第17話 それぞれの道



 1589年(天正17年) 春  近江国蒲生郡八幡山下町山形屋




 天正十七年のある春の日

 三井宗兵衛が仁右衛門を訪ねていた


「よぉ!」

「宗兵衛!先触れもなしにどうした?」

「いや、ちょっと仁右衛門殿と話したいことがあってな」

「そうか。まあ、入れ。茶など進ぜよう。煎茶だがな」

「すまぬな」


 たまたま店にいたからよかったが、先触れもなしに来れば会えずに終わることもあり得た

 宗兵衛はそんな暇な身分ではないはずだが、と思いながら客間へ案内した



「三井様、お久しぶりでございます」

「やあ、ふく殿。突然にお邪魔して申し訳ない」

 茶を淹れてきたふくが、宗兵衛の身なりを見て一瞬うらやましそうな顔をしたのを仁右衛門は見逃さなかったが、あえて見ない振りをした



「ズズッ ふぅ。茶の湯も良いが、煎茶は心が和むな…」

「ふふふ。三井殿のお眼鏡に適うなら良かった」



「それで、今日は何用で来たのだ?宗六」

「甚左よ。今日は少し相談があって参ったのだ」

 他人が居る所では三井越後守と山形屋仁右衛門だが、二人で話すときは昔と変わらず宗六と甚左だった



「相談というのは湊町のことだ。角屋七郎次郎とイマイチしっくりこない。

 若造と侮った俺の最初の対応がまずかったのだが、廻船を押さえる角屋とはうまくやって行かねば蒲生様にも迷惑がかかってしまうのだ」

「前に言っていたアレか。どうしっくりいかんのだ?」

「どうも商いに関して、こちらの要求を突っぱねるところが目立ってきた。今はあまり無茶な事は言っていないはずなのだが…

 このままではいずれ対立して、別の廻船屋を俺の配下に立てさせることになってしまうかもしれん」



「わぁーっはっはっはっはっはっはっは」

 仁右衛門は笑った

 やはり宗兵衛は武士なのだと思った

 相変わらず頑固者の唐変木だ

 そこが可笑しかった


 宗兵衛がムキになる

「何が可笑しい!人が真剣に悩んでるというのに!」

「はっはっは。いや、すまんすまん。相変わらずだなと思ってな」

「?」

 宗兵衛が怪訝そうな顔をした

「何故そこまで対立する必要がある。『武士は対立すれば戦をするが、商人は利を持って繋がれる』という伝次郎さんの教えを忘れたか?」

「…?」


「その角屋とやらに湊から出すお主の酒を全て任せると言えばいい。諸国へ広める役目を負ってくれとな。

 七郎次郎殿は伊勢随一の廻船問屋になる好機だろう。それと引き換えに、酒造りの米は全て角屋に運ばせるから、市価より安く卸してくれ と言えば、お互いに利で繋がれるだろう」

「うむむ…」

「利を持って協力し合いたいと言えば、まともな商人ならば嫌も応もない。それでも感情で嫌がるようならば、どのみち角屋は商人としては二流ということだろう。

 話を聞く限り、角屋は一廉の商人なのだろう?」



「……いや、参った。さすがは甚左だ。伝次郎さんの一番弟子だけのことはある」

「ふふ。お主の頭が固すぎるのさ」




 二人はしばらく茶飲み話に花を咲かせた



「小助はどうしている?」

「今は故郷の豊郷に戻って百姓仕事の傍ら、麻布を仕立てているよ。

 さすがに元々良い物を見てきただけあって、仕立てる物も一級品だ。

 麻屋さんや最上屋さんに紹介したが、良い作り手を紹介してくれたと喜んでくれている」

「そうか。大助は残念だったな」

「ああ、女に溺れるなどもっともしてはならん事だ。宗六も気を付けろよ。珠殿がにならんようにな」

 仁右衛門は頭に二本のツノを立てる真似をした


「馬鹿を言え。自分の女房殿にすらかまってやれんのに、そんな暇があるか」

「ははっ。商売繁盛で何よりだな」




 話題も尽きた頃、宗兵衛が改まって話をし出した



「甚左。実は今日来たのはもう一つ相談があるのだ」

「ん?急に改まってどうした?」

「俺と共に松坂へ来てくれんか?共に少将様の天下を支える力となってほしい」



「…何故 …急に …そんな事を…」

「急ではない。ずっと考えていたことだ。お主の商人としての器は俺が一番良く知っている。さっきの事もそうだ。

 俺などよりもよほどに商人司に相応しい器量だと改めて思った。


 俺は少将様が天下の宰相に相応しい器だと信じている。それと同じくらい、お主の器量を信じている。

 お主が望むなら、俺は商人司の地位をお主に譲るよう少将様に申し上げてもいい。

 どうか俺と一緒に少将様の天下を支えてくれんか。


 この通りだ」



 宗兵衛が頭を下げた

 気まずい沈黙が間を支配する


 蒲生家の、天下の商人司となれば、ふくや家族にも今より良い暮らしをさせてやれるかもしれん…









「…頭を上げてくれ」

「では!」





「…勘違いするな。俺はあくまで、八幡町を楽市にしたい。伝次郎さんの夢と想いを受け継いでいきたいのだ」

「少将様の天下ならば、それも容易に実現できるだろう。少将様は信長公とは違う。諸国を、民を豊かにすることこそ商人の本懐だと理解して下さっている」

「それとこれとは話が別だ。おれは武士の元での楽市では、本当の意味での楽市にはならんと思っている。

 武士の元では、武士の都合で容易に楽市が取り消される。石寺新市が良い例だ。

 商人の手による、民の為の楽市こそ、本物の楽市だ。


 …武士は敬して遠ざけるくらいでちょうどいいのさ」


 石寺新市は観音寺城の落城によって、その市場機能を失っていた

 仁右衛門にはそのことが心の澱として燻っていた



「……そうか。甚左の心は変わらんか」

「ああ、俺はこの町にこだわりたい。中納言様が居られても居られなくても、この八幡町を日ノ本一の楽市にしたいと思っている」

「そうか、残念だ…」


「なに、落ち込むことはない。これは俺とお主の生き方の問題だ。

 お主は蒲生様の天下を実現することで、民の暮らしを豊かにしたいと願った。

 俺は商人の手による楽市を実現することで、民の暮らしを豊かにしたいと願った。


 どちらが良い、悪いではないと思う。目的は一緒なのだ」

「……そうだな。いや、済まなかった。この話は二度としない」


「…そこまで俺を買ってくれたことには礼を言う。ありがとう」



 二人は二刻(4時間)ほど話し込んでいたが、やがて宗兵衛は少し晴れやかな顔で八幡町を後にした




 1589年(天正17年) 冬  京 聚楽第




「おのれ北条…余をコケにするか…」

 ビキビキと音を立てそうな勢いで秀吉が青筋を浮かべた

 上州真田領の名胡桃城が北条勢の侵攻を受け、落城したと真田昌幸が報せに来ていた


「先年の関白様の惣無事令を無視し、名門の名に驕った北条の増上慢にございましょう」

 真田昌幸は事も無げに言い放つ

 すでにこの事あるを予見していた


「その思い上がり許せん!北条へ詰問状を送れ!」

「ハッ!」

 秀吉の寵臣 石田三成が一礼すると、祐筆に文面を指示するために退席する


「おそらく北条はのらりくらりとかわしてくるでしょう。いかが為されますか?」

 昌幸はあえて秀吉に問うた

「知れた事よ!余の命に従えぬとあれば滅ぼしてくれるわ!!」

 秀吉がひと際大きく吠えると昌幸は頭を下げた

(狙い通りだな…これでうっとうしい北条も終いだ)

 北条家に間者を送り、内部から暴発を誘った昌幸の狙い通りだった


 世に名高い智将 真田昌幸


 表裏比興の食わせ者の真骨頂だった




 1590年(天正18年) 正月  伊勢国飯高郡松坂城




「小田原を攻めることとなった。また支度を頼むぞ」

「ハッ!」


 松坂城にて氏郷は宗兵衛と小田原征伐へと向かうに当たり、軍事物資の手配を打ち合わせていた


「此度の出陣に当たって、討死を覚悟され肖像を描かされたと聞きましたが…

 それほど容易ならぬ戦になるのでございますか?」

 宗兵衛は心配だった

 今まで数々の戦をこなしてきた氏郷だったが、かつてそのような事をしたことは一度もなかったからだ


「いや、あくまで俺の覚悟を示しただけだ。北条は時勢を見誤っている。今更北条家に勝ち目はあるまい」

「しかし、ならば何故肖像など…」

「そのような戦なればこそ、武功を求めて最前線に赴こうと思う。その覚悟を示したまでだ」

「少将様…」

「はっはっは。なに、その気概を天下に示したまでよ。本当に討死覚悟で往くわけではない。

 だが、討死を恐れて尻込みする気もないということだ」



 剛勇を持って鳴る蒲生氏郷にとって、残り少ない戦は自身が天下を掴む機会が減るという事でもあった

 未だ天下への野望を捨てていない氏郷は、今度の戦で一番の戦功をあげ、天下の動向を左右できるほどの地位に上り詰めることを狙っていた


 それは、結果的に裏目に出ることになる…




 1590年(天正18年) 冬  近江国蒲生郡八幡山下町




「ふぅ、商売どころではないな」


 西川仁右衛門は笑いながらも声は疲れを隠せなかった

 小田原征伐の出陣に際し、秀吉は総勢二十万の大軍を催していた

 近江を通る軍勢だけでも十万に上る

 過去このような大軍の通過を見送った経験は仁右衛門にはなかった


 軍勢通過と物資搬送のため、八幡堀も平時とは違い、軍事物資を大量に送り出していた

 船の差配をしている仁右衛門も、まさに商売どころではなかった


(しかし、これで関東への販路を開拓するきっかけになるかもしれない)

 商魂逞しい仁右衛門は、すでに戦後の販路開拓の段取りを考え始めていた

 当初息子と新八一家だけで始めた山形屋も、今では丁稚・手代含めて十名の大店となっていた




 八幡商人に限らず、江戸期を通じて商家は丁稚を雇い入れ、手代・番頭と出世競争をさせ、店主がこれはと認めた者は別家べっけを立てることを許された

 これこそ、商人を志す者を教え・導き・育てる仕組みであった

 別家はいわゆるのれん分けであり、分家とは明らかに異なった


 分家は店主の血筋であれば例えボンクラでもなることが出来るが、別家は血筋に関係なく店主がその商才と器量を認めた者にしか許されなかった

 八幡商人の別家は、時に当主家の後継問題にまで口出しする権利を与えられ、別家筋の者の過半が賛成しない限りは、店主の長男であろうと店を継ぐことはできなかった


 商家の相続が必ずしも長男に限られていなかった原因はここにあり、また、現当主が遊興に耽り、家業を疎かにすれば『押し込め隠居』によって引退させられ、相応しい器量を持つ子弟あるいは養子を迎えた

 別家は、今でいう取締役会や株主総会のような機能を有していた



 例え店主の長男であろうと、本家を継ぐに相応しい器量を示すことができなければ、分家の子倅として実権のない閑職に追いやられるのだった





「ここは皆で気張りましょう」

「「「はい!」」」

 新八が丁稚・手代に発破をかける

 今や新八は山形屋の大番頭として、仁右衛門の商いを陰に日に支えていた



 この戦を最後に、戦国乱世は終わる

 商いでの天下を争う時代が来る


 八幡町の全員がそう信じていた…


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