七代 利助の章

第59話 ロシア接近の報


 


 1774年(安永3年) 秋  京 越後屋大元方会所




「嘉右衛門。お前本気で言っておるのか?」

「本気にございます」

 当代八郎右衛門の三井高祐は、驚いて両替店一巻の最高責任者である嘉右衛門を見た

 越後屋の最高意思決定機関である大元方の寄合の席上の事だった


「越後屋の事業を分け、呉服業、金融業、松坂本店の三つに分割し、それぞれ独自に事業を行って参ります」

 並み居る重役たちも一様に覚悟を決めた顔で高祐を見つめる

 天下第一の豪商、三井越後屋を揺るがした『安永の持ち分け』と呼ばれる大事件だ

 現代でも見かける、取締役会による創業一家の経営権の剥奪という企業内クーデターのような状況だった


「貴様ら!越後屋を率いてきたのは我が三井家だ!それをわたくしし、我が物にしようという魂胆か!」

「いいえ!私は今でも三井家に忠誠を誓っております。ご先代様より被った数々のご恩は一日たりとて忘れたことはございませぬ」

「ならば何故だ」

「全ては、三井家の御為にございます

 今や越後屋は倒産の危機に瀕していると言って過言ではございません。かかる時にあって三井十一家の方々はなおも浪費を続け、放蕩をやめようとはなされませぬ

 これ以上見過ごせば、大恩ある三井家と共に越後屋が亡びるは必定。我ら各事業が分離し、それぞれ独自に事業を行って行けば少なくとも『越後屋』が生き残る可能性は大きくなりましょう」



 宝暦期に最高益を更新して以降、越後屋は苦しい経営を続けていた

 度重なる幕府御用金の捻出のため、正常に利益を出している事業からもカネを抜き取っていたのだから無理もなかった

 伊勢松坂領主の紀州徳川家への貸金はすでに累積で三十六万両という巨額に上っており、もはや返って来ると考える方が愚かだった


「越後屋の経営を立て直した暁には、改めて経営権をお返し申し上げます。どうか我らを信じ、事業を分割してくだされ」

 嘉右衛門以下重役たちが深々と頭を下げる


 彼らの気持ちは高祐にもよく分かった。分かり過ぎると言ってもいい

 誰よりも高祐自身が、身内である三井同苗の放蕩に怒りを覚え、今の状況に危機感を募らせていた



 長い沈黙の後、ついに高祐が折れた


「…………わかった。大元方の事業は凍結とする」

「ありがとうございまする」



 これを機に、越後屋は今までの不良資産である大名貸しを貸し倒れとして処理し、帳簿上の資産を一気に縮小し、業務の健全化を図った

 経営の建て直しは不良資産の償却による資産の正常化から行うという、現代の企業再建の定石セオリーそのままだった




 1775年(安永4年) 蝦夷国松前城




「ご家老様。あまりに話が違いまするぞ」

「飛騨屋殿、これは何かの手違いでござる。次は我が藩の藩士も同行させますので、どうか怒りをお収め下され」


 材木商の飛騨屋久兵衛が松前藩家老の蠣崎高秀に詰め寄っている

 もはやどちらが武士でどちらが町人かわからない状況だったが、それだけ松前藩の飛騨屋への財政依存は度を超していた


「そもそも、我が家からの御用金の返済の代わりとして受け取った場所でございますのに、現地のアイヌが一つも言う事を聞かなければ交易どころではありませんぞ

 我らとて遊びでやっておるわけではないのです。利益を生まぬ場所経営などは御免被りたい」

「ごもっともにござる。現地のアイヌには我らがよくよく言い聞かせます故、何卒…」

 高秀は冷や汗をかきながら頭を下げる



 三年前の安永三年には飛騨屋の松前藩への貸金は八千両を超え、松前藩の財政規模では返済することは到底不可能だった

 ここに至り、松前藩は藩主直轄場所であるエトモ・アッケシ・キイタッフ・クナシリの各場所を飛騨屋に請け負わせる

 運上金年額二百七十両を二十か年分、合わせて五千四百両を前納にて受け取ったということにして、借金の返済に充てていた

 蝦夷の支配者として認められたはずの松前家は、すでに借金のカタに商人に領地を巻き上げられるほどに疲弊していた



 しかし、蝦夷奥地のアイヌ達はシャクシャインの戦いにも参加はしておらず、松前に対して全面的に服従という体裁は取っていない

 そんな中に飛騨屋の交易船が押入って無理矢理に不利な交易を押し付けたので、飛騨屋はアイヌ達から大きな反発を受けた


 ビジネスである以上飛騨屋も請負場所から無理やりにでも利益を絞り出さねばならない

 まして初期投資は五千四百両の巨額に上るので、必然場所から収益を上げる方法も苛烈を極めた

 結果的に、これが蝦夷地に再度の嵐を吹き荒らさせる直接の原因になった




 1778年(安永7年) 春  江戸山形屋日本橋店




 山形屋七代目を継いだ利助は、江戸日本橋店の経営を建て直しにかかっていた

「弓の営業に合わせて畳表をしっかりと売り込んで来い!蚊帳売りに出る手代にも畳表を意識した商いをさせよ

 畳表にて売上額をけん引するぞ!」

 日本橋店内で帳場に座り、当主自らが先頭に立って指揮を取っている


 京橋店は毎年順調に売上額を伸ばし、安永年間には京橋店単独で二百貫を超えたが、日本橋店は宝暦年間に一時四百貫を記録してからは三百貫代をうろうろしていた

 店の規模を考えれば、日本橋店にはまだまだ伸びる余地があると利助は睨んでいた



「旦那様。江戸で優良な運用先を数軒見つけて参りました」

「おう。ご苦労。奥で話を聞こう」

 番頭の利右衛門が書きつけた資料を持って帳場に入って来る

 利助と利右衛門は奥の店員宿舎の六畳間に引っ込んだ

 当主といえども江戸に来れば店員宿舎に寝起きし、奉公人たちと共に生活をした

 利助のそういった態度は奉公人にも好感を持って受け入れられ、徐々に利助に感化されて日本橋店の業績は上向き始めていた



「しかし、真に大家業を本格化されるのですか?」

「ああ、除け銀を残してはいるが、いつ急な出費があるかもしれん

 現金で置いておくだけでは芸がないので、貸地や貸家としての運用を拡大していく」


 利助は事業の多角化の一環として不動産運用を積極化していた

 江戸や大坂の大商人のほとんどは不動産運用によって多額の事業利益を上げている

 だが、利助の目的はあくまで資産価値の保全であり、運用で儲けようという考えは無かった

 そのため、大きな利ザヤを取ろうとはせず、安定的な運用が出来る物だけを選んで収益金を確保して積み立て、出費に備える自家保険として運用した




 1778年(安永7年) 夏  蝦夷地ノカマッフ(現根室市)




 松前藩士新井田大八は見慣れない奇妙な紅毛人と番小屋で対面していた

 湊覚之進の報告にあった、『赤蝦夷』ロシア人のシャバーリン一行だった


「まず、その方らに問いたい。何故彼らは鉄砲を撃ち放ちながらノカマッフの浜にやって来たのだ?」

 通訳兼水先案内人として付いてきたクナシリアイヌの酋長ツキノエに大八が尋ねる

 驚いたことに、シャバーリン一行は船から鉄砲を乱射しながらノカマッフに上陸し、辺りは一時騒然となった


「実は、ここ数年来彼ら赤蝦夷ロシア人と我らクナシリアイヌは争っておりまして」

 悪びれもせずにツキノエが答える

「それでこの度も突然襲い掛かられるのではないかと警戒して、鉄砲で威嚇しながら近づいたとのことです」

「ほう。しかし、今その方はそのロシア人をここまで案内して来ておる。争っていたのに何故だ?」

「三年前に彼らの船が難破して帰れなくなり、キイタッフに小屋を建てて滞在しておりました

 彼らはそれまでは我らを見かければ攻撃してきおったのですが、滞在するようになるとタバコや酒、食糧を交換するようになりました

 そして、彼らとも打ち解けたという訳でして…」


 何とも呆れた物だと大八は思った

 ―――数年前まで殺し合いをしておった相手と、こうもあっさり和解できるものなのか?


 ともあれ、シャバーリンら一行の訪問の目的を聞かなければならない


「して、さばりんとか申すそのロシア人達がノカマッフまで来た理由はわかるか?」

「お待ちください」

 そう言うと、ツキノエはシャバーリンとなにやら異国語で話し始める

 聞き慣れない言葉に大八も困惑するばかりだった


 ツキノエと話し終え得ると、シャバーリンがこちらを向いてニコリと笑う

 青い目など見たことが無かった大八は物語の中から出てきた鬼のたぐいかと空恐ろしくなった



「こちらの日本産物と交易をしたいと。商品も少々持ってきているので、交易の許可を頂きたいと申しております」

「む。しかし、ご公儀のキリシタン禁令はまだ生きておる。某の一存では何とも…」


 再びツキノエとシャバーリンが会話する

 大八はもどかしい思いをしながら二人の会話が収まるのを待った


「では、誰と話せば許可がもらえるのか」

「上役に相談して参る故、来年の夏に改めてエトロフ島で回答いたす」

「承知した。これはその上役への贈り物と書簡だから、届けて欲しい」


 通訳を介しながら、シャバーリンと大八は来年夏にエトロフ島での再会談の約束をした

 シャバーリンは松前藩主への贈り物として、オランダラシャ、ビロード、シュスといった衣服と油や砂糖、ひきわり麦などを献上した



 翌年、約束通りエトロフ島へやって来たシャバーリンだが、日本側の使節が風待ちで遅れており、待ちきれずにアッケシのツクシコイにまで渡来していた




 1779年(安永8年) 秋  蝦夷国アッケシ




 再度日本とロシアの使節会談が行われた

 ロシア側の代表はシャバーリン、日本側は松前藩士浅利幸兵衛、松井茂兵衛だった


「この度の来航、真にご苦労に存ずる

 折角の申し出なれど、わが国では異国との交易は長崎一カ所に限られており、国法を破るわけにはいかぬ

 頂いた贈り物はお返しする故、以後決して渡来される事のないように」


 通訳からその話を聞くとシャバーリンは分かりやすいくらいに落胆した

 大八との交渉で、この次は『完全な合意をもって交易を実現する』交渉が出来ると意気込んで来たのだったから無理もなかった


「では、その国法を定めた方と交渉はできませんか?」

「それは難しい。お上は軽々にこちらへは来られぬ。それにここは我ら松前藩がアイヌとの交易を行う場として拝領しておる。申し訳ないが…」

「そうですか…」

「その代わりと言ってはなんだが、遠路の労に報いるため米十五俵と酒、煙草を持参いたした

 持ち帰られるが良かろう」


 シャバーリンは返礼として砂糖を交換すると、交易の成果を得る事無く肩を落として帰還した


 ロシアは吉宗在位中の元文四年にもベーリング探検隊が房総半島に接近しており、早くから日本の存在を認識していた

 しかし、松前はこの件も幕府に報告はしなかった

 幕府はオランダを通じてロシアが蝦夷に接近していることを知ってはいたが、まだまともに対応する様子は無かった



 しかしながら、この頃から越後屋の文書にも諸外国の接近の情報が記載され始める

 越後屋は全国に販売網を持っている関係から、商人の中では最も耳が早かった

 徳川政権が始まってから百八十年が経ち、徐々に海の外の動きが日本国内にも知られ始めてきた

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る