第32話 三井高利(2)



 1649年(慶安2年) 春  武蔵国豊島郡江戸本町




 重俊から釘抜越後屋の未来を託された高利は、若年ながら越後屋の抱える経営課題に次々と立ち向かっていった

 まず何よりも問題だったのは、蔵にうずたかく積み上げられた在庫の山だった

「まずは蔵の中の物を売捌かねばならん。多少値を下げてでも売る方策はないものか…」


 越後屋の全従業員を集めて、高利は意見を募った

 その中で飯炊き下男の庄兵衛がおずおずと献策した

「今飢饉の影響でご公儀から贅沢品の禁止令が出ています。これは見た目が派手であるから問題になるのであって、見た目には地味でもその拵えや素材にこだわったものならば売れるのではありませんか?」


「それは私も考え、実行している。しかし、なかなかに成果は上がらぬ。

 どうしても見た目の派手さに勝るものがないのだ」



 寛永大飢饉の影響で江戸には贅沢品を禁止する幕府令が出されていたが、実際の江戸での購買力はあまり衰えていない

 つまり、地方が飢饉で困っている時でも江戸の大身武家や大店の旦那の懐にはまだまだ金があったということになる


 彼らは贅沢品を買う金がないのではなく、幕府の禁令によって買えなくなったというだけだ

 禁令によって買えないのならば、禁令にかからないようにして買えるようにしてやれば良い



 彼らが落とした金は米や雑穀に変わり、伊勢に送って飢民のための食料になる

 使い道がなく、さりとて施しをするつもりもない者達に金を持たせておくよりもよほど有意義だと高利は思っていた

 殊法や重俊の飢民への施しを支えたのは、ひとえに高利が江戸から送り続けた物資であり金だった



「それでしたら、例えば半襟や帯・裏地などに凝るとか、豪華な布地を使った財布や巾着・手提げなどを売り出してはいかがでしょう?」

「なるほど!それは良いかもしれんな!」

 高利は膝を打った


「それに、婚礼衣装などにはいかに禁令があろうとも、金を掛けてやりたいというのは親心です。

 婚礼衣装そのものは禁令によって難しいとしても、それを満たしてやる紙入れや懐剣袋・抱帯や掛下帯などに使えば、喜ぶ方も多いのではないでしょうか?」


 高利は感嘆の声をあげた

 親心というのは若い高利には今一つピンと来ないものだが、言われてみれば世相がどうあれ、金があるなら金を掛けてやりたいと思うのが親心だろう


 庄兵衛の献策を受けて今まで一反単位での呉服で売っていたものを、小間物に仕立てて手代たちに得意先を回らせた

 反響は予想以上で、今まで金はあるのに使い道がなかった者達や、禁令があっても娘には良い物を持たせて嫁入りさせてやりたいと思っていた奥方達から絶大な支持を受けた



 高利は店の手代だけでなく、丁稚やさらには飯炊きの下男や下女からも積極的に意見を募った

 これこそ、重俊が認めた高利の器量だった


 後年『人の三井』と言われるほど越後屋では奉公人の意見を採用して、次々と降りかかる難局に対し合理的な経営手法で商売を保つことになる

 その元祖は紛れもなく高利の思想だった


 重俊は、いわば優秀なリーダーで、自分自身が率先垂範をすることで手代や丁稚といった部下の奮起を促した

 それに対し、高利は経営者つまりはマネージメント能力に長け、部下の意見を最大限に用い、有用であると認めた者は身分にかかわらず経営の中枢に携わらせた

 実際に、飯炊きの下男であった庄兵衛は、この献策を機に三階級特進となる手代に大抜擢した

 それも、売捌きの手代ではなく高利の相談役として、いわば経営陣の一人に取り立てられたのだ


 周囲はそれなりにざわついたが、庄兵衛の献策によって経営危機にあった越後屋の売上が飛躍的に伸びたことは事実であるし、庄兵衛への扱いを見ればその身分に関わらず努力がちゃんと評価される職場であると認識され、なお一層の奮起を促す結果となった


『努力と能力が正当に評価される』


 現代であっても容易に実現されない事ではあるが、高利はそれを四百年も前に実行した

 越後屋が江戸時代を代表する商家となったのはある意味当然だった





「何故だ…これだけ捌いても蔵の中が一向に減って行かない…」

 高利は庄兵衛に愚痴を言った


 理由は聞くまでもなく高利にも判っていた

 いくら捌いても俊次が次々と京から送り付けてくるからだ

 しかも、それが売れていようと売れていまいと、仕入れ代金だけはきっちりと江戸からむしり取っていく


「六郎兄はよくも我慢したものだな」

 乾いた笑いを向けられた庄兵衛や、同じく経営陣に取り立てた松野徳右衛門・南部理右衛門もなんと返していいかわからずに困った顔をした



 高利は長兄俊次の器量をまったく評価していなかった

 世が飢饉から立ち直るために一丸となっているのに、変わらずに高級品ばかりを送り付け、しかも京では名士ぶって能舞台の主催や公家衆との付き合いまで行い、馬鹿にならない金を掛けて朝廷から官位を賜るという

 最早空いた口がふさがらなかった


「寒さに震える百姓に木綿の袷の一枚でも着せてやりたいとは思わないのか!」

 報せを受けた高利は憤慨して周囲にそう漏らしたことがある

 高利は決して裕福とは言えない農民が、越後屋で正月の晴れ着にと木綿の小袖を仕立てて、それを店先で早速に着て喜ぶ子供の顔が忘れられなかった


(呉服屋とは、本来ああいった人たちに良い服を求めてもらう商売なのだ)

 その理想を踏みにじる俊次に徐々に反感を募らせていた


(いっそ三郎兄から独立してやろうか)

 そういう思いは何度も高利の胸をかすめたが、そのたびに重俊から言われた言葉が高利を押し止めた




『兄上を疑ってはならん。三井家を割ってはならん』

 


肩に置かれた手の感覚まではっきりと覚えている

 ―――兄さん… これでもまだ、三郎兄に逆らってはならぬのですか…




 そんな高利に伊勢から突然の報せが飛び込んだ

「番頭さん!大変です!伊勢の六郎右衛門様が…」

 理右衛門が慌てて高利に文を渡す

 受け取った高利は次第にわなわなと震え、文を強く握りしめながら涙が零れ落ちた


「六郎兄様が… 亡くなった…」

「すぐに伊勢へお戻りください。御留守の間は我らにお任せくだされ」

「すまぬ!すぐに戻る!しばらくの間頼むぞ!」




 1649年(慶安2年) 春  伊勢国飯高郡松坂 越後屋




「六郎兄さん―――」

 涙に濡れた高利は、既に葬儀を済まされ位牌となった重俊に手を合わせた

 享年三十六歳 若すぎる死だった


 俊次も京から戻り、越後屋の兄弟は久方ぶりに三人が揃った

 一人は物言わぬ位牌となり果ててだったが…



「さて、八郎兵衛。六郎が亡くなったことで母上の世話をする者が居なくなってしまった。

 ついては、お前が伊勢に戻り、母上の世話と本家越後屋を頼みたい。了承してくれるな?」

 高利は俊次の一方的な物言いに腹が立ったが、ここでも重俊の言葉が彼を押し止めた


「………はい。それについてですが、私の後の釘抜越後屋は庄兵衛を番頭に据えて頂きたいと思います」

「わかった。後の事は心配するな。万事私が良く采配しよう」

(三郎兄が采配すれば、五年と保たずに越後屋は破産してしまうわ)

 内心の苛立ちを隠し、高利は庄兵衛や徳右衛門・理右衛門に文を書き、後事を託した


 ―――彼らならなんとか保たしてくれるはずだ












「八郎、済まないねぇ。お前には辛い思いをさせたんじゃないかい?」

 母の殊法は江戸から伊勢へ物資や金を送り続けたことに感謝した

 殊法は伊勢にありながら、高利と俊次の関係を正確に理解していた


「母上、私は人々の為に役立つ商いをしなければならないというお祖父様の志を実践しただけですよ。母上も常々口にされていたではありませんか」

「それはそうだけど、まだまだ江戸でやりたいことがあったんじゃないのかい?」

 ―――母は大分気弱になっている

 もうすでに六十を目前にしている。無理もないか


「ご心配には及びません。江戸でも伊勢でも民に役立つことはできます。私は私ですよ」

 そう言いながら、高利の胸には再び江戸へ出る心がメラメラと燃え続けていた

 ただ、今は本家越後屋の商いを再び興さねばならない





 高利は伊勢に戻ると、母の世話で嫁をもらった

 伊勢で名の知られた商人である中川清右衛門の長女だった


 高利二十八歳

 かねは十四歳だった


 守るべき家庭が出来たことで、高利は伊勢での商いに益々精を出した

 彼は祖業であった酒造と味噌醸造を止め、質蔵の商いに特化し、殊法以上に農民の暮らしに密着した

 殊法はあくまで暮らしの中で農民の役に立つべく、低利と良心的な商いを心掛けた

 高利はそれを一歩進め、農民の暮らしに積極的に介入し、本業である農業経営を改善するために金を貸し付けた


 寛永大飢饉の影響で、農村では従来の自然災害に対する備えを一層強化しようという考えが芽生えつつあった

 領主のお救いによる備蓄の大切さも身に染みた

 逆に言えば、この頃の農村はそのような備えも怠る程自然に対する畏敬と諦観があった

 高利はまず農民の意識改革から始めた


「飢饉の悲劇を繰り返さぬ為には、領主様によるお救いを期待するのみではいけません。

 村で独自に備蓄をし、また多少の雨や天災にも対応できるよう、自分たちでできる治水工事は自分たちでやりませんか?

 必要な金子は私が用立てます」


「しかし、越後屋さんに借りれば利息が付きます。それでは我らは返済に苦しむことになりませんか?」


「利息を返済してなお余る程の取れ高を作るようにはできませんか?

 私は農業は素人です。何をどうすれば米の取れ高が良くなるのかはあなた方の方がよく知っているはず。

 知恵はあなた方にこそひねり出してもらわねばなりません。


 しかし、その方法が良い物であれば、実行するに必要な金子は私が用立てる と申しているのです

 私は金貸しですが、あなた方の暮らしを脅かしたいと思っているわけではなく、より良い暮らしを営むお手伝いをしたいと思っています。


 しかしながら、私も商人です。利がなければ私自身が食えぬことになる。

 そうなれば、今後必要になる金子を用立てることが叶わなくなります。

 お互いに利を得られるようにお互いに知恵を出し合っていきましょう」



「それなら、村内の川の浚渫しゅんせつ(川底に溜まった土砂の撤去)とため池を作れば、多少の日照りや大雨で稲が枯れることは防げるはずだべ」

「入会山を開いて田んぼにすれば、耕作地も広がる。米の作付けが多くなれば取れ高も上がるはずじゃ」

「そういうことなら、俺たちでも出来るんでねえか?庄屋さんよ」

 村の若い衆が会合で積極的に発言する


 庄屋もこのままでいるよりは、工夫して生き延びる方策を立てていく方がよいとは思っていた

「では、まずはこちらで改善案を纏めます。越後屋さんにはその案をお話し、必要な金子を相談に伺います」

「楽しみにお待ちしていますよ」

 高利は農村自身の努力によって飢饉を回避できるならこれに勝る喜びはないと思っていた



 こうして、殊法以来続いた質蔵は、生活資金から農業経営の経営資金を貸し出す金融業者として高利によって改革されていった

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