第3話 観音寺城炎上



1568年(永禄11年)秋 近江国蒲生郡野々川郷




【織田勢 愛知川対岸に布陣】


 この知らせは瞬く間に湖東地域に響き渡った



 伝次郎は宗六・大助・小助と家人を急ぎ集めた

「どうやら戦が始まるようです」

「狙いは観音寺城でしょうか」

「それ以外に考えられません。宗六・大助・小助」

「はい」

「家の者を日野へ落してください」

「…」

「もしも日野にも織田勢が迫れば、そのまま南下して伴谷の伴太郎左衛門尉を頼ってください」

「太郎左衛門尉様とは」

「私の兄です。伴谷の郷士ですが、きっと力になってくれましょう」

「伝次郎さんは」

「私はまだ残ってやるべきことがあります」

「観音寺城は堅城です。すぐに落ちるとは思えません

 援軍があれば六角様が織田に負けると決まったわけでは…」

 伝次郎は首を振った

「厳しいでしょう。六角様にかつての勢威がないことは宗六もよくわかっているはず

 ましてお城を攻めるのならばこの辺りは陣が置かれることになります…

 私は戦の前に織田様に禁制を願い出ます。その差配は私以外の者にはできないでしょう」

「それでは私も共に」

 大助が進み出た

 再び大きくかぶりを振る

「織田様が我らの願いを聞き届けて下さる保証はありません

 ここには銭・米・馬があります

 長対陣となれば略奪を許すということも考えられます」

「しかし」

「惣構があるとはいえ、武士が本気で攻め寄せれば一捻りでしょう

 猶予はありません」

「…わかりました」

「兄へ文を書きます。それを持って今すぐ立ってください」

 そういって伝次郎は文をしたため始めた



 この時代の戦は飢饉との闘いでもあった

 飢饉は特に甲信越・奥羽で多かったが、京でもしばしば干ばつの被害があった

 しかし、中央に水瓶を持つ近江は豊かな穀倉地帯であり、他国に比べて食が豊富にあった

 戦は、一面では兵たる農民たちの『食』を確保するための略奪戦争だ

 農村部で食い詰めた百姓を他国の米で養うために軍を起こすことも珍しくない

 飢えて死ぬか、隣国から奪って食うか

 米を奪うだけでなく、乱入した先の住民を乱取りと称して捕虜とし、奴隷商人へ売り渡して銭を得ることもある


 戦場周辺の村でしばしば住民たちの逃散が相次いだのは乱取りから逃れるためという側面があり、そのため戦が終わると戦場付近の百姓に村へ戻るようにとの触れが出された

 伝次郎が家人を逃がすのも当然ではあった




 1568年(永禄11年)秋 近江国蒲生郡八風街道峠




「これは…」

 尾張への行商の帰り、八風街道の下り坂で甚左衛門は呆然と立ち尽くしていた

 遠くの方に黒煙を上げている城が見える

 織田信長の上洛軍が観音寺城の支城、箕作城を落城させた

 その翌日であった


(伝次郎さん!宗六!みんな無事か!?)

 得珍保は箕作城のある箕作山の麓にあった

 観音寺城で戦があったのなら、巻き込まれていないわけがなかった

 急いで無事を確かめたいが、しかし…


(やむを得ん)

 そう思い伊勢へ引き返すことにした

 今の甚左衛門は伊勢で仕入れた塩魚を天秤にかついでいる

 カモがネギを背負っている状態だ


(こんな時期に戦だなんて…)

 もうすぐ稲の刈入の時期だ。農村には男手が必要になる

 刈入準備が十分に出来なければ、今年の収穫は辛い物になるだろう…




 1568年(永禄11年)秋 近江国蒲生郡日野




 五井宗六は蒲生賢秀の軍列を見送っていた

 観音寺城を攻略した織田信長に未だ日野城にこもって抵抗の姿勢を見せていた蒲生賢秀が、降伏し、人質を伴って織田信長の元へ向かっていくのだった

「宗六。ここは大丈夫なのかな?」

 大助が不安そうな顔をしている


「蒲生様は織田家に降るそうだ。上総介様も降ったものをさらに攻めかかったりはしないと思う」

「そうか…伝次郎さんは無事かな…」

「わからん…観音寺城が戦場になっているからな…無事でいてくれればいいんだが…」

 五日前に観音寺城は落城し、織田家の兵が守山宿まで進出していた

 大助には大丈夫と言ったものの、宗六も内心は不安だった



 一月後宗六達は野々川郷の伝次郎を訪ねた

 織田信長の上洛軍は京から三好三人衆を追い払い、南近江一帯も織田家の勢力圏内に入っていた

「伝次郎さん。ご無事でしたか」

 宗六はほっと息をついた

「宗六・大助・小助。苦労をかけました」

 口々に”そんな””伝次郎さんこそ”と声がした


「伝次郎さん。大変なことになりましたが、またみんなで気張りましょう」」

「そのことですが…宗六・大助・小助。皆に暇を出します」

「…」

「織田様は北伊勢をすでに制圧されています。我らの権益もどこまで保護されるか…最悪の場合、

 我らは解散させられることもあるでしょう」

「しかし、織田様は商人の活動を保護されているのではないでしょうか?井ノ口…今は岐阜ですが、加納の市では座の活動もお認めになるというご沙汰があったと聞きました」

「あれは円徳寺の衆が織田様に保護を願い出たことで実現しました

 織田家の本拠地故のことでしょう

 織田様が商いに理解を示されているのは事実ですが、どこまでが織田様の本心かはわかりません

 まして、我らは六角様に近すぎました…

 織田様も我らの活動を快く思われないかもしれません」

「ならばなおのこと、我らも力を尽くしたいのです」

「大助、わかってください…場合によっては誅されるということもあるのです。そなたたちを巻き添えにすることはできません」

「伝次郎さん…」

「本来ならば十分に支度をさせ、独立させたいと思っていましたが…すまない」

 伝次郎が深々と頭を下げた

 宗六は涙で顔を上げられなかった

 大助・小助も泣いているのがわかった



 この前年の永禄十年十月織田信長による初めての楽市令が発布されているが、その宛所は『楽市場』となっている

 具体的にどこの市であるかの明記はなく、制札の内容は


 一、この市に居を定める者は織田領内の往還を自由とし、借銭借米(の返済)と地子諸役(出店税を含む諸々の税)を免除する

 二、押し買い、狼藉、喧嘩、口論をしないこと

 三、理不尽な使い(命令)はしないこと


 さらに一年後の永禄十一年九月に、今度は宛所を『加納』としたうえで


 一、織田領内往還の自由と諸役免除

 二、楽市楽座の上商売すること

 三、押し買い、狼藉、喧嘩、口論をしないこと。及び理不尽な命令をしないこと


 としている



 両制札とも岐阜加納の円徳寺に保管されている事

 また前後の状況から、どちらも加納の市を指していると判断はできるものの明らかに『楽市』と『楽座』は異なる意味であり、状況によって使い分けている

 また、楽市楽座が通説の通りに『自由商業の促進と座による独占の禁止』とするならば、旧来の既得権益を得ていた座商人たちは不満を持ち、物流も混乱するはずである

 この永禄十一年は、八月に上洛を控えて六角家や浅井・朝倉家と頻繁に使者のやり取りをし、九月には実際に上洛軍を発し、十月には京に入っている


 信長の眼は上洛に集中していると考えるのが自然であるし、上洛を控えた忙しい中で本拠地の城下町が混乱しかねない政策を実行するとは到底考えられない

 まして、信長が岐阜を得たのは永禄十年のことだ

 武士はともかく美濃国内の百姓や商工業者達を完全に掌握していたとはとても思えない

 仮に上洛中に本拠地が混乱すれば、上洛軍は京で孤立しかねない

 むしろ、本拠地の混乱を可能な限り抑え、上洛軍の安全を確保するための政策であったと考えるべきだろう



 織田信長が商業保護に熱心であったのは後年の事績から明らかだが、この永禄十一年の時点でそれを伝次郎達が理解できるはずはなかったのである

 宗六達三人は一旦日野へ帰郷し、甚左衛門と同じく独立商人としての活動を始めた




 1568年(永禄11年)冬 山城国久世郡伏見




「ええい、一斗樽一つで五百文ならどうだ!」

「まあ、とりあえずはそのくらいだな。取引が続いて信ができたら、また値は考えてやろう」

「ほんとに頼むよ。毎月ちゃんと買いに来るからさ」

「はいはい、期待しないで待ってるよ」

 宗六は伏見の酒蔵の仁兵衛と大きな声でやりあっていた


 二か月前の永禄十一年十月に織田信長が足利義昭を奉じて上洛し、すぐに岐阜に引き上げていた

 京は足利将軍の十五代様の政治に不満の声が上がり、まだまだ世が定まったとはとても思えない情勢であった


 伝次郎と別れ日野郷に帰った宗六・大助・小助は、三人で酒を飲んだ

 何はともあれ、これからはお互い一人前の商人として世に出ることになる

 その旅立ちの酒のつもりであった


 酒を飲みながら宗六の頭にあったのは、日野の産物である椀や杯を商うことであった

 酒を飲む手をふと止めて杯をしげしげと眺めた

(杯は酒を飲む為に使う。ならば、杯と共に酒を商えば、日野の地を賑やかにできるのではないか)

 となれば、善は急げとばかりに宗六は酒の仕入れを当たった


 半端な酒では駄目だ。上等の酒ならばこそ上等の杯よと評判を呼ぶはずだ

 酒造りといえば京である

 京洛で名の高い伏見の酒を仕入れようと、伝手を当たって仁兵衛の酒蔵にやってきたのは十二月の始め頃のことだった



 天秤棒の両端に一斗づつ酒樽を担ぎながら宗六は逢坂の関を超えていた

 合わせて二斗(約35kg)


 重い…

 日野まではおよそ十里(40km)頑張れば日のあるうちに日野へ帰れるだろう


 甚左はどうしてるかな…大和も騒がしい

 いかんな。考え事をしながらでは足が重くなる

 …

 …

 仁兵衛の親爺め

 一斗で五百文で仕入れていても売値はせいぜい七百文か

 酒の儲けは雀の涙だ

 しかし、京の上質な酒でなければ杯と一緒に売ることは難しい

 日野で京並みの酒造りができればいいんだがな…

 …

 …

 鶴千代様はご無事であろうか

 岐阜へは人質として赴かれたのだ。決して楽な暮らしではあるまい

 …

 それにしても重いな

 …

 …


 そうだ!帰る道々売りながら帰ればだんだんと荷は軽くなるな


 目の前には金森の寺内町が見えてきた

 とりあえず、あそこで一斗を売ってゆこう


 金森かながもり寺内町じないちょうは一向宗の惣(村)だった

 寺内町とは寺領を指す。堀を備え、防備施設もある守護不入の自治組織の治める場所だった

 京は伏見の般若湯はんにゃとうと詠えば飛ぶように売れた

 仁兵衛に見せるために持ってきた日野塗の杯もお坊様に好評だった


 来月は日野の杯を仁兵衛の酒蔵に置いてもらい、仕入れた酒を金森で売って、金森の市では諸国の物産を買おう

 酒と物産を持って帰れば日野でも皆が喜ぶだろう


 宗六は先行きが明るくなるのを感じた


 しかし、早く牛を買いたいな

 毎月酒を二斗運ぶのはかなり辛い

 それに、牛の背ならば一度に一石は運べるだろう

 仁兵衛の親爺も毎月一石が売れるとなれば、一斗あたり三百文くらいまでなんとかしてくれるはずだ…



 馬は軍馬として徴発されることも多く、高価であった

 荷運びには足は遅いが牛の方が安価だ

 とはいえ、今の宗六にとっては高価なものであることに変わりはなかった



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