られた通路型のダンジョンの内部、それもボスモンスターの手に殺されたいのかよ、黒崎颯人はッ!! 違うだろ!


 心の中で己を奮い立たせようとする。

 そんな俺の元にニアの声が聞こえてくる。


「頑張って、ハヤト!! もう少しで『アレ』を渡せるから!!」


『アレ』を持ちながら近づくニアを目にした。

 しかし黒獅子ルビーアイの攻撃を食らうのが早そうである。


「グルルル……」


 倒れ伏す俺の直ぐ近まで移動する黒獅子ルビーアイ。

 そしておもむろに前足を高らかに振り上げる。『止めだ!!』そんな幻聴が聞こえたのである。

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