第93話 工業立国


 


 1894年(明治二十七年) 九月  滋賀県蒲生郡八幡町




 西川甚五郎は新築間もない新社屋の前で、五十人の女性工員を前に開業の挨拶を行っていた。


「えー、八幡町ではここ数年水害の凶作の為に農家の衰退は著しく、経済的にも苦境に立つことが多くなり、大阪や東京などへ移住する人も増えています。

 当地の産業を再び興すべく、養蚕業を奨励すると共に、輸出産業を開発し、合わせて婦女子の雇用を創り出す事を目的として、本日、八幡製糸株式会社を開業いたします」


 大きな拍手を浴びながら甚五郎は一礼して屋外に設えた演壇から降りた。

 引き続き滋賀県知事の大越亨が演壇に登って挨拶をする。

 一連の開業のセレモニーが終わると、女工達は工場内に入ってそれぞれの機械の前に座った。

 蒸気機関に火が灯され、工場全体が唸るような声を上げながら操業を始める。


 明治維新から二十年以上が経ち、甚五郎は四十五歳にしてついに輸出産業へと進出した。


「西川さん。開業おめでとうございます」

「大越知事にもお越しいただいてありがとうございました。ようやくこの日を迎える事ができました」


 甚五郎は工場内の応接室に大越を通すと、お茶を前に軽く世間話を始めた。



「しかし、これで滋賀県にも大型の製糸工場がようやく稼働する事になりましたな」

「大型など… まだ五十人繰の小さな紡績工場ですよ」

「いやいや、西川さんならばこれから大きく育てていかれるでしょう。目指せ金巾製織かなきんせいしょくですかな」

「ははは…」


 甚五郎には苦笑する事しかできなかった。

 この時操業を始めた八幡製糸株式会社は、ほとんど西川甚五郎単独での創業だった。


 前年の明治二十六年には富岡製糸場が民間に払い下げられ、また明治二十一年には大阪に金巾製織株式会社が創業されるなど、日本の製糸産業は民間資本による本格的な工業化の時期に入っていた。

 金巾製織は阿部市郎兵衛や阿部周吉、伊藤忠兵衛、西川貞二郎などの著名な近江商人の出資によって設立され、資本金は百二十万円という巨額に上った。

 生産設備も三井物産を通じて一万三千すい以上の紡績機と五十台の力織機りきしょっきを輸入した巨大な紡績工場だった。


 だが、甚五郎は自身の資本を大阪の地に投下する事を良しとしなかった。

 近江の資本はどうせなら近江の雇用を創り出すために使いたい。地場産業を創造するという理想を実現するため、あえて単独で小さな製糸会社を立ち上げた。

 生産規模では大手の製糸会社にとても対抗できない。その為、甚五郎は製品の品質向上に心を砕き、価格が高くとも需要が作り出せる製品づくりを心掛けた。


 甚五郎の努力の甲斐もあって八幡製糸株式会社の生糸は特にアメリカで評判を取り、高品質な生糸としいていち早く欧米市場へと参入した。


 また、蚊帳製織工場の業績もこの頃から生産高が大きく増加し始める。

 この年の八月に開戦した日清戦争において、蚊帳は軍需物資の一つとして帝国陸軍からの受注が入り、八幡町だけでなく長浜や福井においても蚊帳製造工場が続々と設立されていた。


 明治維新から二十年以上が経ち、堅実な経営を続けて来た西川商店にとっても次なる飛躍の時期を迎えていた。




 1895年(明治二十七年) 十一月  東京府三井組ハウス 三井銀行理事室




 三井銀行副頭取の西村虎四郎は、三井銀行理事の中上川なかみがわ彦次郎ひこじろうの執務室を訪ねていた。


「朝吹君を鐘淵かねがふち紡績ぼうせき(現カネボウ)から三井工業部の専務理事に呼び戻したそうだね」

 西村はやや億劫そうな声で中上川に話題を振った。西村はまた三井グループ内で揉め事が起こりそうな事を敏感に察して、調停をするべく水面下で動いていた。


「益田さんの差し金ですか?あの人は金融と商業の事しか頭にありませんからね…

 でも、これからの日本は工業ですよ。今の清との戦争でも、必要とされているのは工業製品です。これからは我が三井も工業を興していかなければならない時代ですよ」


 中上川は鼻で笑う。三井銀行を事実上取り仕切る中上川と、三井物産を日本有数の貿易商社に育て上げた益田孝。三井の立役者とも言うべき二人は、必ずしも仲が良くなかった。


「そりゃあ益田さんの潔癖さは買いますよ。政府との癒着は百害あって一利しかない。割に合わないんですよね。

 でも、それ以外の部分は私には理解しかねます」

「しかし、益田さんは三池炭鉱を落札するために私の所へ直談判をしに来た。工業についても話し合えばきっと…」

「益田さんは石炭の仕入れ先を確保したかっただけでしょう。ま、石炭の生産高を上げるための工業化は益田さんも理解しておられますが、あの人の頭にあるのは掘った石炭をどう売捌くかということだけだ」


 中上川はやれやれというように頭を振る。

 西村は同じく賄賂を嫌う二人でありながら、こうも違う物かとため息しか出なかった。



 中上川彦次郎は元々山陽鉄道を経営していたが、伯父の福沢諭吉の勧めで三年前に三井銀行に入社していた。

 三井物産は益田の意向もあって政府との癒着と取られる真似を一切しなかったが、三野村の公金取扱以来三井銀行は積極的に政府役人の御用銀行を勤めて来た。

 賄賂を使わない益田を馬鹿だと批判していたのは、主に三井銀行の理事たちだった。それだけ自分達に後ろめたさがあったのかもしれない。


 しかし、三井銀行でも明治二十年頃から政府役人との過度な癒着が問題となっていた。何よりも、個人的な付き合いで情実融資を実行し続けた事で、三井銀行には回収不能な不良債権が恐ろしいほどに積み上がっていた。

 その不透明な人間関係を清算し、不良債権処理を断行したのが新任の中上川だった。

 しかし、益田と中上川の意見が合致したのはそこまでで、以後は三井財閥の方向性を巡って意見が対立する。


 今後の三井は工業化を行うべしと主張した中上川は、鐘淵紡績に朝吹英二らを送り込んで経営を再建し、さらには債権回収の一環として入手した王子製紙や芝浦製作所(現東芝)についても実権を握って三井のグループ企業として建て直しを図った。


 一方の益田はあくまでも三井は金融と商業によって身を立てるべしと主張し、日本国が今後工業化していく事は積極的に肯定しつつも、三井自身が機械を動かして製品を作る事には反対だった。


 両者の意見は悉く対立したが、両者共に事業の中心に考えていたのは、良質の石炭を産出する三池炭鉱だった。



 西村はまた一つため息を吐く。


 ―――三井の為に、仲良くできんものかなぁ…


 西村には残念でしかなかった。益田も中上川もそれぞれに優秀な男だ。手を取り合って三井を盛り立てれば、今以上に三井は業績を飛躍させることができるはずだと思っていた。

 だが、お互いに頭が切れるが故にお互いの根幹の部分を認め合えない。事が感情論でない分、余計に和解できる可能性は低かった。


 ―――そもそも、分かり合えるなら私の所に直談判に来ないか


 益田がわざわざ自分の所へ直談判をしに来たのも、中上川なら拒否するかも知れないと思っての事なのだろう。


 西村は両者の仲介を諦め、「なるようになるさ」と手を上げておどけて見せた。

 中上川もそれを受けて苦笑する。

 中上川にしても、決して益田個人が嫌いなわけではなかった。ただ、根本的な考え方が違うだけだ。




 1898年(明治31年) 一月  滋賀県蒲生郡八幡町 西川商店




 西川甚五郎は二十八歳になる長男重太郎を店主室に呼び出していた。

 重太郎は、八幡銀行や八幡製糸株式会社など新規事業に飛び回る父を補佐して祖業である西川商店を事実上切り盛りしている。事業の報告などの為に店主室に呼び出される事自体は珍しい事ではない。

 だが、今日の父はどうも様子がおかしいなと感じた。


 ―――いつにもまして堅苦しい顔をしておられる…


 父の渋面を見るのは珍しくなかったが、それにしても今日の用件は思い当たる節がなかった。

 何事かと黙っていると、果たして甚五郎が重々しく口を開いた。


「実は、西川商店を重太郎に譲ろうと思う」

「はぁ…」


 重太郎には正直今更何をという感想しかなかった。既に切り盛りしているのは自分なのだから、譲られたも同然ではないか。


「つまり、家督を譲るということだ」

「家督を?それはつまり…」

「そうだ。次はお前が十二代目となってご先祖様の祖業を正式に継いでいくといい」


 これにはさすがの重太郎も言葉が出なかった。

 何より、甚五郎は未だ矍鑠として体も頭を衰えを見せない。何故この時にとい疑問が残る。


「私は次の衆議院選挙に出るつもりだ」

「それは…政治家になるということですか?」

「その通りだ。貞二郎がなってしまったからな…」


 そこまで聞いて、重太郎はようやく納得した。


 甚五郎の盟友とも言うべき西川貞二郎は、この前年に北海道視察に行った際卒中を起こして倒れていた。

 原因は酒の飲みすぎだと言われる。

 精魂を傾けたカニの缶詰事業が英国クロムウェル博覧会で二位の評価を得て、まさにこれから海外に進出するというその時だった。


 幸い一命は取り留めたが、以後貞二郎は帝国水産を含む全ての事業を売却し、故郷に戻って療養生活に入っている。

 まだ四十歳の若さだったが、これ以後二度と実業界に戻る事は無かった。


「本当は政界との付き合いは貞二郎に任せたかったのだがな…

 まあ、これもアイツの尻ぬぐいのようなものだ」

「相変わらず、貞二郎さんに振り回されますね」


 重太郎は思わず笑ってしまった。いくつになっても甚五郎は貞二郎の尻を拭いて回っているように見える。

 始末に悪いのは、それを甚五郎も不愉快に思っていない所だ。むしろ息子の目からは嬉々としてやっているように見える。

 ともあれ、父のしたいようにさせてあげたいと重太郎は一切を承知した。



 こうして、明治維新の激動期を乗り切り、近代的な西川商店の基礎固めを行った十一代目甚五郎は家督を譲り、長男の重太郎が十二代目甚五郎を名乗る。

 先代甚五郎は西川重威しげたけを名乗る事となった。


 合わせて三月に実施された第五回衆議院議員総選挙において西川重威は次点に千票近くの差を付けて当選した。

 地域の利益を代表する代議士として活動し、国会では既成政党に属していない実業派議員達の中立系組織である山下倶楽部に加入する。

 重威はあくまで地元の発展や実業界のための社会活動の一環として政治活動を行った。


 三年前の明治二十八年に日清戦争は集結し、戦後賠償金によって日本の工業化は加速していく。

 重太郎改め十二代目甚五郎の時代は日本が本格的に先進国の仲間入りを果たした時代だったが、それは取りも直さず日本が世界との戦争に進んでいった時代でもあった。


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