第72話 天保の改革
1841年(天保12年) 冬 近江国八幡町 山形屋
「何?十組問屋が解散された?」
「はい。鑑札を召し上げられ、以後はいかなる商人の品も取引を差し許すと…」
「馬鹿な… 今まで我らがどれだけ冥加を差し上げて来たと思っているのだ…
我らあってのお上ではないのか…」
江戸支配人からの報告に甚五郎は言葉を失った。
長く江戸の商売を独占してきた十組問屋は株仲間の代表格で、十組問屋から幕府へ上納される冥加金は一万両以上に上り、幕府の貴重な財源と化していた。
それを投げ打ってでも自由商業によって物価の引き下げを行い、治安の今以上の悪化を防ごうと躍起になっていた。
「して、江戸の状況はどうなっておる」
「我らは御用弓師として打立弓師仲間から唯一の問屋として認められておりますので、なんとか業績は前年並みを保っておりますが、他の表店組(畳表仲間)の江戸店は火が消えたようになっております」
「さもあろう。仕入れ値よりも安く売れなどと、お上は商いの事をすっかり忘れてしまったのか…
そのようなものは商いと呼べぬ。暴利を貪るのは論外だが、我らにも適正な利がなければ営業を継続してゆことは叶わぬのだ。
買い手だけでなく売り手にとっても満足できる取引でなければ長くは続かぬ」
当時の帳簿には物価引下令による異常な売値が散見される。
畳表についていえば、近江表は仕入れ四十匁に対し売値が二十匁、備中表は仕入れ四十匁に対して売値が十八匁、青莚についても仕入れ三十五匁に対して売値二十匁と、全て売値が仕入れ値を下回っている。
これでは売れば売るだけ赤字となる。商売として成り立つはずがない。
八幡町の主力商品の一つである畳表がこのような状況であるのに加え、蚊帳についても越前や長浜などの新興商人に食われてきており、楽市楽座以来日本の商業をけん引してきた近江商人達もかなり追い詰められていた。
そんな中で山形屋は弓御用を務める事で引き続き江戸や関東近郊の弓商売の独占を維持した。
幕府も弓に関しては安定供給こそを重視したため、山形屋の独占は維持された。
庶民の暮らしには関係が無かった事も幸いした。
報告の後、甚五郎は大番頭の中村甚兵衛と今後の対策を相談した。
「さて、いかがするべきか…」
「我らは幸いにして弓という武器が残っております。今こそ積極的に攻めに出る好機かと思います」
「しかし、今の値では商売にはなるまい」
「カネ以上に大切な『信用』を買ってもらうのでございますよ」
「『信用』だと?どういう事だ?」
「このような異常な状態がいつまでも続くとは思えませぬ。我らが物の値を引き上げるとお上は言われますが、我らは運上・冥加を差し引いた適正な値を付けているにすぎません」
「うむ…」
事実、近江商人の株仲間では買占めによる値の吊り上げを厳に戒め、違反をした者は株仲間を追放するという厳しい処分で臨んでいた。
安売りもしてはいけないが、暴利を貪ってもいけない。
あくまで適正な値を維持する事が株仲間の目的だった。
「解禁によって信義則を守らぬ商人が大手を振るようになれば、いずれ必ずや買占めによって相場を操作しようとする者が現れるでしょう。
物の値が吊り上がる中で、近江蚊帳だけは適正な値を守り続ける…
信義則を守らぬ商人とどちらを信用しましょうか」
「なるほどな。いかなる状況にあっても我らは正直に商いをするという印象を諸人に植え付けるわけだな」
「左様でございます。混乱が収まった後には山形屋の名は一層高まっておりましょう」
この甚兵衛の予測は現実となる。
新規参入によってド素人が商売に参加すると、必ず起こるのが市場の混乱だ。
過当競争による
また、株仲間に代わって市場の独占を狙う者が買占めを行い、物価が下がるどころが値上がりした物まであった。
物流網の整備も無しに思い付きで参入するド素人は、自分達が届けなければ生活に困る人達が居るという考えは持たずに、ただただその日に売れた売れないで一喜一憂をするだけだ。
そこに商人の『義』という観念は一切無い。
初期の楽市楽座と同じように、本来であれば参入資格のない者に市場の参入を認めればこういう醜態を晒すという見本を並べ立てる結果となった。
現代のように商法や民法によって最低限の信義則を守るという前提がなければ、規制緩和は寡占市場よりもよほどに質の悪い者達を呼び込む結果となる。
さらに悪い事に、仲間株を担保として事業資金を借りていた商人にとっては、担保不足によって融資を引き揚げられるという災難に見舞われる事になった。
カネが企業の血液というならば、カネを供給する金融業者は産業の心臓部だ。
心臓から血液の供給を止められればどうなるか…
多くの零細商人や職人たちが融資を引き揚げられ、結果としてさらなる失業率の上昇を招くという悪循環をもたらした。
天保期の物価上昇の主な要因は通貨の改鋳を繰り返した事によるインフレの進行と、賃金上昇によって今まで商品を買い求めて来なかった農村などが購買意欲を高めた事が原因で、水戸藩主徳川斉昭の言うような株仲間による不当な値の吊り上げは事実無根だった。
経済の原則から言えば、生産システムを整備して生産力を向上させることで、需要を満たすだけの供給力を生産者に持たせることが必要だ。
そして、それらの生産物を充分に消費しきれるだけの市場規模を既に日本は持っていた。
だが、飢饉によって農本主義に捕われた武士たちは『工業化』という概念を頭から持たなかった。
政権中枢にこの事を理解できる者が居れば、遅くともこの時点で日本の産業革命は始まっていておかしくない。いや、始まっていて然るべきだったと思う。
1842年(天保13年) 秋 江戸城本丸
「近江で四万人規模の一揆とは…」
水野忠邦は老中控室で頭を抱えていた。
近江の湖東地域へ検地に出向いていた幕府勘定方の市野茂三郎は、内々に賄賂を強要して村人を困惑させ、また尾張藩や仙台藩などの大藩の領地に対しては検分を甘くするなど、どう見ても公平とは言えない態度で検地に臨んでいた。
市野の横暴に対して立ち上がった野洲郡・甲賀郡・栗太郡の農民四万人が一揆を起こし、市野に対して十万日の検地の延期を認めさせた。
いわゆる『近江天保一揆』だった。
この一揆が特筆すべきは、江戸期を通じて最大規模の一揆であり、検地阻止の目的を達成した唯一の一揆だった。
しかも、これだけの人数を動員していながら、一揆側・役人側いずれにもただの一人も犠牲者を出さなかった事にある。
この一揆をきっかけに幕府の威信が大きく傾き、かつ年貢の増収を阻止したことで幕府が倒れる遠因になった。
正に『流血無き革命』というべき事件だった。
―――市野め… 近江を皮切りに日本中で検地を推し進める計画が全て台無しだ
天保の改革による財政改革は、検地による年貢の増収を基本としていた。
その目論見が外れたことで水野は窮地に陥る。
すでに商人からの運上・冥加は株仲間を解散させたことで失っている。
水野は進退窮まったと言って良かった。
窮余の一策として、水野は江戸・大坂周辺の大名・旗本の領地を召し上げる『上知令』を出して行政機構の強化と都市部の治安維持を図ろうとするが、ほぼすべての武士から反対に遭って天保十四年に老中を罷免される。
天保の改革はたったの二年で幕を引いた。
1843年(天保14年) 冬 近江国八幡町 総年寄会所
「尾州様より一万六千両の御用金ですか…」
西川甚五郎は八幡の豪商達十三名と共に総年寄会所に集まっていた。
昨年の天保十三年四月より八幡町は天領から尾張領へと変更され、同時に豪商達に御用達を命じられていた。
信楽代官所の永御料の約束はまたもや反故にされ、尾張領として次は尾張藩からカネを要求される事となった。
「左様です。米切手の引替御用を務めよと申し渡されました」
「次から次に、キリがありませんな」
甚五郎は乾いた笑いを立てた。しかし、誰も咎める者は居ない。
皆一様に厳しい顔つきで下を向いていた。
「これは始まりに過ぎないのでしょうな…
尾州様はたかだか石高五百五十八石の八幡町を得るために千六百九十七石もの領地を代わりに信楽代官所へ差し上げたと聞きます。
我らのカネを目当てにしている事は明白でしょう」
西川利右衛門が眉間に皺を寄せて話す。尾張派として尾張藩領への編入を願うべしと主張していた伴伝兵衛には返す言葉がなかった。
「かようにまで尾張藩が無体を言って来るとは思いも寄りませなんだ。
申し訳もございません」
伝兵衛が詫びると、場の全員が首を横に振った。
「どのみち、あのまま天領であったとしても状況は変わらなかったでしょう。
それよりも、今回の御用はお断りする。あるいは条件を引き上げてもらうように交渉していくしかありません」
甚五郎の言に全員が頷く。
尾張藩では天保十年に藩主斉温が死亡すると、跡継ぎを巡って家中から反対運動が起こった。
幕府が推す将軍家斉の十一男田安斉荘を跡継ぎにということで幕府の思い通りに尾張藩を動かされる事を嫌ったためだ。
そのため、反対派の懐柔の意味を込めて文政より長年領有願いの出ていた八幡町を尾張領へと変更することを決めた。
要するに、甘い汁を吸わせるから聞き分けてくれという事だ。
甘い汁認定された八幡町こそ、たまったものではなかった。
尾張藩からは第一弾として、引き渡しが済んだ天保十三年には早々に尾張藩の米切手の正金への引替を命じている。
米切手とは米と引き換える為の証書で、これを持って行けば米と交換できた。
しかし、今回問題となっている米切手は、切手と言いながら実質的には藩札として流通させていた。
いわば八幡町は尾張藩の中央銀行として尾張国債を引き受けろと言われたようなものだ。
本来ならば問題にならないが、相手が破産寸前の国となれば話は別だ。
しかも八幡町は現在の日本銀行と違って紙幣の発行権は持っていない。
蓄えた資産を吸い取られ続けるしかなかった。
山形屋は御用達辞退、調達金の減額を求めるが当然ながら拒否される。
それでも、三十年返済という返済期限の短縮を求めたり利息金の確保のための物産差押えなどの交渉を続けていたが、悉く拒否された。
望まぬ藩主を押し付けられたモトを取ろうとするかのように、尾張藩の態度は徹頭徹尾カネを吸い上げる事しか頭にないような振る舞いだった。
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