十五話 二日目の朝

 異界浸食と呼ばれる現象が起きてから一晩が経過した現在。

 ダンジョンの出入り口である巨大なクリスタル――『ゲートクリスタル』の前に立つ俺と、その肩付近に浮くニアが居た。


「ねぇねぇ、ハヤトの家ってどんなの? 翅無し巨じ――じゃなかった……えっと、なんだっけ……インゲンだっけ? インゲンの家ってどんな感じなのよ?」

「誰が『いんげん』だ! 俺は人間だよ! に・ん・げ・ん、『いんげん』は野菜だろ!! 小学生レベルのボケやってんじゃねぇよ!!」


 翅無し巨人は完全にアウトだし、『いんげん』もレッドカードだからな! それと似た理由で『にんじん』も同様だぞ!!


「ごめんごめん……。ニンゲンの家は初めてだから、ちょっと舞い上がっちゃって」

「そうかよ……。言っておくが一軒だけじゃないぞ。このクリスタルを通過したら、そこは人間達が住まう住宅街だからな」

「えっ……!? ニンゲンってハヤトだけじゃないの!!」

「まぁな。ついでに言うと人口――人間の数はかなり多いから、ビックリすると思うぞ。もっともモンスターが歩き回ってるから、あまり見かけないだろうけどさ」


 俺が居る場所は千葉県北部の10万人が住まう市である。

 また最寄駅が属する鉄道路線は、運賃が割高である事が有名だった。ただし東京にアクセスしやすい環境なので、割高の事を除けばかなり優良路線だったりする。

 そんな市内にある一戸建て――つまり俺の自宅があり、そこを目指すつもりであった。


「外に出る前に一応言っておくけど、妖精は架空の存在とされているんだ。だからあまり人前に出ないようにした方がいいぞ」

「何で私が架空の存在とされているのよ……! むしろニンゲンの方が架空の存在でしょ!!」

「俺に言われても困る。ただこの事は心に留めておいてくれ」

「ぶー!! 納得いかないんだけど……!!」


 口を尖らすニアの文句を耳に入れる俺は、正面にあるゲートクリスタルに手を触れる。すると何の抵抗もなくゲートクリスタルを素通りした。


「問題なさそうだ」

「あ、ちょっと待ちなさいよ!」


 腕が素通りした事を確認した俺は、ゲートクリスタルに向かって歩を進めると、俺の視界情報が一瞬で切り替わった。

 灰色の石材で構成された通路のダンジョンから、ブロック塀同士の狭い隙間に飛び出たのである。

 またニアも俺の後を追い、俺の肩付近に浮く――この位置、気に入ったの?


「……暑いな」

「暑いな……じゃないわよ!! 暑すぎでしょ!!」


 不機嫌な感情を込められたニアの叫び声は、幅30センチの狭い空間に居る俺の耳を打った。


「馬鹿、静かにしろ! ニアの気持ちは痛いほど理解出来るけど、モンスターが居る外で叫ぶんじゃねぇ!!」

「だからって、この暑さは異常すぎるわよ!! 近くに火口でもあるんじゃないかと、疑いたくなるぐらい暑いぃぃぃぃ……!!」


 真夏の日本。

 それも朝の八時の気温に怒りの声を上げるニア。


 この程度で根を上げるようでは、先が思いやられるな……。

 何故なら夏の本番は、太陽が一番高い時間帯――午後からの日差しだぞ。

 特に曇り一つない晴天の日差しと、日本特有の高い湿度の組み合わせは、真綿で首を締める様な拷問だ。

 ちなみに今日の天気は快晴なので、午後から面白い悲鳴が聞こえるかもしれない……主にニアの悲鳴が。


「悪い顔をしてるんだけど、一体何を考えているのよ……?」

「別にー。ただ家に帰ったら甘いお菓子食べようかなーっと、思っただけだしー。……ニアに内緒で(ぼそっ)」

「聞こえてるわよ! と言うか私にも寄越しなさいよ!!」

「どうしようかなー……って、悪ふざけはここまでにしとくか。モンスターに襲われたら不味いし……ニア、お菓子欲しいんだよな? 欲しいなら静かにしてくれ。この暑さに文句を垂れ流した結果、モンスターに遭遇なんて不運は避けたいからさ」

「わ、分かったわよ……。けどお菓子は絶対に貰うからね、約束よ!」

「OKだ、ニア。無事に家に帰ったらアイスで祝杯を上げようぜ」


 ニアとのトークタイムを終わらせた俺は、ブロック塀同士の狭い隙間から出ようとする。ゴブリン共とオークから逃れた地点に。


 ――っと、先ずは左右の確認からだな。

 出会い頭にモンスターと『こんにちは』は避けたいし、昨日のオークが居たら……って、居るし……。


 狭い隙間の出口で左右確認する俺は、後ろ向きに立つオークの姿を確認した。それもキョロキョロと何かを探す仕草をするオークの後ろ姿である。


「どうしたの、ハヤト?」


 ニアのヒソヒソ話が聞こえて来た。

 狭い隙間から出ようとしない俺に、疑問を抱いたようだ。


「アレを見れば分かる……。叫ぶなよ」


 声を抑えながらオークの姿を見るようニアに指示すると、『どれどれ……』とブロック塀から顔を出した。


「……今置かれてる状況を理解したわ」

「そりゃよかった。それで何か良い案でもあるか?」


 ホントはノープランでも問題なさそうなんだけどな。

 家がある方向はオークが居る位置の反対側だし、当のオークは何かを探すのに夢中の様だ。

 ならばこっそりと駆け抜ければイケるんじゃね? 俺の速さがオークより上だという希望的観測によるものだけど。


「私の強化魔法を掛けてオークに挑むとか?」

「スケルトンソルジャーより弱いならそれもアリなんだけどさ……。オークについて何か知っているか?」


 敵と戦う前に相手の戦力を知る事は大切――なんだけど、記憶喪失のニアに質問するのは無理があるかな?


「う~ん……。確かオークが誕生した伝説では、屠殺場で死んだ豚の怨念から生まれたのよ。それで肉包丁とコックコートを装備している理由は、『逆に調理してやる』と言った意趣返しだと伝えられているわ」


 B級ホラー映画の設定かよ……!

 食肉工場で働く従業員が、次々と殺戮されていくスプラッタ映画の設定――ってか、


「記憶喪失の割には随分と物知りだな」


 オークの生い立ちと、スケルトンソルジャーの特殊能力をスラスラ答えるって、記憶喪失のニアにしては変だと思うんだけど……。


「確かに私は記憶喪失だけど知識ぐらいはあるわよ。でもそれって普通の事でしょ? 何もかもパーだとしたら、赤ん坊みたいに喋れないじゃない」

「……それもそうだな」


 記憶と知識は別物――そう主張するニアの言葉に、取り敢えず同意する事にした。

 もちろん疑問が完全に晴れた訳ではない。ただオークを出来るだけ早く対処しなければいけないので、ニアの主張を受け入れたのである。


『提案があります、マスター』


 俺にしか聞こえない念話が脳内を響かせた。八百万の神が作り上げた神使の言葉である。

 そしてその念話に対し、『どんな案だ?』と思念で返事をした。口頭で返事をしなかった理由は、神使の念話を聞き取る事が出来ないニアを配慮したからである。


『ガチャの景品を使ってはどうですか? クレイモアカードの威力なら確実に仕留められます』


 一日一回無料で回せるガチャ。それを朝一で回した結果、『クレイモアカード』と呼ばれるマジックアイテムを手に入れた。

 それは黒い球に火が付いた導火線が描かれた一枚のカードであり、何処からどう見ても『爆弾』の絵だ。また『クレイモア』は指向性対人地雷として有名な名前でもある。


『クレイモアカードは対象に触れると自動で爆破されます。また私を通しての遠隔起爆が可能の攻撃アイテムですので、安全地帯から爆破は可能です。もちろん威力は期待してください。オーク程度のモンスターなら、一撃で仕留める事は間違いありません』


 ふむ……。

 貴重なマジックアイテムを使うのは嫌だけど、確実にオークを仕留めるのならアリだろうか?

 それともニアの強化魔法を掛けて貰い、オークと正面から挑むのは――いや、止めておこう。

 見た目がスケルトンソルジャーより強そうだし、一刻も早く家に帰って寛ぎたいからな。


「そうと決まれば、早速行動するか……。ニア、クレイモアカードを使うぞ。そのマジックアイテムの説明するから、聞き逃すんじゃねぇぞ。もし聞き逃したら……死ぬぞ」

「いきなり物騒な事言わないでよ……!」

「それでクレイモアカードなんだけど――」


 俺の『死ぬぞ』の言葉にギョッとするニア。

 そんなニアの様子を無視するかの如く、俺はクレイモアカードの説明をした。


 そして数分が経過した頃。

 ブロック塀同士の狭い隙間から、オークが居る路地に出る事にした。オークが明後日の方向を向いているタイミングで――よし、クレイモアカードの設置を終わらせたぞ!


「は、早くこっちに来なさいよ……!」


 ニアの慌てる声が、離れた場所から聞こえて来た。クレイモアカードを地面に設置している途中、出来るだけ距離を取っていたようだ。


「分かってる……! 後はオークを此方に誘導させないと……! お、おーい、豚野郎!!」

「ブヒ……?」


 背後に立つオークが振り向こうとする。

 すると憤怒の表情を浮かべる豚面が目に入った。


「ブヒィィィ……!!」


 雄叫びを上げるオーク。

 凶器である肉包丁を振り上げ、俺が居る方向に突撃しようとしている――掛かった!!


「ニア、急いで離れろ!!」

「分かってるわよ!!」


 オーク釣りに成功した俺達は急いでこの場から離れた。


『起爆まで後三秒……二秒……』

「伏せろ、ニア!!」

「――ッッ!!」


 ヘッドスライディングのように地面に伏せる俺と、電柱の根本に飛び込むニア。そして――


『爆破!!』


 神使の短い念話を感じた瞬間。

 目を眩ますほどの閃光と、耳をつんざく破壊音。それと凄まじい爆風が俺の背を通り抜ける。


「うぉぉぉぉ……!!」

「きゃぁぁぁ……!!」


 クレイモアカードの破壊力に悲鳴を上げる俺とニア。

 しばらくすると辺りを蹂躙していた爆風は収まっていき、爆心地の方向に顔を向けようとする。


「……やったのか?」


 爆心地の方向――クレイモアカードを地面に設置した場所を見た俺は、オークが何処にも居ない事を把握した。

 その事に『木端微塵に吹き飛んだのか?』そう思案する俺のすぐ横に、『ボトリ』と豚の頭が落ちてきた。飴色に焼かれた豚の頭である。


「安らかに眠れ、オークよ……。お前の事は一日ぐらいは覚えていてやる」


 オークの生首(加熱済みだけど)に合掌する。

 そんな俺の元にパタパタと翅を動かしながら近づいてくるニア。


「……(じゅるり)」


 無言でオークの頭を見つめるニアから、涎を飲む音が聞こえて来た。


「食う気かよ……!?」

「ち、違うわよ……!! ただちょっと美味しそうな匂いだな~っと、思っただけだから!!(ごくり)」

「オークの頭を見ながら弁解してんじゃねぇ!!」


 食欲旺盛のニアに呆れた声を上げる最中、オークの頭が消えていった。


『経験値を85獲得しました。GPを35獲得しました』


 オーク退治の報酬が聞こえて来た。

 またレベルアップのサインである『テレッテッテー』も聞こえた。


「オークの頭が……」

「絶望に打ちひしがれてんじゃねぇ……!! 家に帰ればゲテモノより美味しい食べ物があるからッ!!」

「ホントに!」

「少なくともアレより美味しいのは保証してやる!! つーか、そろそろ家に向かうぞ! モンスターが居る屋外に、何時までも居るのは流石に――」


『流石に不味い』そう言いかけた俺の耳に、何処からともなくモンスターの鳴き声が聞こえて来た。それと同時に足音らしき音が徐々に大きくなっていく。


『警告。急いでこの場から離れる事を強く勧めます』


 分かってるよ、神使。

 オークと言った障害が取り除かれたばかりなのに、新たなモンスターと戦闘するのは面倒だし、何より俺は家に帰る為に行動してるんだ。


「行くぞ、ニア」

「OKよ、ハヤト」

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