第52話 英断


 


 1728年(享保13年) 春  蝦夷国タカシマ場所




『住吉屋』三代目西川傳右衛門昌奉は、運上請負しているタカシマ場所の浜に降り立った

 すでに今年のニシン漁は盛りを迎えていて、浜にはソーラン節を唄いながら息を合わせて網を引くアイヌとヤン衆の声がこだましていた



「ヤーセイ ヤサホイ  ソーラン ソーラン…」

 思わず傳右衛門も口ずさんでしまう


 隣で手代の与次郎が笑った

「すっかり覚えてしまわれましたか」

「ああ、ソーラン節はどうも耳に残ってな」

「それは良かった。あれはニシンの豊漁を言祝ぐ唄ですからな

 ヤン衆から教わって皆もすっかり馴染んでしまいました」


 子供だった与次郎も六十を超え、すっかり頭も白くなり、場所経営の実務は息子に任せていた



「思えばアイヌ同士で争っていたあの頃が今は嘘のようです…

 御父上の初代様に拾われて以降、住吉屋で働かせていただけて幸せな人生でございました」


「ははっ。父が聞いたら喜ぶだろう

 蝦夷の発展に人生の全てを賭けた御仁だったからな…」



 初代傳右衛門昌隆は宝永六年に既に亡くなっており、兄の二代目傳右衛門昌興は元禄十五年に病に倒れていた

 今の三代目傳右衛門昌奉は二代昌興の弟だった



「今年のニシンの出来はどうだ?」

「それはもう、豊漁でございますよ

 水揚げしたそばから身欠きニシンとニシン粕に加工していっておりますし、カズノコも干しあがって品出し出来るようになっております」

 ニコニコと与次郎が答える


 ―――来年も再来年も、豊漁が続けばよいな




 傳右衛門が青い空を見上げている頃、遥か北ではロシアの探検隊がベーリング海峡を通過し、アラスカ半島への進路を開いていた

 またこの頃ロシアのラッコ猟師がカムチャッカ半島東岸まで進出し、千島列島の奥アイヌ諸族との接触が目前に迫る状況になっていた


 平和な空とは裏腹に、蝦夷地には新たな嵐が近づきつつあった




 1731年(享保16年) 秋  大坂今橋町 鴻池屋




「御買米か…」

『鴻池屋』五代目鴻池善右衛門宗益は親戚の鴻池新十郎、鴻池善兵衛と共に茶を飲んでいた


「ご公儀から大坂町人で都合六十万石の米を買い上げよとのお達しです

 このところ豊作続きで米価は極端に安く、諸色はますます高くなっておりますからな…」


「まあ、分限者として応じぬわけにはいかぬでしょうな」



 徳川吉宗の享保の改革は当初の成果を中々果たせず、米価の下落によって武士の困窮はますます顕著となっていた

 昨年の享保十五年には諸大名に米を買って備蓄するよう触れを回し、この年には大坂の富裕商に米の買上を命じていた

 米価を引き上げて武士の現金収入を増やすのが目的だった



「米にこだわるよりも、綿花や絹、タバコなどの作物を奨励されれば良いように思いますが…」


「どうもお上は米作の事しか考えておられぬようだが、ほとんどの百姓は今や米作りだけを行っているわけではありませんからな…

 一度江戸のお箱(目安箱)にその旨投じられてはいかがですか?」


「お代官様には何度も申し上げていますよ

 お代官様もそれは分かっておられるが、上様がどうしても米にこだわっておられるとか…

 まあ、太閤様以来米作りは国家の一大事であることは確かですが」


「あまり御買米が続くと我らも苦しくなります…

 なんとか上様には早く考えを改めていただきたいものですな…」



 幕府は『米価安の諸色高』を是正するべく様々な米価調整策を打ち出すが、そのほとんどは効果を上げる事は出来なかった

 陽明学者の熊沢蕃山が看破したように、すでに貨幣経済は米経済を完全に駆逐し、武士の経済的復権は米によらない方策が必要なのは明らかとなっていた




 1733年(享保18年) 春  近江国八幡町 総年寄会所




 山形屋五代目 西川利助は総年寄から呼ばれて他の商家の扇屋・大文字屋の本家と共に会所へ出向いていた


「実は昨年からの飢饉で八幡町も難儀している百姓が大勢居りまする

 ご領主朽木様からは米二十俵の『お救い米』が下されましたが、とてものこと足りる物ではありません

 ご相談というのは、富商の皆さまに貧民の救済にご協力いただけないかということでして…」


 総年寄の福原次郎兵衛が申し訳なさそうに話し出す



「何を水臭い事をおっしゃる!

 非常の折りは全員で助け合うのが八幡町の習わしではありませんか!」


 扇屋伴伝兵衛が怒ったような口調で欣然と申し出る

 扇屋の本家伴荘右衛門家はこの頃京に本拠を移しており、八幡町の扇屋の代表は伴伝兵衛家が務めていた



「は、しかし… 十年前にも皆さまには米百俵をご負担いただきましたし…

 それに新規商人達も蚊帳株仲間の新組として公認されたばかりで、皆さまには大層お腹立ちかと思いまして…」



 この前年に蚊帳株仲間に加入できない新規商人22軒が訴えを起こし、今までの株仲間を古組、新たな問屋達を新組として株仲間に加入させるよう総年寄を通じて朽木家から沙汰があった

 ただし、組織の運営は古組の指示に従う事が条件とされた


 とはいえ、古組仲間にとっては今までの権益を奪われる部分も多く、古参の商人には多難な時期だった

 しかし、それとこれとは話が別だ



「それとこれとは話が別でござる。我らが商いの利を得るのはいざという時に人々を救う為でございます

 ご遠慮など為されるな。江戸のように打ちこわしなど起きてはそれこそ商いに障りがあります」

 大文字屋の西川利右衛門も強い口調で話す

『先義後利』の家訓は代々伝統として受け継いでいた



 利助もにこやかに口を開いた

「我らは商いでは競争相手ですが、商いを離れれば同じ八幡町の住民でございます

 ここはひとつ、共存共栄の精神で参りましょう」



「皆様… ありがとうございます」

 福原次郎兵衛は深々と頭を下げた



 この前年西日本をウンカの大群が襲い、享保の大飢饉と呼ばれる大凶作が発生していた

 それまでに幕府が実施した米価引き上げ策は悪い方に効果的に作用し、米価が一気に高騰して庶民の暮らしを直撃した

 江戸ではこの享保十八年正月に米価高騰に伴って江戸時代初めての打ちこわしが発生しており、吉宗の政治は失政の様相を明らかにしてきていた


 経済の拡大を伴わない緊縮財政と質素倹約は、国民の豊かな暮らしに資するところはないことを日本人は学んだ



 八幡町では富裕商達から米百二十九俵と銭二十五貫が供出され、生活困難者に配られた

 富は蓄えられてこそ危急の折りには分配できるということも、この時に改めて認識された




 1735年(享保20年) 秋  江戸城本丸




「大岡越前守様がお見えになりました!」

「通せ!」

「ハッ!」


 大岡忠相は吉宗の前に伺候した


「上様にはご機嫌麗しゅう…」

「もうよい。言いたいことがあって参ったのだろう。早く申せ」


「はっ では、畏れながら

 改鋳の件につきまして…」

「わかった」


「……は?」

「わかったと申しておる。その方の申す通りに致せ」


「あの…よろしいので?」


「ああ、余にもようやくわかった

 物価が安定せぬのはカネが世の中に足りぬからだということがな

 だからこそ米価も豊作や凶作で簡単に暴騰し、暴落する

 その方の以前申したように、萩原の目は遥か遠くを見据えておったようだ…


 問題があると分かれば、直ちに改めねばならん

 その方と勘定奉行の細田を責任者として任じる故、天下のカネ不足をなんとかせい」


「ハハ!」


 大岡忠相は吉宗の旧を改める潔さに頼もしさを覚えた

 この一点において、つまり事の理非を見極め、理があると分かれば今まで否定してきた政策であろうともためらわずに実行する決断力において、徳川吉宗は非凡な為政者だった



 吉宗の英断はそれまでの失政を根こそぎひっくり返して全てを肯定させるほどの効果を持った

 この翌年実施されたのはいわゆる『元文の改鋳』と呼ばれる一大通貨膨張策リフレーションだった


 それまで米と食う為の野菜以外の栽培を建前上禁止されていた農村は、この年の吉宗の商品作物奨励策によって堂々と商品作物の生産に邁進し、米以外の税収を武士にもたらした

 そして享保の改革以後、各藩は積極的に領内産物の開発推進を行い、上杉鷹山に代表される殖産興業の機運を高めた



 折しも、八幡・日野の商人や各地の商人、各地の廻船問屋などによって整備された物流網は、各藩の生産する新たな産物を全国へと運ぶことが出来るようになっていた

 武士がカネを儲ける手段は、実は彼らに自国で開発した産物を売捌いてもらうだけで良かった


 そして、日本全国との商取引を行う為のカネが元文の改鋳によって大量に市中に供給される



 金融政策の失敗はどのような善政をも失政へと変え、逆に一見失政に見える政策も金融政策の挽回によって善政となり得るのだった




 1736年(元文元年) 夏  江戸駿河町 越後屋両替店




「勘定方より新たな元文小判を頂いてこい!交換する分が足りん!」

 越後屋の江戸両替店では手代達が悲鳴を上げていた


 大岡忠相を最高責任者とする元文の改鋳は、市中の通貨不足を解消する目的から高率な増歩(交換歩合)を約束した

 享保金百両につき元文金百六十五両という、実に65%の増歩だった



 金の品位は高いとはいえ、通用するのは一両だったものが1.65両に変わるとなれば、持ち込まない方がバカという有様だった

 もっとも銀については逆に品位を落とされることを嫌った両替商によって退蔵され、一時銀高を招いたが、大岡忠相は銀を退蔵する両替商の手代たちを悉く捕えて牢に入れたため、慌てた両替商たちはすぐさま銀の交換に応じた



 一時に大量の通貨が供給されたことで一時的に物価の混乱はあったが、すぐに鎮静化すると米価安の諸色高の状況から『すべてが高い』という状況へと移行した

 これによって旧来の武士の収入だった米もそれなりの値で捌くことが可能となり、武士・町民・百姓の全ての生活が安定し始めた



「八郎右衛門様、今までの我慢のかいがありましたな」

「うむ、皆もよう我慢してくれたな」


 両替店の繁盛を見ながら二代目八郎右衛門の高房も安堵のため息を吐いた



 これまで大名貸しなどの現金支出を控え、ひたすら守りの経営を行って来たことで越後屋には現金のストックがそれなりにあった

 今回の改鋳でそれが全て増歩の対象となり、また新旧貨幣の引換御用を拝命したこともあって莫大な増歩金と手数料収入が入った


 またインフレによる景気回復の波に乗って呉服業も成長路線に再び戻り、この改鋳が三井財閥の基礎を固める大きな転機となった




 時代はこの後、田沼時代と呼ばれる重商主義政策への転換期を迎える

『カネを稼ぐ』という事に武士も百姓も真剣に取り組み、様々なアイデアが世の中に溢れ出す時代となる

 それは、旧来の米経済との完全なる決別の時代だった



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